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猿蓑:「鳶の羽も」の巻(14)


■旧暦6月24日、土曜日、

(写真)無題

今日も蒸し暑かった。朝早くから、病院へ。帰りに柏でチェリビダッケの廉価版、ブルックナー、ミサ曲第三番を購う。夕方から、ビールを飲みに。夜、女子バレー3位決定戦の最後の方を観る。負けた後の韓国のエース、キム・ヨンギョンの表情に惹かれた。クールな面立ちのまま、表情を変えず、普段と変わらないように、ドリンクを飲む。大事な試合に負けたエースのプライドだったのかもしれない。凄まじいまでの美貌である。

「エネルギー・環境に関する選択肢」のパブリックコメントが、明日までなので、夜、書きあげて送信。当然のことながら、ゼロシナリオを主張した。一見、もっともらしい、疑似現実主義的な15シナリオ、20~25シナリオはありえない。今後、パブリック・コメントのあり方や公開の仕方、政策立案過程への組み込み方なども、テーマ化すべきだと思う。シビアアクシデントの発生確率やリスク論に関心があるので、いい整理になった。

女性の方々は、普段、社会での発言の機会が封じられてしまうので、どんどん、自分の意見を述べた方がいいように思う。別に論文を書く必要もないと思う。子どもに近く、生活に近く、感情に素直な意見は、理性や合理性といったものが、実は、男性社会が作ってきたものであることを、垣間見せる。女性の意見は、いろいろな意味で貴重だと思う。経団連や同友会、日本商工会議所のメンメンを観てみればいい。先のない爺さんばかりじゃないか。

「エネルギー・環境に関する選択肢」のパブリックコメント、明日12日の午後6時まで。ここから>>>   直接、書き込む場合、 ここから>>>



三里あまりの道かゝえける   去来

この春も盧同が男居なりにて   史邦

■「三里あまりの道かゝえける」を、主人の使いにやってきた下男と読み替えている、ところがまず面白いと感じた。同一人物の解釈で進まない。三句が同一人物になることを避けるというのが、やはり、俳諧は新しい展開を好むのだなと思う。第二に、中唐の隠士、盧同をもちだしているところが面白いと思った。現代で、この人を知っている人は、まずいないと思うが、当時は、知識階級では、よく知られていたらしい(韓愈の長詩に名前が出てくる。出典は、同『古文真宝』)。よく知られた具体的な名前を出してもいいのだという自由なところが面白い。安東次男の解釈を読むと、その含みは、相当複雑で、一言では言えないと思った。「居なり」とは、奉公人が、年季が明けても、そのまま、住みこむこと。





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一日一句(404)







子のかほに疲れ取れたりかき氷






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