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薬物規制の境界線

2006年05月13日 14時10分45秒 | 社会全般
「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」の47thさんから御質問を頂戴いたしました。御礼申し上げます。上限金利規制問題に限らず、「規制」全般にも関係してくる問題でもありますね。

コメントを再掲させて頂きます。

『私もヘロイン解禁は反対なんですが、そのときに自分に問うのは、タバコ、アルコール(と金利規制(笑))はOK(あるいは、副次的な規制で足りて)、ドラッグが駄目なのは何故かという点です。
まさくにさんは、その辺りの線引きをどこで引かれるているのか、機会があれば聞かせてください。』



まず、社会規範というか道徳的にどう考えるか、ということは別にして考えてみたいと思います。私自身は麻薬を解禁するのは反対ですが、確かオランダには「マリファナ喫茶」だったか(カフェとかバー?かもしれません)があるそうで、「所変われば」という部分はあると思います。昔の「ポルノ」問題も北欧(スウェーデンとか)では良くて、日本でダメなのはオカシイ、みたいな感じであったと思います。そういう各国の事情や社会道徳的な考え方は色々とあると思いますので、とりあえず別にしておくとします。


以前の記事に、「キノコ」や「薬物」にたとえて書いたのですが、「何を、どれくらい」という基本的な危険性の指標・判断のようなものが最低限必要なのではないかと思います。

参考:
貸金業の上限金利問題~その7
すみすさん、経済学院生さんへのお答え


薬剤需給の現状を考えると、これにも情報の非対称性が存在します。使用者が供給側である医師や薬剤師と同程度に判断することが難しいので(国民全員がそのレベルに到達するには、逆にコストが多くなってしまうと思います)、代わりに医師・薬剤師などが判断をします。では、判断の基礎的な情報とは何か、ということになれば、薬剤の常用量、すなわち「治療(安全)域」と「中毒域」の判定ということになると思います。有効かどうかが判っている時、あとは「種類、投与量」などを判断することが必要です。複数種類を使用する場合には、相互作用も考えねばならないでしょう。それらの判断を「使用者」が行うか、「供給側」が行うのか、ということは、判断の難しさ(一般の人々でも自分で考えて同じように判断できるかどうか)によると思います。


OTC薬のような比較的簡単に手に入る薬物は一般個人でも容易に入手できますが、これらの薬物は「安全域が広い」薬物であって、尚且つ極端に言えば「倍量」飲んでも中毒域には達しない、という剤形になっていることが殆どではないかと思います。つまり、説明によれば「一日一回一錠」と仮になっていたとしても、一日に2錠とか3錠とかを「飲んでしまう人もいるかもしれない」ですよね。それでも、こういうことがごく稀に起こったとしても、生命の危機には陥らない、ということです(非常に稀な特異体質であるとかアレルギー反応を示すような―特にアナフィラキシーショックを来たすような―人はどのような場合でも事前には防げませんが)。勿論、このような誤った服用を長期間継続したりすれば、身体的な影響は明確に出てくるかもしれませんが、あまりに意図的な服用の誤りでは、使用者に重大な過失があると言えると思います。製薬会社はそういう注意を十分して、製品として供給している、ということです。これは「供給側の注意・努力」ということだと思います。


それらよりも比較的危険度の高いと考えられる薬剤については、薬事法等で法的規制を受けています。使用者側の過誤であっても場合によっては重篤な副作用等が発現し使用者への影響が少なくない、というものについては、そういった規制も止むを得ないのだろうと思えます。更に、安全域が狭く、場合によっては重大な影響が出るような薬物については、供給側に殆どの責任があります(例えば、注射薬の大半がそうですね)。前に鎮痛剤の例を書いたように(その2)、このような「鎮痛」自体は使用者側が判断しうるものですが、仮に(投与量制限のない)PCAサーキットを設置しておいて、患者自身が使ってしまった結果過量投与となった時に、「何度もボタンを押す方が悪い」と考えることに問題があると思います。使用者側にはそこまでの判断を求めるのは難しいからです。つまりは「供給側が注意する」ということになります。


麻薬の危険性というのは、その種類などによって変わってくるので、危険性のグレードで分けて考える必要があると思います。昔のアヘン戦争のように(笑)、アヘンを禁止にしたから戦争になったということではありませんが、アヘンを自由化するといいかと言えばそれは違うだろう、と思います(当時、アヘン禁止を緩和する政策を訴えた官僚がいたそうですが、大反対にあって失敗したそうです)。やはり、一般人に判断をさせたとしても、重篤な被害が生じ難い程度であることは最低条件ではないかと思います。外国の薬物規制が緩和されている所でも、おそらく「種類・量」の規制はされているのではないかと思います(調べたわけではないので、不正確かもしれませんが)。


あと、大きな問題になると思うのは「薬物依存」だろうと思います。薬物依存度の非常に強い薬剤は、当然禁止するべきであろうと思います。依存には、精神依存という部分もありますが、これは行動要因的なものですので、事前に防ぐことは難しいと思います。アルコール類であっても、所謂「アル中(アルコール中毒)」と世間で言われる状態がありますが、これも依存であることに違いはありません。タバコも同じです。依存性をなくす、というのは、精神依存に関しては中々難しいな、と。しかし、薬物自体の「依存性」は薬物の性質によって決まるので、事前にコントロールすることはある程度可能であろうと思います。弱い依存性しかないものについては、規制は緩くてもよく、強い依存性の薬物は当然厳しい規制が必要なのではないかと思います。アルコールについては、「トラ退治法」(笑、前に触れました)という法規制を一応は受けています。タバコに関しては、広告規制を受けたり、「健康被害を訴える」文言を常に入れなければなりません。最近では、法的に喫煙場所の規制が行われています(「健康増進法」でしたか?)。更に、酒税やタバコ税の付加(行政の介入)によって、実質的には「価格規制」を受ける為に、どちらも規制市場と言えるのではないかと思います。


