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法学教育の将来がおもいやられる

2008年09月29日 18時56分34秒 | 社会全般
どういうわけだか、フリードマンを持ち出せば済むと思っているらしい法学関係者はいるようだ(笑)。ロースクールや法学教育に重大な疑念を抱き始めた今日この頃ですが、旧制度の司法資格の方々とか大学教授クラスであっても、信頼に足る主張をするというわけではない、ということが判ったように思います。


司法試験合格者削減論への反論by米倉明教授@戸籍時報630号57頁 - ボ

(一部引用)

また,弁護士の水準を保つためには,弁護士の人数を保つべきという論理は成り立たないとして,医師の人数について同様の指摘をしたミルトン・フリードマン「資本主義と自由」を紹介されています。

さらに,法曹の質の低下については,旧司法試験合格者のレベルを要求するのではなく,ロースクールで3年間普通にしっかり勉強すれば到達するレベルでよいとし,また,質の維持については,弁護士の能力についての情報公開により,能力ない弁護士が国民から見放されて淘汰されればよいとされています。

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経済学理論で考えてみる、というのは多いに結構。しかし、それがどの程度現実に適用できるものであるのか、ということには慎重さが必要ではないか。特に、大学教授とか、法学関係の役員などをやっていて、言説に影響力を持つような人であるなら、「よく考えてから言え」と思わないでもない。

法曹の数を抑制するということの意義は、確かにあまりなさそう。医師の参入制限を少なくして大幅に人数を増やし、「収入水準を減らせばよい」とか言ってた人(某O弁?)もいたような気がする。が、法曹の規制や数の抑制をなくせばよい、という意見を聞けば烈火の如く怒るかもしれない(笑)。
経済学者とか、経済関係の言論をメシの種にして生きている人たちとか、誰でもなれるようなものであれば、「ニセ理論」とか「いい加減な主張」とか、大体何でもアリってことになっていて、その正しさは誰にも判らない、というような業界もあるので、そういうのと同程度の水準でいいならば、金儲けの為にあることないこと何でもござれ、ってことで、「消費者が判断すればいい」というような結論に達するかもしれない。
参入規制がない、というのは、ある意味「パラダイス」であり、ウソでもニセでもまかり通るということにできるわけだ。そうやって、人々から金を巻き上げたとしても、信じる方が悪い、見分けられない方がバカなのだ、ウソは淘汰されるから大丈夫だ、ということらしいから。実際、そんなことが達成されていますかね?市場の淘汰が、本当に機能していますか?自信を持ってそう主張できる経済学者がいるなら、是非ともご高説を拝聴したいものです(笑)。

まあ、多くの場合には、法学教授だろうが、経済学教授だろうが、弁護士であろうが、ニセの理屈を用いて商売したり、ウソを言っているのに「生き延びている」連中は大勢いる。そんなものに、淘汰なんか働いていない。普通の人々には、「誰が本当のことを言っているか」なんてことは正確にはわかりっこないからである。ウソが十分通用してしまっているからである。これはニセ医者であっても同じ。何年か何十年かニセ医者として営業していたとしても、一般人にはウソがウソとして見抜けないので、間違いだろうが何だろうが適当に診断名を付けて、薬を処方すれば「殆どの病気」はそれで対処可能であるからだ。自分の体が勝手に治してくれることが多いか、重大な病気になっていないで受診する人の割合がかなりいるからではないかと思う。


もし規制しないということを考えるなら、究極的には、どの業種であっても「資格」は必要ない、ということになるだろう。弁護士も医師も建築士も会計士も、誰もが営業できることにする、ということでよいだろう。そうしたとしても、「程度の低い」人間は、市場が淘汰(笑)してくれるはずだからだ。これを実践するとどうなるかというと、多分互いに信じることができなくなっていくので、非効率的な社会となってしまうだろう。手抜き工事の家やビルを建てられたとしても、多くの素人には気付くことができない。なので、自分自身が建築士と同程度の見分ける知識水準が必要になるだろう。そうじゃないと、程度の低い建築士を掴まされてしまうからだ。医師にしても、有能かどうかは自分で見分けられるようになるまで医学に詳しくなれば、ダメな医師に騙されずにすむかもしれない。つまりは、医師でもあり弁護士でもあり建築士でもあり…、そうやってオールマイティな、スーパーサイヤ人じゃなかった、スーパー知識人みたいになれ、ということだな。そこまで能力を高めたとしても、正しい経済理論を主張している人間が誰なのか、ということは、やっぱり判らないかもしれないが(笑)。


薬品・薬剤にしても、基準を設ける必要性はない。規制が悪だからだ。もし害があるなら、それは市場から排除される(笑)。だから、誰でも薬品を販売してもいいということにするべきだ、と言うのだろう。悪い商品というのは、市場の淘汰が働くのであろう?
食品の偽装にしても同じだが、基準値なんかいらない、ということだね?市場が正しく見抜いて、危険な物質が混入している場合においても、市場から排除されるに違いない。

