いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

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ハムの先発投手がいきなり改心した件について

2009年05月15日 21時14分24秒 | いいことないかな
もの凄い効果が。
この前、酷評を連発したのだけれど、そうしたら、何と凄い勢いでしっかり投げるの巻。

日ハムの先発が崩壊している件について

これを書いた後に登場してきた先発陣。

7日 移動日
8日 ダル君 7回1失点 ○
9日 藤井 7回無失点 ○
10日 武田勝 6回1失点 ○
11日 移動日
12日 八木 9回1失点☆☆☆ 完投!○ 
13日 坂元3回3失点&谷元3回4失点 ●
14日 スウィーニー 6回無失点 ○

背水の陣で臨んだであろう、藤井とスウィーニーがすぐさま結果を出すとは(笑)。なんだ、やればできるんじゃないか。


13日の対田中マー君の試合は、まあしょうがないとして(いや、勝てればいいに決まってるけど、全部勝ちに行くのは難しいから、笑)、八木とスウィーニーで楽天から2勝したのは大きかったね。特に、八木は完投でナイスピッチングだった。

若手2人が打たれた次の試合で、スウィーニーが無失点で抑え、よく投げたと思う。いつもの悪いパターンだと、序盤でボコスカ打たれてしまい、投球リズムが取り戻せない、みたいになってしまうところだが、よく辛抱して投げた。藤井といいスウィーニーといい、力を出すのが遅すぎるんじゃない?(笑)


投手陣の立て直しが進んで、今のところ目だって死角はなくなってきた。
はっきり言って、ハムは強い。

例えば9日の試合なんかだと、ベテランらしく藤井が零封、菊池は登板試合が多くなって多分疲労かと思うけど、キレが悪くなったところを失点してしまい1点差に詰め寄られ、なおも8回ピンチの場面で武田久がよく踏ん張って切り抜けてくれた。
ああいう試合で、先発がよく頑張ったところを中継ぎ陣が壊すと、若い投手なんかはかなり凹むだろうけど、久がよくカバーしたもんね。接戦でうまく勝利できた。ああいう試合が大事だ。

その後も勢いは続き、マー君の試合はまあいいとして、首位決戦を1つ勝ち越し、2勝した試合の失点は結局わずかに1(8-1、7-0)だったからね。こういう勝ち方は強さの現れだ。移動日や八木完投のお陰で、中継ぎ陣も疲労から回復してきたのだろう。

結局、ダル君以外の5試合中勝利した4試合で、先発4人が2失点と「やればできる」というところを見せてくれたわけだ。

やはり、気持ちって大事なのかも。
中継ぎ陣も先発の後をうけて、よく踏ん張ってくれたしね。


野手では、売り出し中の村田が大変厳しいスタメン競争に名乗りを上げてきて、更に厳しい競争になってきている。
糸井やスレッジが外れることだってある、という、まさに「もったいない」くらいの選手層。それに、賢介がかなり元気を取り戻してきて、得点力が更にアップしたしね。盗塁で勢いを復活させた感じかな。一安心だよ。ハムのベンチ入り選手は野手だと殆どが出場していて、行ける人は誰でも力を発揮できそう。チームで戦っている、という一体感があるもの。だからこそ、集中打が生まれるのかもしれないね。多分、今年はまだ完封負けがない、というのは、凄いことだよ。

投手陣も先発が整ってくると、これまでのような失点は減りそう。
今のペースだと、貯金がかなりできそうだ。


本日も予定通り(笑)に、勝利しました。
いや、ホント、強いわ。



「銀行券ルール」と日銀の矛盾

2009年05月15日 13時19分20秒 | 経済関連
近頃の話題の一つに、所謂「銀行券ルール」というものがある。
日銀の言い分としては、「国の財政をファイナンスするわけにはいかない」という立場から、「長期国債保有残高は発券銀行券残高を超えない」ということのようである。

この場合、銀行券ルールには短期国債は含まれないようだ。何故なら、一つ前の記事に書いたように、長短国債を併せると、かつては90兆円以上の保有となっていたからである。となると、短期国債を目一杯持つなら合法じゃないか、ということになるのでは(笑)。私が圧倒的権力者の場合、いくらでも方法を考え出せると思うけど。これは本題ではないので、おいておく。

