私のような経済素人が、経済学者を3人も擁する経済財政諮問会議に難癖をつけると思われても困るのですが、どうしても基本的考え方に同意できない部分があります。まず年金問題の解決を本格的に考慮するべき、ということを度々申し上げてきましたが、ここを変えなければ税制とも一体的に取り組めないのではないでしょうか。ここを棚上げした状態でありながら、医療費総額のマクロ経済指標導入に意欲を燃やす、というもの納得が行きません。解決するべき道筋は、他にもあると考えるからです。諮問会議や内閣府は十分否定できる論証を行うべきです。これは論理的政策論争ですので、単に抵抗勢力がどうのこうの、という話ではないこともご理解頂けるものと思います。
年金財源を消費税にすることの経済学的評価はどうなのか、というのは、以前にも記事に取り上げました。経済財政諮問会議の基本的考え方は、EBPM(Evidenced based policy making)でありましょうから、政策決定過程の透明性確保と合わせて、政策決定が単なるレントシーカーの影響とか行政サイドの独善的判断ではないことが明示される必要があります。その意味において、社会保障改革についても、政策決定の正当性を担保する基本理論は重要視されるべきです。諮問会議の示した基本方針に対する反論があれば、それについての反証や説得的説明が求められるのは当然であろうかと思います。
年金一元化によって、公務員の特権的受給権や制度間格差はなくなりますし、国民年金未納問題も消滅します。全く年金保険料を払わないで過してきた人々に対する将来時点での生活保護費用支給という代用年金と同等の制度による未納者と既納者との不公平をなくせます。また、未払い保険料回収費用(これは恐らく年間で何十億円かの規模で使われているはずでしょう)も無くすことができます。
紹介記事:
「破局のスパイラル」(追記後)
経済学は難しい9
ここで、上の記事中で紹介した、いくつかの文献を再び挙げてみたいと思います。これらの参考記事を書いた時には、出典を明らかに示していませんでした。何故なら、内閣府の研究所というものがどのような位置付けになっており、何の為の行政機関における研究であるのか、ということを問いたかったからです。行政担当ならば、行政機関内で行われる研究を政策へ反映するという基本的姿勢が求められるのが当然と考えましたし、ましてや行政府の「頭脳」「司令塔」の役割を果たすべく内閣府でありながら、自らの所管である経済社会総合研究所の研究成果を単に放置していることが疑問に思えたのです。そのことについても記事に書いてきました。
①ESRI DPS No.95「年金負担は誰がするべきか?」(島澤、2004)
現行制度での年金受給世代や既に年金負担を行っている世代の効用水準を低下させはするものの、経済活性化と将来世代の効用水準を増加させる、という報告です。つまり、年金財源を消費税に求めた場合には経済拡張的に作用し、既にかなり積みあがった国の債務(将来世代の負担)を考えあわせると、将来世代の年金部分での効用水準増加は世代間のバランスを大きく失するものではないと思われます。
著者も指摘している通り、このシミュレーションはあくまで思考実験的な意味合いということもあって、一概に政策決定の絶対的基準とはなり得ないでしょうけれども、逆に昨年の年金改革案についての政策決定の論拠(何かのpaperでよいでしょう)を明示するか、島澤paperを否定する論拠若しくはこれよりも明らかに有利となるような理論を提示するべきです。そうでなければ、何をもって昨年の年金改革案を決定できたのですか?旧制度を上回る有利な点が理論的に証明されないのに、全くの「勘」で決めたとでも?他のプランを選択しなかった思考過程は、どのような論理性を持っていたのでしょうか?
