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主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

第21回博麗神社例大祭戦利品レビューその11-6

2024-08-08 23:23:09 | 同人誌感想
 夏コミ出発まで今日を入れてあと3日! 3日しかないのだ!
 なんとか終わらせてから出発したいもんだがどうなることやら。
 
・東方SFアンソロジー 夢現理論の臨界点(東方SFアンソロジー製作委員会)
 ようやく折り返し地点を過ぎて、残りは14作品。5・5・4であと三日で終わる計算なのでなんとか終わらせるぜ。
 
・百三十八億年のパリティと孤独(卯月秋千氏)
 個人的に見出した本作のSFテーマは「おとぎ話」。
 東方におけるカップリングは数あれど、秘封倶楽部の二人はその中でも特に結びつきの強力なカップリングです。
 本作ではそんな二人の結びつきの強さを、互いに互いを認識することで成立しており、そこには何者も立ち入れないとして表現しています。この表現の仕方が実にSFで上手い。
 あとがきによれば、本作は「CP対称性の破れ」を「カップリング」と読むことで蓮子とメリーという対称性の関係を表現しているとのこと、。わたくし不勉強で「CP対称性の破れ」という概念は初めて知ったんですが、本作は作中にこうした難解かつ専門的なSF用語を星のごとくちりばめておきながら、そのそれらの星が形作る星座の形はおとぎ話でした。読んだ食感がいわゆる宮沢賢治作品に近いんですよねこの作品。
 さらには視点をメタ方向に広げて、「『神』の創作物としての秘封倶楽部」を描いているのも実にSFで好き。
 
・マチネの終わりに(じる氏)
 個人的に見出した本作のSFテーマは「欺瞞」。
 SFにおける発達した科学技術は人間社会を大きく変化させるものですが、その変化の中には「代替品を作れるようになる」というものがあります。失った手足の再生、建造物の復元、あるいは記憶の再現などなど。失ったものを取り戻したいというのは当然の欲求ですが、取り返しのつかないものが取り返しのつくものになってしまうとき、そこにはある種の欺瞞が生じます。
 本作で「いつものように」談笑する魔理沙、アリス、パチュリーの3人。種族魔法使いであるアリスとパチュリーと同じように、姿が変わっていない魔理沙。カメラは決して三人のいる部屋以外の場所を映し出さない。
 タイトルにある「マチネ」とは昼公演のこと。それはアリスとパチュリーの作り出した欺瞞の舞台でした。その欺瞞をついに保てなかったアリスによるネタばらしが悲しい。わたくし人形使いは優れた作品、特に優れた短編はその作品の前後を想像させてくれるものだと常々思っているんですが、本作はこれまでに繰り返されてきたであろう欺瞞の即興劇(エチュード)、そしてこれから始まる孤独の夜公演(ソワレ)を想像させてくれて切ない気持ちになりました。
 
・まっすぐに、きみへ(みこう悠長氏)
 個人的に見出した本作のSFテーマは「認識の崩壊」。
 SFではしばしば、人間にとって当たり前だったはずのものが当たり前でないものになるという現実認識の脆さが描かれます。本作は「直線」という一見別にどうということはない当たり前のはずの概念が覆ったあまりにもおぞましい認知世界が描かれます。
 ことの発端はにとりが持っていたストレートエッジが壊れてしまったというどうということはない感じの出来事。にとり、魔理沙、咲夜の3人は、「完全な直線」を定めた「直線原器」を求めて彼岸に赴くのですが……。
 そもそも我々人間が認識しているこの「現実」は、そのまま「生の現実」であるかというとそうではありません。我々には赤外線や紫外線は認識できませんし、電波を知覚できるわけでもない。さらに言うなら我々が認識できる次元世界は3次元に留まるのに対し、「実際の世界」は11次元とも言われている。では、我々3次元しか認識できない存在が「実際の世界」を認識させられてしまったら?
 「実際には認識できない世界を想像する」というのはSFにとどまらず創作作品の大きな楽しみではありますが、ある意味ではそれは狂気に自ら踏み込む行為なのかもしれない、と最終段落の魔理沙の観る「実際の世界」を見て思いました。
 
・重力(はどろん氏)
 個人的に見出した本作のSFテーマは「思い出すこと」。
 失ったものは帰ってきません。しかし、「失ったものを思い出すこと」でそれらにアクセスすることができます。
 本作はどこかノスタルジーを感じるような古い語感と語彙で構成された独特な地の文で、メリーの不思議な夢を描いています。ユーモラスでコミカルな二人のやり取りがたどり着いたラストは、読んでいてどこか予想できたものでした。蓮子は失われたからこそ何度もメリーの夢の中で無限に現れ続け、そして常に死んでいくという……。
 「幻の存在に惑わされる」という展開はお約束の一つであるものの、本作における蓮子像は、メリーにとっては紛れもなく蓮子であると同時に蓮子本人では決してないというのにあまりにも悲しい隔たりを感じました。
 前述の通り秘封倶楽部の二人は東方の中でももっともと言っていいほど結びつきの強いカップリングですが、それ故にもっとも「別れ」が悲劇的なカップリングでもあります。「悲哀のカップリング」とも言えるかも。しかるに本作のラストのしっとりした悲しみはこの二人だからこその美しい味わいがありました。
 
・Latency's Report(光之空氏)
 個人的に見出した本作のSFテーマは「不老不死への衝動」。
 SFというジャンルで描かれてきたさまざまな事物の中には、月面到達や宇宙開発、インターネットやAI、スマートフォンなどなど現実のものになった事物がたくさんあります。反面、SFで普遍的なテーマとして取り上げられ、数多くの権力者たちが実際に求め、しかし人類の長い歴史の中で一度たりとも実現していないこともあります。それが本作のテーマである「不老不死」です。
 本作では月における不老不死の実態を知った蓮子とメリーが、後の人々が同じ過ちを繰り返さないために嘘の情報を書き記しますが、それでも不老不死を求める人々を止めることはできない。
 前述の通り、不老不死は数々の物語で描かれてきながらいまだ実現されてはいません。そして物語の中では、不老不死は必ずと言っていいほど悲劇とセットとなっています。本作を読んでいると、これはただ単にドラマチックな演出のためという作劇的必然性というよりは、むしろ不老不死というイレギュラーに対する忌避本能があるのではないか、そんな気がします。
 
 今日はここまで。
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