さて、銀行券ルールというのは、一見すると何か意味のある制度というかシバリのように感じる方々がおられるかもしれないが、本当にそうなんだろうか、と思ったりする。私には、自己矛盾としか思えないのである。その理由を書いていくことにするよ。


①日本銀行券はタダの「紙切れ」

前にも少し書いたけれども、紙幣というのは思い込みみたいなものと似ていて、確固たる約束が通用すると信じられているからこそ用いられているだけで、別に何らかの担保があるわけではない。兌換券ならば金とかその他財産と交換可能であるけれども、今はそういう制度にはなっていない。金本位制はとうの昔に崩れ去った。もっと昔みたいに、金貨や銀貨という財宝そのものを用いるのとも全く違うので、紙幣なんて「単なる紙」という以上のものではないのだ。実際、ジンバブエみたいなことになれば、ジンバブエ紙幣を受取った人たちは、別な国の紙幣をもらった方がはるかにマシだ、と考えたに違いないだろう、ということだ。「1ジンバブエドル紙幣なんて、ティッシュ1枚にもならない」と感じたことさえあったかもしれない。そういうようなものだ。

だから、日銀券だって何らかの財産と交換できるわけではないので、大勢の人々が信じている、というだけに過ぎない。


②日銀券を支えている「唯一のもの」は日本政府

日銀がよく言うセリフに「独立性」というものがある。正確には、どういった意味合いで用いているのかは知らない。学問的には定義が決まっているのだろうけれども、立場的に日銀が独立しているということなど有り得ない。それは、思い上がり(笑)か、勘違いではないか。

日銀の権威を保てる理由は、日本という国であり日本政府が存在しているから、である。他には一切ない。
正統性を与えているのは、日本政府である。日本銀行券の信認が得られるのは、日本政府があるから、である。「通貨の信認」とか何とか御託を並べる連中が日銀内部の人間にも、外部のエコノミストたちにもいるが、彼らには貨幣システムの本態が何なのかというのが理解されているとは思えない。日銀券の信認が得られるのは、日本という国、そして日本政府が存在するからに他ならない。


③兌換紙幣とは違う

銀行券は、金本位制であれば金と交換できるので、実際の金という実物資産が必要となる。それ以上の紙幣発行はできないし、それ以上の価値を持つということもない。根本的に、全ての紙幣にはその裏付けとなる実物資産が存在している、ということだ。今の日銀券はそうした裏付けなどない。日銀の持つ金塊は、ずっと少ない。到底銀行券に見合う量などではないのだ。

では、何故紙幣は発行されるのであろうか?
銀行券が通用しているのは何故なのだろうか?

単純に言えば「資産があるから」というだけだ。
金本位制であれば「金」という資産であるし、金貨や銀貨の時代なら「金」「銀」という実物そのものに他ならない。今の日銀券には、そうした実物資産の裏付けは存在していない。世界中の多くの国の紙幣が多分同じだろう。


④裏付けとなる資産とは何か?

また例で書いてみるよ。

今、芋男爵家、玉葱伯爵家、南瓜王家があるものとする。これらに貸付している銀行があって、それぞれX銀行、Y銀行、Z銀行としよう。借金の額は以下のようになっているものとする。

・芋男爵家 100 ← X銀行 貸付100
・玉葱伯爵家 200 ← Y銀行 貸付200
・南瓜王家 150 ← Z銀行 貸付150

さて、銀行券はそれぞれの銀行が運営しやすいように発行できるものであると、X銀行券、Y銀行券、Z銀行券という3種類があるということになる。この場合、人々はどの銀行券を用いたがるか、欲しがるか、ということである。

