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大学教育の未来

2006年07月29日 18時16分41秒 | 教育問題
これについては色々な御意見があると思いますが、私の考え方を書いておこうと思います。

Sankei Web 社会 私大定員割れ40% 地域・規模、二極化進む0725 0828


まず、全国的な私立大学の定員割れですけれども、こんなことは既に20年以上前から判っていたことです。出生数の減少トレンドが続いて行けば、将来「学生の奪い合い」となるであろうことは明白です。このような事態はどうして起こってきたのかというと、恐らく次のようなことではないかと考えています。


団塊ジュニア世代は同年齢人口が多くなっていることは明白でした。それ以前の世代では同じ学年に150~160万人程度しかいなかったのに、これが190~200万人に増加するのですから、同じ進学率であっても実需は大幅に増加が見込めたのです。丁度今の30~35歳くらいの世代ですね(小学校・中学校・高校時代にも、教室が足りなくなったり、校舎を拡大したりして対応したと思います。今では半分くらいの出生数に落ち込んでいますから、校舎の統廃合が進むでしょう)。仮に40万人増加(160→200万人)で進学率をどちらも同じ40%としても、16万人の入学者増があったのです。実際には、給与体系の違い(高卒と大卒では明らかな違いがあった)もあって、進学率自体が増加したはずです。つまり、同年齢人口の増加+進学率増加で、実需は大幅に増加したのです。


このような環境でしたので、一種の公共事業的な新設校・学部新設が相次ぎました。「地方にも大学を」という陳情が多くなり、町おこし・村おこしみたいな感じで、文部省の認可を取り付けたがったはずです。そりゃそうですよね。学校が作られることで、潤う部門も当然あるのですから。用地取得、多額の建設費、新たな雇用人員、下宿や食堂などの需要・・・色々とあったはずですね。特に、事業規模が数十億円にもなる場合もあったかもしれませんよね。そうした事業は部分的には補助金なども投入されたりしたかもしれないですね。なので、地方にも私立大学というのは増えていったのではないかと思います。学校側は「入れ物」を用意してさえいれば、大した努力も苦労もせずとも、学生は集まってきたかもしれない、ということです。そういう時代だった。


ところが、こうした定員大幅増という恩恵も長くは続かず、次第に同年齢人口は減少していくので、いずれは経営的に苦しくなることは容易に予想されました。初めのうちは、進学率上昇ということで実人数(同年齢人口)減少分はある程度カバーできたでしょうが、それも限界がやってきますよね。


昔みたいに、「女の子は短大を出て、ちょっとOLで勤めた後、社内恋愛で相手を見つけて結婚」というような状況は、少なくなっていったでしょう。「女性も社会進出を」「男性と対等に仕事をしよう」という意気込みで、かつてのように「女子には高学歴・学問はいらない」というようなこともなくなっていったでしょう。そういう流れもあって、短期大学は4年制大学へと変更され、女子大は共学に変わり、単科大学は総合もしくは複数科へと変わっていった。これらは、全て「学生数が減少する」ということへの「対策」として行われた面が強かったのではないだろうか。団塊ジュニアのピークが過ぎた後には、生き残り競争がスタートしていたのだ。


一方、高卒で直ぐに働く人の割合が減少していき、世の中の風潮としては、大学に進学するか、目的があってもなくても専門学校に入ってとりあえず1~2年過してから就職する、というような感じが増えたのではないでしょうか。なので、学生数は減っていくが「専門学校」は新設が増えて、こう言っては失礼だと思うが、あまり役に立たない「実践的知識」を植えつけたり、就職できないけれど「職業的技能」を仕込んだり、ということが行われているのではないかと思いますね(案外と理解に苦しむような、意味不明な専門分野もあったりしますし)。まあ、専門学校を選択しているのは、学生さんの自由だと思うし、それが将来には無関係なことであっても、本人さえ望むならばそれでもいいとは思います。