どんな規制を用いたとしてもアノマリーの存在をなくすことは困難だろうと思います(人間の行動要因に関する部分だから?)。「スピード狂」だって、速度規制があってもなくても関係なく出現してくるのではないかと思います。高速道路の速度規制を外すと交通事故の発生件数を減少させられるかと言えば、そうでもないと思います。自動車の供給(メーカー)側は、安全装備や衝突安全性などを高めることで死亡事故を減らそうと努力しています。使用者の行動を現実的に規制するのが難しい面があるからでしょう。法規制や運転免許更新などの啓蒙・教育によって、使用者の異常行動や過誤を減少させるように制度的にはなっていますが、それでも事故は発生するし、死亡事故や違反は起こります。供給側はそれなりの努力をし、規制面でも行政が介入して努力はしている、と言えるでしょう。被害が少なくないからであろうと思います。


所謂「アル中」の場合には、被害が交通事故災害に比べれば小さいか、社会的に大問題となるほど目立たないのかもしれません。時々新入生などの「急性アルコール中毒」で死亡ということもありますが(これに対しては傷害罪や傷害幇助罪などで部分的に規制されますよね)、厳格な規制を設けるという認識には至っていないからであろうと思います。薬物としてのアルコールは、個体差は確かに大きいですが、比較的「安全域」が広く、OTC薬と似ていると思います。使用者側が「反復、継続して大量に摂取」を続ければ、重大な被害を生じるというものであり、それは風邪薬であっても同じです(保険金殺人事件で、ターゲットに大量のアセトアミノフェンを飲ませ続けた、というのがありました)。薬物依存性の問題はありますが、麻薬や覚醒剤ほど強くはないと思います。他の犯罪発生の背景になるかということで考えても、麻薬や覚醒剤の使用者の方がアルコール中毒者よりも多いのではないかと思います。それと、アルコール中毒者の場合には、通常身体的な障害が顕在化してくる為に周囲の人間などによって気付くこともあり、病的な状態となっている「アルコール中毒者」は「病気」ですので、治療が必要ということになります。しかし、多重債務を病気として認定できるか、というのはちょっと難しい面があるかと思います。


<ちょっと寄り道:精神依存は何に対しても生じてしまう可能性はあると思います。例えばワーカホリック=まさに仕事+アルコール中毒ですね、笑、インターネットやネットゲームなどもある意味依存症的かもしれません。中毒は、アル中のように普通は理解されていると思いますが、別に反復して使用するとか継続して使用するとかには必ずしも関係ありません。一度の使用であっても、量的に過量となって有害作用が起これば「中毒」です。時間的な区分では、慢性中毒・急性中毒という風な言い方もありますけど。>


結局、薬物の基本的性質によってグレードを設定していくしかなく、その判断の基準となるのは、個々の薬物の危険性や依存性などの問題であろう、と思います。その結果、「種類・量」などの規制をどのように考えるか、ということが出てくると思います。それと、社会の受け入れがたさ、道徳的判断などとの比重というか、価値判断のバランスは、そこから先の議論ではないかと思います。更に、供給側には「注意や努力」というのが課せられている、ということも、重要ではないかと思います(使用者側に全ての判断を委ねるのは困難である、と考えるべきではないか、と)。




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4 コメント

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ありがとうございます (47th)
2006-05-14 23:36:54
そうですね。薬物に関しては依存性の強さと行動への影響という要素を個別に見ていく必要があるんでしょうね。

あと、金融や自動車の運転などと比べると、おそらく医療の場面を除けば、薬物の場合、それが禁止されていることによるデメリットというのは大きくない、別の言い方をすると、薬物で得られる効用というのは、他のもの(ネットでも仕事でもいいんですが(笑))で代替が効きやすいという面もポイントのような気がしています。

ご質問にお答え頂きありがとうございました。
大した答えもできず・・・ (まさくに)
2006-05-15 23:13:48
スミマセン。代替ということは、全く頭にありませんでした。なるほど、と思います。



こちらの失礼にも関わらず、長々とお付き合いさせてしまって、申し訳ありませんでした。コッソリ読みに伺うように致しますので・・・
Unknown (所感)
2006-05-17 00:16:58
アルコール、タバコは税が課せられているが、闇の麻薬にはない。。。そこは大事なポイントだと思いますが。。。その辺りの切り口がないのは残念です。。。



酒税・タバコ税には触れてますが (まさくに)
2006-05-18 16:36:50
麻薬を禁止にするよりも解禁して税をかける方が有効、ということなのか、闇市場では課税できないから解禁すべき、ということなのか、ちょっと判らないんですが、どちらも薬物の危険性を抑えられるかどうかは、私には判りません。



タバコ税に課税しているからといって、タバコそのもののリスクを軽減することにはならないからです。しかし、政策として考えると、購入意欲を減退させるには都合がいい、ということなのかな、とは思います。

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