ヘンな銀行券を掴まされると、万が一銀行が倒産してしまった場合(万が一とも言えないか、割とよくある話かもしれない、笑)、銀行券はただの紙屑となってしまう。競馬場で握り締められる馬券のようなものと大差ないかもしれない。「その銀行がきちんと払ってくれるか」ということをどの程度まで信じられるだろうか、ということに行き着くわけである。
そうなると、各銀行の持つ資産内容を精査して、支払能力を調べなければならないということになる。また、「あの銀行は約束を必ず守る」「信頼のおける銀行だ」「必ず支払ってくれる」という名声や評判を獲得し、人々に信頼を勝ち取らねばならない、ということになるわけである。

で、上の例で見れば、各銀行資産として金貨のような実物資産がどれ位とか、貸付資産がどれくらい、ということを比較検討するわけであるが、実は貸付資産にも色々とグレードというものがあるわけだ。それが「借り手の信用」というものである。
金貨ならば現物資産だから誰でも評価が判るのであるが、「○○に貸している1000ドル」というものが「果たしてどの程度の信頼があるのか」ということの評価が難しい面があるのである。

けれど、社会全般に通用している信用の度合いが名声や評判といった「人々の思い込み」のような部分に多くが支えられているのである。喩えて書けば、

・芋男爵家は最近金回りがいいけれど、成り上がってきてまだ100年足らずで保有する領地も少ないよね、みたいな評価であると、あんまり信用度は高くないね=芋男爵にX銀行が貸してる100は焦げ付く可能性だってあるよね

・玉葱伯爵家は歴史が長くて領地が大きく税収も多いけど、戦争が弱いくせに戦争好きで突然戦費が嵩むことがよくあって、他からも借りてるから信用度は低目かもね=Y銀行の貸付200は玉葱伯爵家が戦争に負けたりすると危ないかもね

・南瓜王家は力が強く一番の名声を得ており、これまで全ての借金を払ってきたので、他2つよりも信頼できるよね=王家がZ銀行から借りてる150はまずまず堅いよね

というように、評価が分かれるわけである。玉葱伯爵家に貸すよりは、芋男爵家に貸す方がいいだろうし、それらよりも南瓜王家に貸すのが一番安全で手堅い儲けを得られるであろう、ということだ。借り手の信用度によって、貸し手側の資産評価が影響を受けてしまうということで、それは「銀行の安全性」=銀行券の信頼度ということにつながっていくわけだ。
銀行券の信用度が最も高ければそれが選ばれてきたであろう、ということで、多分、王家=そこの統治者が借り手であると信用されるようになっていったのであろう。イングランド王みたいなものだ。
今では王が支配するのではないから、王家の借金ではなく「国の借金」、すなわち国債ということになるであろう。銀行券発行の裏付けとなる資産というのは、

・金のような実物資産
・その他実物資産
・誰かへの貸付金 等

で、「誰か」の信用度で銀行の資産評価が変わり、最も信用度が高いと目された「誰か」とは「国王」であり、それは引いては「国の借金」ということになっていったわけであろう、と。

だから、実物資産以外で考えると、一番信用度が高い資産としては「国への貸付金」ということになるわけである。他の銀行とか企業への貸付金というのは、国への貸付=国債に比べると信用度が低いのだ。現代の常識としては当たり前の話なのだけれどもね。


⑤日銀券の裏付け資産とは何か?

日本銀行券はタダ何の理由もなく発行できるわけじゃない、と前の記事に書いたのは、発行額に見合う資産が保有されているから発行できるのだよ、ということを意図したものだ。上記例で言えば、Z銀行には金塊とか農地という不動産のような実物資産以外に、南瓜王家への貸付金という資産があるからこそ、Z銀行券を発行しても多くの人々が使ってくれるわけである。銀行券は紙切れに過ぎないのに、それが約束の証となっていて通用するからこそ紙幣の意味を持つのである。

では、日銀の主な資産とは何か、ということになるが、それは王家への貸付金ではなく「政府への貸付金」、すなわち保有する日本国債ということに他ならないではないか。日本国の政府に対する貸付があるからこそ、それを担保として日本銀行券を発行できるのだ。もし日銀を大勢の人々が信用しなくなっても、日本政府がバックについていて保証してくれるだろうと思っているからこそ、紙幣には資産の裏付けがなされているという幻想が守られているのだ。日本政府が必ず約束を守って払ってくれるはずだ、と信じて疑わないからこそ通じているだけである。


