私は原稿請託されて今日韓関係の問題になっている慰安婦について書いたら掲載不可と言われた。紙媒体はより言論の自由がないと思っている。その時ある女性読者から電話が掛かってきて慰安婦について私の意見を聞きたいという。一瞬頭がこんがらかった。講演依頼も来ているのでその時話をすると答えた。御用学者もいけないが、真実を語らない研究者、メディアも問題である。言論の自由とはなんだろう。研究に基づいて意見を出すことができないのは言論の自由がないからだと思う。
先週講義に来られた著名な地理学者、小林茂先生は植民地と戦争による地図作成の研究の権威者であるので、現在の竹島など微妙な問題に意見を求めたら「発言できない」と言われた。それは学界の一般的な風潮になっているという。発言すべき研究者や専門家が発言できない社会なのだろうか。もしそうであれば天皇退位について有識者が集まって健全な討議ができるとは思えない。特殊な「有識者」が語るのを信用すべきなのか。アマチュア「無識者」だけが本質を喋るのか。民主・民衆主義は一般人や政治家が語るようになっている。豊洲問題に登場したもう一人の小林雄一先生はどなたの意見にも肯定的に応じて参反を判断するには参考にならないような解説だった。私はマンションの地下水が汚染しているか否かは関係なく「安心」「安全」に生活する。地下水とは関係なく地上の生活には問題がないと専門家は言うのに小池知事がアイドルのようにメディアにでて、政治politicをし、行政governをしない感がする。