参考記事:内田樹の研究室 「日本のへそ」で教育を論ず

それから、有名私立への集中ですけれども、これも就職難とかの影響もあるのかもしれませんが、「ブランド志向」というのは強まっていて、「皆が有名大学に殺到する、有名大企業の求人に殺到する」というようなことになっているのかもしれませんね。ここからこぼれた人たちは、負け組だか無業者だか(?、こういう区分には意味がないと思いますが、一般的にはそういうようなことが言われてたりするので)になったりして、格差とかの根本にある、というようなことなのでしょうか。無名の地方私立なんかを出ても、地元で仕事があればいいのですが、それも厳しかったりして、有名企業への就職なんかは「夢のまた夢」みたいになっちゃってるのかもしれません。大企業への就職自体が、たとえ有名私立大学を出てる人であっても、中々困難であったのかもしれませんよね。全国的には有名な日大とか東海大とか、そういうマンモス大学を出た人たちがどのような就職があったのか、とかは知りません。


このような推移の中で、全国的に私立大学の定員は増加し、同時に教官の需要もそれなりに増加したのではないかと思われる。即ち、大学そのもののある種の「粗製濫造」という側面と、そこでの「大学教員の質」がどうなったのか、という問題は起こってきたに違いない。仮に、全国に「大学教授」が300人しか存在しなかった時代と、3千人存在する時代では、その水準は大きく異なるであろうことは推測できる(今、何人位いるのかは知らないです)。人間の能力の分布が、20年程度の違いによって大きな変化があるとも思えないが、もしそうだとすれば、昔は極めて少ない、全人口の上位数%の研究者のみが教授であったのに、今ではその枠が下方に大きく広がって、なおかつ平均水準が低下している可能性はあると思う。これは他の大学教官も含めてそうなってしまってるかもしれない。就業する際のハードルが下がった、ということでもある。


このように振り返ってみれば、大学が増えたことで入学者も増加し、教官も増加したのだが、それは人口構成の上では範囲が広がったのであり、教育を受ける側の学生も、提供側の教官も、平均水準は低下してきた可能性が考えられる、ということである。今は、何とか学校法人の食い扶持をつなぐために、昔の「短大→4年制」としたのと同じく「大学院重点化」を行って、1人の学生の就学期間を出来る限り延長することで「1人単価」を上げてきたようなものである。それでも、今後の学生数減少は止まらないので、必ず淘汰される学校は出てくる。専門学校も同じだ。海外留学生を大量に入れる、とかならば、多少は補えるかもしれないが(確か事件になったと思うが、中国人が入国だけを目的として大量に大学入学を果たし、殆ど学生が通って来ないような大学もあった)。


で、大学が存続していれば、質の低下した大学教育提供側である教官も残っているのであり、そういう人々はかつての「団塊ジュニア」世代対応時期に大量に採用・供給され、学生数が減少した今でも残ったままなのだ。学生の人数が減ることで1人当たりの対応を充実させ、学生の能力向上に努めたりするならば、就職も割りと良くて、学生や企業の評判がいいかもしれない。だが、何も取柄の無い大学ならば、学生は減っていくに決まっている。そもそも、大学のブランドなんかを信頼するのがよくないのであれば、伝統校だろうが無名校だろうが関係なく、提供される教育の質で決められるべきであろう。内田先生が憂慮するような、大都会の学生を多く集めている大学は、それなりに歴史ある伝統校でメジャーなブランド校なのであり、地方の新規参入組の私立大学を死に追いやっている張本人とも言えるであろう。


三流学者風情が、ぬくぬくとぬるま湯に漬かり、見かけだけは教授だとか何とかのポストを与えられ、実際には何の論文も著作もなく、これといった研究もないという程度の教官はゴロゴロいるわけで、かといって「教育の質」がとりわけ他の人よりも高いのかと言えば全然そんなことはなくて、そういう大学や教官たちが淘汰を免れることにあまり意味はないと思う。大学教育を義務教育にでもするのであれば、人気低迷校さえも生き延びられるかもしれないが。