最近、色々なアクシデントに見舞われて、大変困っています(笑)。
何かと雑事などもあり、記事を書こうと思っても中々書けません。うぬぬぬ。
とりあえず書くから。
話題の「Blanchard ペーパー」ですが、元論文が紹介されていたので、ざっと読んでみましたですよ。また嫌いな英語ですけど。
>マクロ経済政策の再検討~より高いインフレ目標値の検討~ - ハリ・セルダンになりたくて
以前に、ちょっと近い話を書いた。
>デフレはいつまで続くのか
======
調節性ということで考えてみれば、金利幅が1%しかない場合に比べて、2%のレンジがあれば調節性は高まることはお分かり頂けるだろう。変動幅で考えたって、名目金利を1%から0.5%に落とせば、50%の変動となって相対的に大きな変動幅となってしまう。一方、2%から0.5%落としたとしても、これなら25%の変動幅で済む。金利という調節機構を見てみれば、変動中心のようなものがあって、仮にこれが3%あれば、調節によって上下1%変動させると2~4%というレンジでの調節が出来るのである。この変動中心が1%であると、0~2%となって、下限ギリギリでそこから下の調節機能は失われる。即ち、変動幅が1%を超えてくると、実質的に調節機能が全く作動しないというシステムになってしまうのである。もしこれが機械であったりすれば、誰もこのような設計をしないであろう。「調節機能が全く作動しない」ということを良しとはしないだろう。万が一、変動幅が1%を超えたとしても、”調節機能が全く失われるということがない”ように、たとえばセイフティ・マージンを0.5%とか空けておくであろう。機能が全く失われるようなギリギリのシステムなんて、危なっかしくて、普通は誰も作らないし、作っても採用されないであろう。そういう普通の発想さえも全くないのが、日銀である。変動中心が3%なら、調節域が上下2%あっても機能させられるのである。ところが、変動中心が1%であると下限が1%しかなく、それを超える変動に対してはリスクが高まる(確率的な問題であると思う)し、調節性は明らかに劣るのである。
======
普通の思考力を持つ人間であれば、誰でも考えそうなことである。特別に変わったことを書いたわけではない。しかし、日銀には、そうした思考というものを持つ人が存在してこなかったということなのかもしれない。日本における金融政策という実務からは離れたとして、純粋に理論上とか仮説的に思考するということがあってもよいはずなのだが、そういう人も現れないということなんだろうか?
日銀内部のことなどはよく分からないが、「日銀の異常さ」というのは、世界でも例を見ない異常なのだということだけは、よく分かる。
日銀にだって、理論派の人たちもきっと存在しているだろうから、はっきり言っておくよ。
恥知らずなんですか?
力不足だった、不十分だった、うまくできなかった、間違っていた、等々、反省の弁というものはきっとあるのではないかと思うのですが、そういうのは日銀にはないのですか?
「日本は~だった」「~をやったが効果が殆どなかった」「諸外国と違って~だった」、というような言い訳を並べるのはよく聞くわけですが、それらに続く言葉というのは、「だから、日銀には責任はない」「我々は正しくやったが、効果が出なかっただけ」「他には手の施しようもなかった」といったようなものではないですか。
本当に、学問的に、理論として、自分たちが正しいと考えているのでしょうか?
もう、何と言いますか、形容しがたいですわ。
本物の●カとしか思えません。どうしてここまで頑迷でいられ続けるのか、不思議でならない。ここまで下手くそとかダメな連中だったら、普通はじゃあ交代、席を代って、とかになるでしょう?
或いは、あんまりにも悪い結果が連続していれば、恥ずかしくて「次も任せて」とか言えないでしょう?かなりの厚顔無恥でない限り、プロ野球の監督を20年やって優勝ゼロどころか万年最下位、年間100敗以上を連続達成だったら、恥ずかしくて次も監督やらせてとか言えないでしょう?
