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GMが破綻する日

2009年06月01日 16時06分28秒 | 経済関連
遂に、この日がやってきた。死刑宣告の日だ。

GMは判決を仰がねばならないのである。長い歴史を持つ世界的大企業であっても、巨大な図体が災いして瀕死となってしまうのである。何より、多くの米国人がGMを必要とはしなくなっているということが、巨大企業をここまで追い込んだと言っていいかもしれない。破綻も止むなしという選択を大勢の米国民が支持しているということこそ、GMは「アメリカ」ではなくなったということなのだ。それは、終わりを宣告したも同然なのである。GM破綻を決定づけたのは、米国の消費者たちであり米国民だった。


しかし、GMの物語が終わったとて、米国経済が立ち直れるわけではない。リーマンの如く「GMが消滅したとしても構わない」という意見はごくありふれているが、もしもそれが本当に現実のものとなれば、恐らく米国は「失業ストーム」に襲われるであろう。ただでさえ失業率が13階段を上がるがごとく上昇してきたのに、今ここでGMが斃れれば巨大ハリケーンの追い討ちとなってしまうであろう。カトリーナの通過した1週間後にグスタフが直撃するようなものである。その時、米国経済は果たして持ちこたえられるのか、という恐怖はあるだろう。失業が失業を呼ぶという、失業の連鎖を招いてしまうかもしれない。そうなれば、本当の大恐慌への道へとなってしまうだろう。だから、米国政府はGMの完全なる「突然死」を容認したりはしなかった。ハリケーンの大きさがどれくらい酷いものであるか、想像できたからだ。GMを「死なせるわけにはいかない」という事情が、オバマ政権に苦渋の決断をさせたのだ。


かつてのGMの繁栄や成功というのは、まさしくアメリカ的なものであり、企業がよりよい仕事を提供することを通じて雇用者たちの幸せを数多く生み出していった。手厚い社会保障や年金などは、そうした企業の精神を表していたかもしれない。今となっては、「高コスト体質」と非難されてしまうのだが、従業員が安心して働けるということがそんなに悪いことであるとは思わない。高コスト体質だからダメになったとも思えないのだ。多分、そういうことじゃないんじゃないかな、と思うのである。

会社が、会社自身の為に存在するようになってしまったからではないか、と思える。人々の為に存在する会社ではなくなったのだ、ということ。そうして、奈落の底に落ちていった。米国民の多くがコストの高い車だから買うのを止めたのではなく、GMという会社が米国民から離れていったのだ。人々が望むものを売ろうとしたのではなく、会社が売りたいものを売ろうとしただけなのではないだろうか。会社は、「売れないなら、売れるようにすればいい」という戦術をとったんじゃないのか。あの手この手で、会社が売りたいものを売るのを止めなかったのだ。まさしく大企業病のようなものになってしまったのだ。だからGMという会社からは、米国民の心が離れていってしまったのではないか。


故に、今後の再建策には懐疑的意見が少なくない。
コスト削減や経営陣の給料を大幅に引下げたとしても、離れていった心を取り戻せるかは判らないだろうから。待っているのは、復活劇か、それとも緩慢なる死か。今の時点では、わからない。