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塚口サンサン劇場「ヴィクラムとヴェーダ(タミル語版)」「ゴジラ-1.0/C」見てきました!

2024-03-07 23:14:03 | 映画感想
 毎週木曜は毎回毎回塚口に滑り込みしてる気がします。気がつくと上映終了日が来ている……。
 というわけで今日も2本連続で見てきました。1本目はこの作品!
 
 
 同タイトルのヒンディー語版も同時期に上映してますが、そちらの方は2週間限定上映なのでリメイク前のタミル語版を先に見ることにしました。
 優秀な警察官である主人公・ヴィクラムは、犯人グループの逮捕よりも撲滅のため、銃撃戦の偽装を続けていました。長年追ってきた犯罪グループのリーダーであるヴェーダを追い詰めるヴィクラム。しかし、ヴェーダは抵抗することなく自首してしまいます。取調室で対面するヴィクラムとヴェーダ。ヴェーダの口からもたらされる事実によって、ヴィクラムの捜査は、そして彼の信念や人生が次第に揺らいでいく――。
 本作はインドに古くから伝わる説話集「屍鬼二十五話」をもとにしており、冒頭にはそれを元にしたアニメーションパートが挿入されます。
 本作は、そのストーリーラインだけだとさまざまな情報が錯綜する中、主人公が事件の真犯人を探すクライムサスペンスに見えます。事実、本作はそうした側面でも楽しめる作品となっています。
 しかし、実際のところ本作のクライムサスペンス的な部分はあくまでも表層的な部分というか舞台設定であって、その中核にあるのは「善とは?悪とは?」という問いかけでしょう。
 というか、本作のいわゆる悪役であるヴェーダはただの悪役ではなくこの問いかけそのもの、問いの化身<アヴァターラ>だと感じました。
 本作に限らず、インド映画にはしばしば「登場人物」というよりはむしろ何らかの概念の擬人化と感じるようなキャラクターがいます。そして、そうしたキャラクターは往々にして主人公の影とも言える存在です。本作におけるヴィクラムとヴェーダもまた、表裏一体の存在だと感じました。
 ヴェーダからもたらされる情報によって冒頭の偽装銃撃の真相が二転三転していく過程で、己の正義を信じて疑わなかったヴィクラムの正義もまた二転三転していきます。自首したヴェーダの弁護人によりによって自分の妻がついてしまったことで家庭にも混乱が波及し、さらに同僚を射殺した犯人を辿っていった先の真実が――という流れで、非常に丁寧にヴィクラムの「正義」がドミノ倒しのように崩壊していく流れは一種の美しさすら感じました。
 インド映画には必ずと言っていいほど「因果応報」の仕組みが組み込まれていると思っていますが、冒頭でヴィクラムが行った偽装銃撃戦がストーリーの要所要所で必ず何らかの形で絡んでくるのが実に因果応報というか、ヴィクラムの正義の崩壊は最初から決まっていたという気分にすらなります。
 ヴィクラムの影とも言える存在であるヴェーダを演じるヴィジャイ・セードゥパティ氏の独特の存在感がまた魅力。いわゆる「悪のカリスマ」といったようなキャラ造形ともまた異なる、曰く言い難い「怪物感」を感じます。「マスター 先生が来る!」のバワーニにも感じましたが、どこか愛嬌があるのがかえって不気味さを増しているというか。
 あのラストは、最終的にはヴィクラムの信じていた正義や世界は、ヴェーダの語る「悪」への境界線をまたいでしまったものだと感じましたがどうなんでしょうかね。
 
 次、2本目はこれ!
 
 
 本作は「ゴジラ-1.0」のモノクロ版。これまで同じ映画で色調を変えた作品としては「マッドマックス 怒りのデスロード<ブラック&クロームエディション>」を見ましたが、本作もまたモノクロになったことでカラー版とはまったく異なる印象をもたらす作品となっています。
 そもそも「本作をモノクロにする」ということ自体が特別な効果をもたらします。本作は初代ゴジラよりも過去の舞台設定となっていることも手伝って、「架空の初代ゴジラ」を見ている気分になりました。ご丁寧に本作では、冒頭に白黒映画時代の昔の東宝ロゴが表示されるんですよね。あれは間違いなく「もうひとつの1954年版ゴジラ」を見ていると錯覚させる効果を狙ってのものだと思います。
 そしてまたこのモノクロの映像が戦後の荒廃した東京に実に合うんだよな……。なんと表現するべきか、本作の崩壊した、そして復興した東京の街並みをこうしてモノクロで見ると、否応なしに現実感というか生々しさが増強されるんですよね。まるで今、実際に戦後の東京を見ているかのような現実感。
 「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」は「シン・ゴジラ」のキャッチコピーでしたが、本作でモノクロで描かれた「現実」に怪獣という「虚構」の姿をした災禍たるゴジラが侵入してくるシーンは、時としてアイドルとしてすら扱われてきたゴジラの持つ本来の恐ろしさを存分に味あわせてくれました。
 以前の初見時の感想でも書きましたが、本作のゴジラは「足」の印象が非常に強い。街を破壊して暴れまわるのはゴジラのお約束ですが、本作のゴジラは一貫して「蹂躙する者」というイメージを強調されていると感じます。戦争からようやく復興した東京の街を、人々を文字通り「踏み潰す」というアクションにおける「足」の凶悪さよ。
 特に後半で東京に向かって進撃していくゴジラが田畑を踏み潰していくシーン。東京の街が「文明の象徴」なら、田畑は「生活基盤」なんですよね。それをも容赦なく踏み潰していくゴジラの恐ろしさは、エンターテイメントとしての「怪獣」を逸脱した「災禍の化身」です。
 本作のゴジラはとにかく距離が近く怖い、と評判ですが、モノクロになったことでそのくろぐろとした威容がさらに強調されており怖すぎる。特に海での追走シーンは完全にホラー映画の文脈になってました。
 また、初見時には気づかずあとからtwitter(頑なにXとは呼ばない)で知って次に見るときはチェックしておこうと思ってたポイントである「ラストシーンで典子がゴジラ細胞に侵食されている描写がある」、モノクロになっていたおかげかはっきりわかってオゲェェといった感じですかね……。
 いやー面白かった。冒頭で書いた通り本作をモノクロにするということがどれだけ特別な効果をもたらすかを身をもって体験できました。
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