本当にそうなんですか?
危険な粉ミルクは排除されるはずだ、とか、重篤な副作用がある薬品は排除される、とか、本当にそんなことが言えますか?規制がなくても、みんな間違うことなく健康被害のある製品は、「買わなくなる」んですね?
そりゃ、絵空事だろうね。

多分、規制にかかる費用全部をなくして、何か問題が発生した場合には事後的に補償すればよい、というような発想なのかもしれない。その方が「得だ」というようなことなんだろう。で、粉ミルクで死んだとしても、しょうがない、と。

誰でも何にでもなれるって素晴らしい。規制がないって、最高ー!
手術をちょっとくらいミスって誰かが死んでも、規制がない方が社会には役立つのだ、と。下手な医者は市場が排除するから、いいんだ、と。それは「命で払え」、と。代わりに「賠償金でどうにかするぜ」、と。
何でもかんでも賠償金でカタをつけることになることでしょう。で、弁護士は大儲けなんですね?(笑)


少なくとも、現時点においてでさえ、「質に疑問のある、能力のない弁護士」が普通に生き延びていたり、特定の「○○利権」なんかに群がっていたり、見放されるどころか蔓延っているという面があるように見えなくもない。
一般人にとっては、完全に質を見分けることなどできないのだ。


経済学者の意見を伺っておきたいのは、「あなたの命の値段はいくらですか?それは、ジンバブエの1人平均と同じですか?」だな。
GDP論争にも通じるのだが、経済理論で「命の値段」が算出できるのであれば、それを計算する方法というものについて、出してもらいたいね。それは、恐らく「普遍性」のあるものなのだろう。全世界でどこでも通じる「経済理論」であるはずであろう。
具体的に言えば、「『人の命』は平等・等価なんかじゃない。お前とオレの命の値段は違う」とはっきり示せばいい。それを証明できるのであれば、「たとえ1万人死んでも、規制がない方が『得だ』」というような主張が出されてしまうことも不思議には思わなくなるだろう。


結局、命の値段が安ければ安い程、「失敗した場合の対価」が小さくなるので、規制を撤廃してもよい、ということに傾きがちだろう。しかし、命の価値が高ければ「失敗した場合の損失」が天文学的数字になるので、「規制した方がよい」という意見に賛成するのではないかと思う。


ちょっと追加。

多くは、正しく判断することなど難しいのだ。だからこそ、今の状況が生じたんだから。格付けは評判とか評価機関の出した採点結果みたいなものなのに、それでも、悲惨な混乱を招いてしまったではないか。

サブプライムに怯える世界市場

この記事を書いたのは、わずか1年前。
多くの人間がいかに正しく判断できないか、ということが改めて再認識された、ということなのではないか?


市場が排除する頃には、大きな被害を蒙るということがあるのだ、ということを考えてみるべきだろう。賢明な人間なんて、そう多くいるわけじゃない。格付けとか、権威機関の出す評価なんかを信じても、やはり「騙される」ことはあるんじゃないか(笑)。



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2 コメント

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Unknown (小倉秀夫)
2008-09-30 13:18:49
医師の場合は,医師たちこそが医師不足を訴えているのだから,それならば増やせば良いではないかという話になるのは当然であって,そこで「医師を増やすにあたっては,医師が従前どおり高級でいられるように,国の富をじゃんじゃん医師に移転すべきだ」という議論に与するかどうかの話だとは思います。
(まして,医師不足を解消するために,少々のミスで患者を死なせても大目に見ろというのは筋違いだと思いますし。)

弁護士の場合,弁護士たちは弁護士不足だと思っていない(むしろ,ここ数年弁護士会からが新人弁護士を受け入れてくれとの嘆願が会員に寄せられるほどの供給過剰)ので,弁護士を増やせばよいと言う話にはなりにくいかと思います。
Unknown (まさくに)
2008-09-30 23:51:10
個人的には、弁護士の供給を増加させること自体に賛成というわけではありませんが、米倉教授ご推奨の参入規制を緩和(撤廃?)策を絶対に阻止したいという意志も持っていません。ただロースクール卒後の「仕事の見つからない学生」さんは気の毒だな、とは思いますけれども。独学でなれる道が残されているべきだろうとは思っています。言ってみれば、「ロースクールバブル」で学校や教官に恩恵があったろうと思いますが、粗製濫造と見分けがつかないかな、とも思っています。

医師を増加させよ、という意見は多分勤務医中心に起こっているのだと思いますが、恐らく開業医は反対しているであろうと思います。増加策を今から始めたとしても、10年以上経過しなければ効果は出てこないと思いますので、むしろ適正配置や開業医との分担協力などで対応する方が、即効性はあるのではないかと考えています。
「~大目に見ろ」という話は、数の問題には無関係であると思いますし、参入規制にも関係がないと思います。

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