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「web」は「structure」を超えられるか・その2

2006年04月16日 19時19分23秒 | 俺のそれ
何かの画期的な変革によってもたらされた変化は、それなりに各分野に影響するのであるが、古い時代のものが全て消え去るわけではない。

再び生物の話に戻ろう。進化の過程で生物に神経系の複雑な仕組みが備わった後にも、神経系以外の伝達システムは依然として残されており、全てが「ネットワーク伝達」に切り替わったりしないのである。これはある意味不思議なのだが、脳や神経といった「効率的な」システムが確立されて以後に、それまでの曖昧な伝達システムを残す意味というのがどれほどあるのか、ということでもある。多分、進化の結果、全部をネットワーク型にするよりも、有効だったのかもしれない。それか現在が完全ネットワーク型への移行過程なのかもしれないけれど。それとも、アナログ信号方式の方が有効な分野は、古いシステムを残した方がいいのかもしれない。単に、刺激の「あり・なし」という情報伝達ではよくないということなのかな。


絵の具でいうと、2色で「赤」と「青」という表現形式がネットワーク型で用いられる情報であり、古いタイプの伝達形式では同じ「赤」であっても、水彩画のボカシみたいに薄い赤から濃い赤まで境界なくあって、その全てが「赤」であるということだ。「赤」「青」という情報にはそれぞれ特定の決まりがあるのだが、色の濃淡には「決められない情報」が載せられており、そのことに意味がある、ということだと思う。


更に、生物の伝達物質には非常に古典的なものが未だに残されており、それは逆に普遍的であることに意味があるのかもしれない。代表的なものは、カルシウム(Ca)だ。骨の構成成分であるし、体内では割とよく観察される普通の成分である。何処にでもある、と言ってもいいくらいだ。細胞内でも普通に見られる物質(多分ナトリウムよりは多いだろう)なのである。酵素のような大型のタンパク質分子でもなく、極めて単純な物質である。カルシウムがなければ各種の反応カスケードが作動しない、ということはよくあるはずであり、重要な反応過程に深く関与していることが多い。出血すると血が固まる(血液凝固)反応があるが、カルシウムがなければ固まらないのだ。それに、筋肉の収縮だって起こせないのである。いくら脳から右腕を動かせ、という指令(電気的信号)が来ても、ピクリとも動かすことができないのだ(社長室から社長が「売上実績を上げろ」といくら命令しても、現場の営業マンがその通りには売れないのと同じ?笑)。


誰しも知っているような「カルシウム」(生体内で機能するのは陽イオンの形だろう)という単純かつ古典的な物質は、多数の重要な反応を担っている。伝達形式も、神経ネットワークのような情報伝達システムとは違った形で機能しているのである。生物において、神経ネットワークを獲得しても、カルシウムの伝達物質としての機能や関与する反応は消滅しなかった。ネットワークとは違った伝達形式を有し、アナログ的な振る舞いを見せるとしても、進化の過程で排除されずに残されてきたということは、大変興味深いのである。


現在のインターネット世界の更なる隆盛があったとしても、古いタイプの伝達形式は維持されると思う。その情報伝達の重要度が大幅に低下する、ということもないと思える。ネットワーク伝達が万能ではない、ということでもある。むしろ、組み合わせによって効率化が進むのだと思う。具体的なビジネスモデルはわからないけれど、個々の企業には成功や敗北はあるかもしれないし、それで「巨人企業」が誕生したとしても、その地位はいずれ脅かされるだろう。それはネットワーク世界の宿命でもあると思う。マクロ的な趨勢としては、今後web世界の経済的価値はある程度までは上がると思うが、この商売であっても過去の経験則からは逃れられず(笑)、次第に成長率が落ちていくので、低コストでも仕事を取りにくる国・個人に大方はシフトしていくだろう。今のインド人みたいなものですね。


既にITバブル期を経ることで、興亡の傾向は見られており、何でもかんでも「IT」で成功できた黎明期から、選別が進み生き延びたものたちだけが果実を手に入れられるようになってきただろう。その中で、もっと生き残りをかけた選別が進み、多くのプロバイダ業者たちが整理されて消滅していったように、ネット企業の整理統合は進むだろう。多くは大企業に集約されていき、新たな創造性を持つものたちだけが生き延びられるだろう。利益水準が大きいかどうかは別だとは思うけれども。


