かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

日本版ポンペイ、というにはかなり規模が小さいですが、歴史的価値としては十分興味深いものです。

2012-12-11 22:11:27 | Weblog
 今朝は寒さは相変わらずのところに持ってきて、どんよりと暗く重そうな雲が空を覆う、なんとも陰鬱な朝になりました。遠く仰ぎ見る葛城山や金剛山は中腹から上が白くなっていて雪が積もっている様子が遠望され、昼間は時折周囲が霞むほどに雪が舞って、いよいよ冬が本格的に始まったな、と思わせる天気に終始しました。いずれあの山上に輝く雪が下の方まで降りてきて、車で走るのが困難になるような日が訪れる事でしょう。今年はずいぶん早くから積雪を見ましたが、出来ればその分冬が明けるのが早くなってくれたら、と願うばかりです。

 さて、群馬県渋川市という町にある金井東裏遺跡というところで、火山灰が降り積もった6世紀の地層から、鎧を身にまとった人物の人骨が出土したのだそうです。鎧は、短冊状の鉄片を綴り合せたもの、と報道にはありましたから、多分挂甲(うちかけのよろい)と呼ばれる、埴輪の鎧でよく知られた内容のものなのでしょう。その人物は、両膝を付き、うつぶせに崩れ落ちたような格好で埋まっていたとのことで、調査をしている県の埋蔵文化財調査事業団によると、大和政権と関係する首長級の人物が、噴火した榛名山に向かい、山の怒りを鎮める儀式をしていた可能性もある、とコメントしているそうです。
 遺跡は榛名山の北東約8、5キロにあり、過去の発掘調査で、6世紀初めの噴火で火砕流が最大15キロ先まで届いた事がわかっているそうですから、その時に被災したのかもしれません。ポンペイとはまた規模も時代も全く異なりますが、日本にも火山の火砕流で埋められたヒトがやはりいたのですね。一体どんな儀式をしたのか、どんな祝詞を何という神様に捧げたのか、知り様のない話ではありますが、やたらと想像が膨らんで参ります。これからの調査で更に何が出てくるか、はたまた出てこないのか、実に気になるところです。

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