論より証拠、口で日銀理論をいくら言ったって駄目だったんだから、もう勝敗は決しているわけですよ。これまで日銀が言ってきた通りに続けたってダメなことは、すでに明らかになったんですよ。「日銀の言い分は間違っていた、日銀は無能だった」ということを立証する為に、20年の時間を無駄に費やしてきてしまったのですよ。その間、経済ばかりではなく国としての低迷で、多大な損失を蒙り、多くの国民の不幸をもたらしたというわけです。
基本的に「政策」という類のものなのだから、全部がうまくいくとか、全て正しくできるとか、効果が十分得られるとか、そういうのを期待しているわけではないんですよ。うまくいかないこともある、だったら「どうしたらいいか」ということを全力で考えて実行にうつし、国民生活を救うことに賭ける以外にはないでしょう?それがプロなんじゃないですか?
全能力、ありとあらゆる手段、そういうのを結集して、できる限りのことを全力でやるしか、他に方法なんてないでしょう?そういう姿勢、取り組み方、それが根本的に欠けているんです。日銀は、本当に全ての知性を結集してもなお、この程度なんですか?
狂ってるとしか思えない。
因みに、Blanchardさんは、日銀について、次のように触れていましたよ。
『The liquidity traps of the Great Depression, combining significant deflation and low nominal rates, were seen as belonging to history, a reflection of policy errors that could now be avoided. The Japanese experience of the 1990s, with deflation, zero interest rates, and a continuing slump, stood more uneasily in the way. But it was largely dismissed as reflecting the inability or unwillingness of the Japanese central bank to commit to future money growth and to future inflation, coupled with slow progress on other fronts. (To be fair, the Japanese experience was not ignored by the Fed, which worried about deflation risks in the early 2000s.5)』
これを読んで、日銀はどう思うのか?
日銀が将来の貨幣成長(?用語が判らん、マネー量が増大してゆくという成長過程のことであろう)と、将来のインフレについてコミットするのを「できない」とか「厭々、不本意」ということだから、それが反映されたということなんだそうですぜ。
Fedは2000年代早期にデフレリスクを危惧していて、日本の経験というものが無視されてきたわけではないとも言ってますぜ。
4%という水準の妥当性というのは、一概には言えないだろう。もっと細かい検討が必要であろう。例えば「3%と4%の違い」というのは、研究によって明らかにしてゆくべき、ということ。そういうのも過去に例示したことがあったはずである(こちら>直近のデフレ・リスク指数はどうなんでしょうか)。
調節性という点で見れば、「インフレ率が2%よりも4%の方が優れる」ということがあるとしても、下限域の広さが政策の全てというわけではない。薬と同じで、利点があれば欠点もあるのであり、当然ながら副作用というか有害作用というものもあり得るわけである。
具体的には、ペーパー中でも述べられているが、インフレ(税)というコストもそうだし、例えば長期金利の変動具合や実物資産価格の上昇率など(あくまで例示です)についても何らかの検討が必要になるのではないのかな。
一番気になるのが、為替の問題だろう。
為替による調節というのが、インフレ率の異なる多国間での貿易でどのような効果をもたらすか、ということがある。経済規模が小さく管理為替の国であれば、経済規模の比較的大きな先進国との価格差が貿易に影響を及ぼすかどうか、みたいな話である。先進国の国内価格上昇率が増大するが、小国が為替によって輸出価格を抑制するとひたすら外貨を買い続けることになってしまい、そういうのが別な問題を引き起こしたりはしなのだろうか、というようなこととか。2国間の為替変動による調整スピードが、物価上昇率の違いによって変わるのか、とか。