生物の体に占める脳神経系のエネルギー消費は、一つ一つで見れば割合としては多い(例えば細胞一つ当たりで見たりすれば)が、全体からすれば大半を占めたりはしない。なので、webの生み出す価値が、それを取り巻く(或いは支える)現実世界における実体を伴うstructure部門を凌駕したりはできないだろう、というのが私の感想です。どんなに優れた脳(=ネットワークシステム)であってもそれ単独の存在(=何も出力できない)では無価値であるし(そもそもスタンド・アローンは不可能ですけど)、構造担当の細胞・組織群は必須であり、出力系(筋肉などの、一般に脳よりも程度が低い(笑)と目されがちな細胞・組織群ですね)や代謝・維持システムの方が多くを占有するのである。それ故、webというネットワークシステムはどんなに価値が高まっていったとしても、古くから普通に存在し、古典的とか進化の程度が低いとかバカにされるような部門の価値を超えて行くことはできない、ということです。


グーグルという企業は凄いらしいのだが、神経ネットワークのような仕組みから考えると、まだ初歩的段階に到達しただけではないかと思える。今後検索エンジンの凄さ、というのは、初めの頃に比べれば重要度が相対的に低下していくだろう。従ってエンジンを支配するグーグルの現在の地位というのは、別なビジネス手段を見つけ出すか他の分野にシフトしない限り、持続するとは思えない。アップルが独創的なMacという「パソコン」で成功を収めたけれど、その成功は長くは続かなかったし、新たなiPodというビジネスで稼げるように変わっていった。そういう創造性がなければ、後進の低コストで耐え抜ける連中がヒタヒタと追いすがってくるから、いつまでも成長を続けることはできないのである。偉大なる巨人IBM(笑、本当にそういう評価かどうかは各人の判断にお任せします)といえども、すでに「果実」を食べ終えてしまったパソコン事業を「レノボ」に売却せざるを得なかった。とっくに成長を終えた低成長分野(プラトー期に入ってしまっている分野)の少ないエサに食いついて、世界各地から事業をひたすら集めている中国であるが、貧乏であるからこそ、そういう戦術が可能と言える。日本や米国企業では、利益率が低すぎて「合理的ではない」ということなんだろう。


検索エンジンがどれほど強力で、「今まで知らなかった」効果を持ち、新たな発見に繋がることがあったとしても、それはいっときの変化だと思う。そこには次なる価値が生まれてこなくなるだろう。グーグルのエンジンは、ネット世界の「何かのルール」の一つを提示したに過ぎないのではないか。多数の(無数の?)可能性の中から、抽出パターンの一つを例示しただけだ。神経組織で言えば、たまたま「一つの刺激物質による刺激伝達」というルールを獲得しただけだろう。そうだな、例えばカプサイシン(この前、韓国人スリ集団が逃げる時に使った催涙スプレーの成分として発表されてたよね?)による刺激電流発生、という一つのルールを作ったようなものだ。


これは残念ながら求心路(受容器からの信号入力で、刺激を脳に伝える)に過ぎないのではないかと思う。バラバラに存在する刺激物質の検出、という求心経路の入力パターンの見本を作っただけのように思える。本当に価値が高いのは、遠心経路(命令・出力系統)にこそあると思う。それは、「ゴルフができる」「自転車に乗れる」「文字が書ける」というような複雑な総合的制御を必要とすることとか、「小説が書ける」「絵が描ける」「作曲ができる」というような「ないところから、何かを生み出す」という創造性こそが、価値が高いと思うからである。


現在のwebではそこまで期待するのは難しいだろう。当面の間は、アニメ世界の中かSFだけに留めておくべきなのかもしれない。



「web」は「structure」を超えられるか

2006年04月16日 14時06分51秒 | 俺のそれ
今ハヤリの「web2.0」関連話はきっと優れモノだと思うけど、この現実世界への影響がどの程度なのかは、私にはよく判らない。きっと新たなビジネス、サービスやライフスタイルを確立することに違いないと思うが、人間の本質を大きく変えることはないと思う。他の多くの人々がどう思っているかはよく判らないのだが。

しつこいようですが、過去の記事を参考までに。

参考記事:

マスコミの存在意義
ネット言論の試練1
ネット言論の試練2
サイバー・デモクラシーは醸成できるか~2
情報とは何か?
続・情報とは何か?(追記後)



