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呪殺祈祷会『死者が裁く』呪殺祈祷僧団再結成!@経産省前テントひろば











呪殺祈祷会『死者が裁く』@経産省前テント前ひろば(2015年8月27日午後3時)に参加した。

・あまりない体験だったので、記録しておこうかと思う。この僧侶の集団は、日蓮宗の僧侶47人から構成されている

・呪殺祈祷会の副題は、呪殺祈祷僧団再結成! である。この意味は、公害問題が深刻化した1970年、公害企業主呪殺祈祷僧団と名乗る仏教集団が結成されて活躍したことを踏まえている

・はじめに挨拶した信徒のひとに「不受不施派ですか?」と尋ねたところ、「いや、一致派です」と答えられた。意味が最初はわからなかったが、ウィキによると、日蓮宗の中のひとつの宗派らしい。はじめて聞いた

・式ははじめに、勧請(大導師独唱)、読経(観世音菩薩普門品 第二十五)このとき、参列者も一緒に読経した(あらかじめお経のコピーが配布されていた)、かなり長くて、意味はわからないが、ふりがながふってあるので、一種の音楽として唱えた。次に、表白文(表白導師独唱)、このときに、福島泰樹師が登場して、お経を唱えたが、このときの聲は、完全に、法事のときによく聴くお坊さんの聲だった。次に、つづいて、福島師による、呪殺祈祷(祈祷導師)が行われた。このときには、近代以降の人類の虐殺の歴史がひもとかれ、神殺し、仏殺しの廃仏毀釈からはじまって、植民地主義も、アメリカによる広島長崎の原爆投下も、南京大虐殺も、アウシュヴィッツも、湾岸戦争も、イラク戦争も、その俎上に載せられた。

・このときの聲は、普通の福島節であり(普通とは言えないが、仏教者とは異なった聲になっていた)わたしは、詩人による長大な近代批判の長編詩朗読を聴いているような気分だった。ジャズのサックスも加わって盛り上がった。

・呪殺という言葉は、日蓮は使わなかったと、福島さんは、言っていた。また、仏教者が呪い殺すことはありえないとも言っていた、慈悲のこころが基本にあると

・この言葉は、元々、1970年の公害企業主呪殺祈祷僧団に遡る、一種のレトリックだったように感じる。その意味は、ベンヤミンの歴史哲学とまったく同じで、歴史の敗者に完全に寄り添い、虐殺されたひとびとの最後の聲、痛苦の呻きを代弁することにある

・この祈祷会の理念は、死者と共闘・連帯し、死者の裁きを請うところにある

・わたしは、神秘や魔術を基本的に信じない。宗教ではなく、唯物論で社会は変わると考えているから。したがって、呪殺という言葉に直接現れる呪い殺すという行為は、まったく信じないが、「歴史の敗者に完全に寄り添い、虐殺されたひとびとの最後の聲、痛苦の呻きを代弁する」という哲学には、大変共感する

・こうして僧侶を中心に信者や関心のある人々が、この<経産省前テントひろば>という象徴的な場所に集まった意味は大きいと思う(50人以上はいたか)


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poetic fragment, "Dinner's ready"






Dinner’s ready!



How many times on earth
Have I heard these words for me?
Then
I’ve tried to count.
And I stopped soon.
The number is
Nearly that of my life days.

54 years 8 months

Namely 19971 days

It will come to 20000 days soon.
20000-times dinner’s ready: it’s so great.

And 19971 days

Those things, these things, such things:
They have happened in the days.
That person, that girl, that guy,
That rascal, that idiot:
They have been somewhere in the number.

Yet only without me.
I’ve not responded yet
To almost 20000 callings.
Because I’m always someone else
In my dreams.






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一日一句(1225)







秋風やあちらこちらに金を借り






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