いずれにせよ、変動中心をどの水準に置くとよいのか、とういうのは、経済規模や潜在成長率などの複数要因で異なっているかもしれないし、それこそ「民族差」みたいなものがあるかもしれません。それは経済活動への姿勢とか、投資の基本的考え方とか、読み書きや計算能力とか、いくつもの要因があるかもしれないですからね。なので、一律に「○%水準」というのが通用しないかもしれない。そういうのを明らかにするのが、学問だろう。研究はその為にあるはずである。
何かと雑事などもあり、記事を書こうと思っても中々書けません。うぬぬぬ。
とりあえず書くから。
話題の「Blanchard ペーパー」ですが、元論文が紹介されていたので、ざっと読んでみましたですよ。また嫌いな英語ですけど。
>マクロ経済政策の再検討~より高いインフレ目標値の検討~ - ハリ・セルダンになりたくて
以前に、ちょっと近い話を書いた。
>デフレはいつまで続くのか
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調節性ということで考えてみれば、金利幅が1%しかない場合に比べて、2%のレンジがあれば調節性は高まることはお分かり頂けるだろう。変動幅で考えたって、名目金利を1%から0.5%に落とせば、50%の変動となって相対的に大きな変動幅となってしまう。一方、2%から0.5%落としたとしても、これなら25%の変動幅で済む。金利という調節機構を見てみれば、変動中心のようなものがあって、仮にこれが3%あれば、調節によって上下1%変動させると2~4%というレンジでの調節が出来るのである。この変動中心が1%であると、0~2%となって、下限ギリギリでそこから下の調節機能は失われる。即ち、変動幅が1%を超えてくると、実質的に調節機能が全く作動しないというシステムになってしまうのである。もしこれが機械であったりすれば、誰もこのような設計をしないであろう。「調節機能が全く作動しない」ということを良しとはしないだろう。万が一、変動幅が1%を超えたとしても、”調節機能が全く失われるということがない”ように、たとえばセイフティ・マージンを0.5%とか空けておくであろう。機能が全く失われるようなギリギリのシステムなんて、危なっかしくて、普通は誰も作らないし、作っても採用されないであろう。そういう普通の発想さえも全くないのが、日銀である。変動中心が3%なら、調節域が上下2%あっても機能させられるのである。ところが、変動中心が1%であると下限が1%しかなく、それを超える変動に対してはリスクが高まる(確率的な問題であると思う)し、調節性は明らかに劣るのである。
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普通の思考力を持つ人間であれば、誰でも考えそうなことである。特別に変わったことを書いたわけではない。しかし、日銀には、そうした思考というものを持つ人が存在してこなかったということなのかもしれない。日本における金融政策という実務からは離れたとして、純粋に理論上とか仮説的に思考するということがあってもよいはずなのだが、そういう人も現れないということなんだろうか?
日銀内部のことなどはよく分からないが、「日銀の異常さ」というのは、世界でも例を見ない異常なのだということだけは、よく分かる。
日銀にだって、理論派の人たちもきっと存在しているだろうから、はっきり言っておくよ。
恥知らずなんですか?
力不足だった、不十分だった、うまくできなかった、間違っていた、等々、反省の弁というものはきっとあるのではないかと思うのですが、そういうのは日銀にはないのですか?
「日本は~だった」「~をやったが効果が殆どなかった」「諸外国と違って~だった」、というような言い訳を並べるのはよく聞くわけですが、それらに続く言葉というのは、「だから、日銀には責任はない」「我々は正しくやったが、効果が出なかっただけ」「他には手の施しようもなかった」といったようなものではないですか。
本当に、学問的に、理論として、自分たちが正しいと考えているのでしょうか?
もう、何と言いますか、形容しがたいですわ。
本物の●カとしか思えません。どうしてここまで頑迷でいられ続けるのか、不思議でならない。ここまで下手くそとかダメな連中だったら、普通はじゃあ交代、席を代って、とかになるでしょう?
或いは、あんまりにも悪い結果が連続していれば、恥ずかしくて「次も任せて」とか言えないでしょう?かなりの厚顔無恥でない限り、プロ野球の監督を20年やって優勝ゼロどころか万年最下位、年間100敗以上を連続達成だったら、恥ずかしくて次も監督やらせてとか言えないでしょう?