なので、日銀券に疑義を生じ、誰もが「オレの財産を返してくれ」ということを言い始めると、日銀は保有する国債を売却し日銀券以外の別な形の財産で支払わなければならなくなるだろう。これは私企業の社債みたいなものと似ているかも。
いつでも返還に応じますという社債があるなら、額面100万円分の社債を持っていくと100万円のお金で払ってくれる、ということになるのです。その100万円分はどこから調達してくるかと言えば、その企業が持つ資産(現金か預金かその他資産かは知らない)から金を工面して100万円分で払ってくれる、ということになっているわけですから。日銀券であっても、こうした社債のようなものと変わらないでしょうね。なので、日銀が持ってる国債を売って別な資産に変えなくちゃならない、ということです。社債なら、社債という「紙切れ」から「お金」という別な資産に変換できますけれども、紙幣を別な資産に置き換えるって、現実的にはかなり難しいんですよ。金の形で返してくれ、とか、土地で返してくれ、とか、誰かへの債権の形でくれ、とか、そういう特殊なことしかできないので。

でも、本当は兌換紙幣じゃないから、日銀券を別な資産にして返してやる必要性なんかないのだけれどもね。誰もが信じないぜ、ということになったら、それはただの紙切れになってしまいますね、というだけです。日本の経済は混乱し、メチャクチャになってしまうでしょうね。だって、紙幣が通用しなくなってしまい、金銭的評価が行えなくなってしまうのですから。物々交換時代へと逆戻りしてしまいかねません。


なので、日銀の紙幣発行の裏付けとなる資産の大半が「国への貸付金」、すなわち日本国債なのであり、こういう資産がなければ日本銀行券は発行できません。国債の裏付けで日銀券を発行し、銀行券で国債を買えば無限膨張が可能になってしまうのではないか、という恐れがあるのかもしれませんが、それが所謂ハイパーインフレといった「通貨価値が崩壊し、紙幣が紙屑になってしまう」ような状況を生み出すことになってしまうでしょう。需要と供給という教えは、経済学の基本的なものであり、過剰に供給を続ければ供給過多となって価格が下がるのは当然でしょう。したがって、無限膨張などは自らの破滅的経済状況と引き換えに行うようなもので、そんなことを目的としたい人などはいません。


⑥銀行券ルールは単なる自己矛盾

日銀券は日本国債という裏付け資産がなければ発行できないというのに、逆に、国債を購入するのは「リミットがある」という言い分は明らかにおかしいでしょう。それは紙幣発行の根拠となしている、日本国債という資産の信用を貶めるようなものだからです。信頼度の高い資産であるからこそ購入に値するものであるのであって、日銀券の裏付けとなっているということは、ほぼ等価とみなせるが故でしょう。資産価値のないものを購入するわけでもないのに、日銀券で何を購入しようといいではないか、ということですよね。少なくとも株券よりは安全性が高いとみられるはずの日本国債が、「購入するには値しない」かのような発言は問題でしょう。

ある中央銀行の負債サイドが次のようになっているものとします。
 銀行券 50
 その他負債 30
 自己資本 20

合計で100ですね。
では、資産サイドはどうかというと、

 公的機関への貸付金 40
 私企業への貸付金 50
 金塊 10
の合計100であると、私企業への貸付金が50もあるので「リスクはあるよね」と考えるでしょう。ところが、日銀ではそうではないのだそうです。銀行券残高よりも「公的機関への貸付金」が少ないので、「より好ましい」ということを言うわけです(笑)。

 公的機関への貸付金 80
 私企業への貸付金 10
 金塊 10
のように、銀行券発行残高の50を超えて「公的機関への貸付金」が80もあるなら、これは「銀行券ルール違反だから、悪い資産内容だ」と日銀は言うわけです。どう見ても、下の資産内容の方が「安全性が高そう」なのに、です。銀行券発行の裏付けとなっている資産を否定しても、このルールを守りたいということらしいです。だったら、国債保有を禁止すればいいのにね(笑)。