12月13日(土)、教え子のO君と、池袋で一献傾けた。
O君は、私の教員生活で、初めて担任を持った学年の生徒。1968(昭和43)年、故郷会津田島から上京し、歯科技工士の見習いとして働きながら定時制生活をスタートさせた。今から46年も前のことなので、何年生の時の担任であったかの記憶は定かではない。卒業後「歯科技工士」の専門学校へ進学。そこを卒業後も高額の金銭を支払い、更に上の歯科技工の技術を修得し、評判の技工士として商売繁盛。妻にも親近感を抱いていたこともあり、私の家にはよく遊びに来て、お互いよく呑んだ。
話は11年前に飛ぶ。私の歯がどうにもならなくなり、彼に相談したところ「デンタル茗荷谷」を紹介され、10年前にインプラントをつめた。その後は3ヶ月に一度の割合で、歯石除去を兼ねてこの医院に通っていた。12月初旬の通院の際、インプラントの噛み合わせが、少し弱くなっていることが分かり、再加工が必要となった。その修理もO君がやってくれたらしい。
私のインプラントは毎日でも取り外し可能。12月13日に、仮歯に替えて、修理終了のインプラント装着の運びとなり、彼とはそこで落ち合うこととした。年賀状の交換はあったが、再会はクラス会以来の8年振りのこと。会った瞬間、懐かしさがこみ上げて来た。診療終了後、二人に都合のよい池袋へ出た。時に、19時45分。衆議院選挙演説終了15分前。池袋東口では街宣車の上から、気合に入った声が響いていたが、二人は足早にそこを通り過ぎ、路地裏の地下の、焼き鳥屋へと潜った。
共通の教員・生徒の話題に花が咲く。お互い、自身の近況も伝えあった。彼の近況報告は“私は、冬眠から覚めたクマです”。会社社長として、10数名の従業員を抱えていたが、不況の影響で現在までに規模を縮小。それらの忙しさから解放された表現と私は受け取った。今後はクラス会の幹事役のようなこともやりたい、山にも一緒に登りたいとも語っていた。山、大いに結構。入学当時一緒に低山を歩いたことを思い出した。
私より年若い人たちと行動する機会が増えていることは、私には大変有難い。
この夜は、ご馳走になってしまった。