以前の記事のように、生物で考えてみようと思う。私には学者のような正確な知識はないですが、知っている範囲で色々と考えてみることにします。



生物進化の過程で神経組織を獲得したことは画期的なことだったろう。それが現在の人間のような中枢神経系を持つようになって、脳が色々なことを考え出せるようにもなった。脳のような極めて複雑精緻で巨大な神経ネットワークが作られたことで、さまざまな創造性を獲得できた。こうした脳の神経ネットワークに似ているのが、サイバー・スペースにおけるネットワークだ。


原始的な生物は、神経組織も複雑なネットワークも持たないから、「脳の発達」というものがない。そこでの情報交換の形は限られたものしかない。だが、人間は脳という神経ネットワークを持つことで、さまざまな発達・成功を獲得した。創造性もそうなのだが、極めて特異な想像・空想という「仮想空間」を自己に内在させられるようになった。この空想とか想像といった脳の働きによって、実際には存在しないのにあたかもそれが目の前に実在するかのように考えることが可能なのである。到達したことのないような深海や、登ることなどできないであろう山の頂にさえも、自分がそこに立っているかの如くに想像することができるのである。このことは、サイバー・スペースと似たところがあると感じている。


しかし、この仮想空間を内在させられる脳という器官が、人体の全てではない。全体から見れば少数派の存在でしかない。圧倒的大多数はもっと別の組織や細胞である。勿論脳のエネルギー消費量はかなりの部分を占めていることは確かである。脳重量は高々1.6kg前後(体重の3~4%程度)でしかないが、酸素消費量は全体の2~3割などといわれる。重要度の高いシステムではあるが、生体の根幹ではない。高度で複雑な思考などが可能な大脳皮質などよりも、むしろ生命維持のための脳幹部分の方が実は重要なのである。高度な部分を担う組織よりも、原始的で単純な組織の方が、生存には不可欠なのである。


これを人間社会に置き換えると、どういったことが考えられるだろうか。ネットワークのエネルギー消費はい今後も増大傾向だろう。簡単に言うと、ネット世界では「お金をたくさん使うようになる」ということだと思う。経済的価値はそれなりに高くなり、そこでの経済活動(人体でいうところの代謝かな)によってたくさんのお金が消費されるようになるだろう。その為利益も増えるだろう。だが、いずれそのビジネスモデルも頭打ちに近づいていくだろう。脳が現在のところ体重の1割にも達していないことからも、それは容易に想像がつく(笑)。ある化学反応の反応速度のように、急速に立ち上がっていったグラフの傾きは、次第にプラトーへと向かうだろう。何かの革命的な変革が起こった当初は、大抵そうだろう。


例えばそれまでの人力による「機織」でやっていた時には生産量が少なかったが、紡績機械が発達して何百とか何千倍もの量の生産が可能になれば、経済的価値は凄く増えただろうし、その経済活動によって莫大な利益はもたらされただろうが、いずれその価値上昇にも限界点が近づいてくるのだろうな、と。初めのうちは成長率が数百%とかの上昇だったが、段々と成長率は小さくなっていき、数%とかコンマいくつとかのごくごく低い成長率へと落ちていってしまうのであろう。経済価値の小さな部門(国や個人)ではその極々僅かな伸び率でさえ意味のある成長であるので、そこに飛びついてくるだろう。先進国ではそんなカスみたいな経済価値上昇では割に合わないので、別の成長率の高い分野へと移っていくだろう。


そのような構造変化が起こったとしても、誰も裸で歩いてはいないし、線維産業自体が消えることもない。オールドな産業ではあるが、今までと同じく何処かには残されることが多いだろう。中には消える産業もあるが、それは大抵代替されてしまったものであろう。公衆電話は次第に消滅していくが、これは携帯電話に代替されたようなものだ。しかし、電話産業が登場した時には、それは画期的な変化であったことに違いはないだろうし、経済価値・規模も高まったけれども、そこから生み出されるエネルギー(収益)は成長限界が近づき、成長率は著しく鈍化するのだ。それでも、電話そのものが消え去った訳ではない。


ネット世界での大きな変革が起こったとしても、現実世界での大幅な変更がどれほど起こってくるか、というのは未知であろう。ただ、「不要」という認定を受けた産業は、他のもので代替されるか、いずれ消滅するだろう。その認定は利用者・消費者たちの態度によって行われる。「チチキトク スグカエレ」という電報が、今ではどこにも配達されてはいないだろうな、と。それでも祝電は何故か慣例として存続しているのだけれど。


(つづく)