論より証拠、口で日銀理論をいくら言ったって駄目だったんだから、もう勝敗は決しているわけですよ。これまで日銀が言ってきた通りに続けたってダメなことは、すでに明らかになったんですよ。「日銀の言い分は間違っていた、日銀は無能だった」ということを立証する為に、20年の時間を無駄に費やしてきてしまったのですよ。その間、経済ばかりではなく国としての低迷で、多大な損失を蒙り、多くの国民の不幸をもたらしたというわけです。
基本的に「政策」という類のものなのだから、全部がうまくいくとか、全て正しくできるとか、効果が十分得られるとか、そういうのを期待しているわけではないんですよ。うまくいかないこともある、だったら「どうしたらいいか」ということを全力で考えて実行にうつし、国民生活を救うことに賭ける以外にはないでしょう?それがプロなんじゃないですか?
全能力、ありとあらゆる手段、そういうのを結集して、できる限りのことを全力でやるしか、他に方法なんてないでしょう?そういう姿勢、取り組み方、それが根本的に欠けているんです。日銀は、本当に全ての知性を結集してもなお、この程度なんですか?
狂ってるとしか思えない。
因みに、Blanchardさんは、日銀について、次のように触れていましたよ。
『The liquidity traps of the Great Depression, combining significant deflation and low nominal rates, were seen as belonging to history, a reflection of policy errors that could now be avoided. The Japanese experience of the 1990s, with deflation, zero interest rates, and a continuing slump, stood more uneasily in the way. But it was largely dismissed as reflecting the inability or unwillingness of the Japanese central bank to commit to future money growth and to future inflation, coupled with slow progress on other fronts. (To be fair, the Japanese experience was not ignored by the Fed, which worried about deflation risks in the early 2000s.5)』
これを読んで、日銀はどう思うのか?
日銀が将来の貨幣成長(?用語が判らん、マネー量が増大してゆくという成長過程のことであろう)と、将来のインフレについてコミットするのを「できない」とか「厭々、不本意」ということだから、それが反映されたということなんだそうですぜ。
Fedは2000年代早期にデフレリスクを危惧していて、日本の経験というものが無視されてきたわけではないとも言ってますぜ。
4%という水準の妥当性というのは、一概には言えないだろう。もっと細かい検討が必要であろう。例えば「3%と4%の違い」というのは、研究によって明らかにしてゆくべき、ということ。そういうのも過去に例示したことがあったはずである(こちら>直近のデフレ・リスク指数はどうなんでしょうか)。
調節性という点で見れば、「インフレ率が2%よりも4%の方が優れる」ということがあるとしても、下限域の広さが政策の全てというわけではない。薬と同じで、利点があれば欠点もあるのであり、当然ながら副作用というか有害作用というものもあり得るわけである。
具体的には、ペーパー中でも述べられているが、インフレ(税)というコストもそうだし、例えば長期金利の変動具合や実物資産価格の上昇率など(あくまで例示です)についても何らかの検討が必要になるのではないのかな。
一番気になるのが、為替の問題だろう。
為替による調節というのが、インフレ率の異なる多国間での貿易でどのような効果をもたらすか、ということがある。経済規模が小さく管理為替の国であれば、経済規模の比較的大きな先進国との価格差が貿易に影響を及ぼすかどうか、みたいな話である。先進国の国内価格上昇率が増大するが、小国が為替によって輸出価格を抑制するとひたすら外貨を買い続けることになってしまい、そういうのが別な問題を引き起こしたりはしなのだろうか、というようなこととか。2国間の為替変動による調整スピードが、物価上昇率の違いによって変わるのか、とか。
いずれにせよ、変動中心をどの水準に置くとよいのか、とういうのは、経済規模や潜在成長率などの複数要因で異なっているかもしれないし、それこそ「民族差」みたいなものがあるかもしれません。それは経済活動への姿勢とか、投資の基本的考え方とか、読み書きや計算能力とか、いくつもの要因があるかもしれないですからね。なので、一律に「○%水準」というのが通用しないかもしれない。そういうのを明らかにするのが、学問だろう。研究はその為にあるはずである。