かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

国宝と名付けた文化財を、ちゃんとデータもあるのに改変・創作してよしとする感覚が理解できません。

2012-12-30 21:46:27 | Weblog
 昨日から一転して、今日は朝からまるで梅雨のようにずっと雨が降り続けでした。雨が上がったらちょっと出かけようと思っていたのですが、その機会を得ないまま、結局一日家で読書にふけっておりました。まあたまにはこういう日も良いなと思います。

 さて、韓国の国宝第1号にして、2008年に放火で失われた南大門の復元作業、この度、鮮やかに蘇った天井の竜の絵が公開されたとのことで、その写真を観ました。

焼失前:http://farm3.static.flickr.com/2303/2260318652_88652852bb.jpg

復元後:http://www.chosunonline.com/site/data/img_dir/2012/12/28/2012122800746_0.jpg

 が、一言、ナニコレ?
 我が国と彼の国では、『復元』の意味が違っているんでしょうか? どう観ても似て非なるものにしか見えません。全体の大まかな感じは一応それらしくなっていますが、細部というにはあまりに大きな部分があちこち『創作』されています。仮にも国宝にこんな真似をして許されるものなのか、彼の国の国宝の位置づけもよく判りませんし、文化財や歴史に対する価値とかも知りませんから理解のしようもないのですが、我が国の価値基準からすると、これは立派な文化財破壊行為です。
 我が国においても、過去消失した文化財を改変することはままありました。例えば東大寺大仏殿は創建当時の姿からするとかなり縮小されて建て直しされているそうですし、出雲大社の神殿もかつての壮大な姿ではありません。飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸、と各時代で建築などの技術や様式は大きく変遷し、雷や戦火で焼けたり地震で倒れたりする度にその時代時代の建築様式をベースとして修理したり建て直したりして来ては居ますが、写真も無い時代のことですし、当時の宗教観や文化財に対する価値観は今とは当然異なっていますから仕方ない部分が多々ありますし、その変遷こそが歴史的な意味を持つ場合もあるのでしょう。ただ、現代においては、興福寺で進められている整備では、できるだけ創建当時の姿を復元することを目標に計画・設計と工事が進められているそうですし、台風で壊された室生寺では、修復作業中にばらした部材などから判明した、今とは違う創建当時の姿を復元して修理をするなど、基本、できるだけ判る範囲で古い姿を復元しそれを後世に伝えることを考えて行われています。どうしても判らない部分は、同時期の他の建築等から類推して多分こうだったのだろう、という可能性の高いデザインを採用したりしていますが、基本は元通りにすることが我が国における『復元』の使われ方のはずです。しかも、ちゃんと消失前の写真など貴重なデータが見事に残っているのに・・・。
 となると彼の国は、我が国の江戸時代以前の思考と同じような感覚で文化財に対しているのでしょうか? どうにも理解し難い感覚ではありますが、こんな勝手な改変を堂々とやる国に貴重な文化財を返却したりするのですから、民主党政権もまた、文化に関しては随分と大雑把で鈍感な感覚しか持ち合わせていなかったのかもしれません。

コメント
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