少なくとも経団連、経済同友会のいずれのシンクタンクのシミュレーションにおいても、一元化及び消費税財源の年金制度を支持する提言が示されているのであるから、これらを否定できる経済学的論拠を提示するのが義務であるし、昨年の年金改革の正当性を証明するべきである。証明出来ないのであれば、年金制度改革へ向けての最善策をevidenceに基づいて検討していくことが行政担当の役割でしょう。
②ESRI DPS No.121「高齢化・社会保障負担とマクロ経済」(長谷川ら、2004)
このpaperは『経済財政白書』にも採用され、掲載されていましたので、お読みになられた方々も多いかもしれません。この中では、社会保障負担の給付・負担を重い場合と、軽減した場合で比較し、両者に10兆円の差が出来るようなモデルでのシミュレーションです。結果としては、軽減策を選択する方が経済拡張的に作用すると考えられ、少子高齢社会への対応としては、給付・負担の軽減を図ることが有利であろうと思われます。白書では、この結果をもって(他の論点も示してはいましたが)「小さな政府」指向の正当性をイメージさせ、尚且つ医療費削減の論拠(年金改革は昨年済んだので、残るは医療費だと)にしようとしたのでしょう。実際に、医療保険についても本シミュレーションにおいては変動要素となっておりますが、これが年金給付・負担を軽減することを上回る効果を持つとも言えないのではないかと思います。
高齢世代への給付は、マクロ的には年金でも医療でもほぼ同等の意味を持つと思われ、単純に医療給付を削減しても若年層の負担軽減にはならないだろうと思います。年金負担の方が金額的にもはるかに重いのですから。医療給付が年金給付を上回る水準というのは、今後25~30年間は訪れることはまずありません。現行制度を維持するシミュレーションでも上回ることがないのですから、改革の重要度・影響は年金の方にあるのです。社会保障給付・負担のセットで考えるべきと思います。
③電力中研 社会経済研究所「国家破綻回避のシナリオ」(服部、2004)
これは前に書いた記事の中でも出典を示していました。このpaperの持続的成長ケースでは、年金給付水準の1割弱を削減すると共に消費税を上げるという条件になっております。給付水準を下げ、負担が徐々に増加させたとしても、経済成長を促進することが出来れば国家財政は持続可能となることが示されております。内需拡大が25年度までに70兆円規模が必要ということも条件となっています。経済財政諮問会議でのご意見のような医療費の総額規制によって、将来時点での医療費を20兆円規模でカットした場合には、大幅な内需抑制要因となって、マクロ経済に大きな影響を及ぼすと考えられます。この危惧を払拭できる理論やevidenceを示すべきです。
医療費の削減は最終的には達成するべきと考えますが(今までに医療制度改革についての記事を書いてきましたのでそちらを参照下さい)、医療制度上の問題点を放置したままでの単なる総額規制は望ましい選択とは思いません。寧ろ、地域間格差を大きくしたり、医療過疎を加速すると思われます。また、市場原理主義的な方向性を絶対的に目指すのであれば、行政からの補助金を全廃するようにしなければ、医療機関ごとに格差を生じ、イコール・フィッティングが達成されているとは言えません。元々公的病院等に大量の補助金や施設整備費等を投入してきて不採算体質を助長し、官業として介入を続けてきたのは行政です。旧国公立病院、大学病院、社会保険関係(労災、年金、共済、旧国鉄、旧電電・・・)の病院等は慢性的な赤字・不採算で、ある種の官業として過去に国民のお金を大量に飲み込んできました。それらへの補助金は当然のことながら全て止めるべきです。行政府がそういった慢性赤字の病院を次から次へと生み出し、そこへ金を流し込んできたのですよ。そういうところに漫然と予算を貼り付け続け、一方では医療費総額規制というのは、明らかにオカシイんですよ。官業を優先的に扱い、政策的に保護しているのと同じです。「民間に出来ることは民間に」「官から民へ」というスローガンは、見せかけだけのニセモノですか?とても困っている地方医療確保などに資金を配分するべきです。
④RIETI DPS 04-J-019「財政問題のストック分析:将来世代の負担の観点から」(高橋、2004)
今まで記事に出していないpaperですけれども、郵政民営化法案作成の基礎を作って名を馳せた財務官僚出身の高橋洋一氏によるものです。当然政府内でも彼の業績や理論には高い信頼性があるものと理解しています。
高橋氏がこのpaperの中で、年金についても触れています。申し上げたいことの一つは、年金のバランスシートを取り上げており、「オープン・グループ基準」では01年度末時点において、厚生年金は552兆円、国民年金は73兆円の積立不足となっていると述べていることです。コトリコフを引いて、日本の年金財政は先進各国との比較においても最悪な状況に属し、世代会計の不均衡是正の為には歳出の26%カットか歳入の16%引き上げが必要と示しています。今の年金制度を継続する限り、たとえ昨年の年金改革で物価スライドを取り入れたとしても、世代会計の不均衡は是正されるはずもなく、国の債務が大幅に積みあがった状態で、この他に年金の積立不足を埋めることなど出来ないのです。また、計算に用いられた出生率が1.34ではなく直近の1.29という数値を用いれば、将来債務は結局増大することになるのです。
04年度の年金改革への評価としては、オープン・グループ基準で809兆円から620兆円に減少し多少の効果を見せていますが、依然対GDP比で120%程度の積立不足となっており、米国の0.4%と比較すれば将来持続可能性について疑問を呈しております。
もう一つは、ストック分析上では「社会保険料」と「税」による本質的な違いがないこと、法的性格も税と違いはない、ということを述べていますので、仮に年金保険料が税に置き換わったとしても問題ない、ということだと理解しています。改革案での運用収益についても3.2%(爆、←私の注です。原文には勿論ありませんよ)という高い水準の予定ですので、これが達成されないと更なる保険料増額や給付引き下げが必要とも述べています。
(預託金が消滅して長期金利以下の運用成績しか出せない連中が、何をボケたことを言うのかと思ってしまいますね。それだけ豪語するなら、まず結果を出せと言いたい。3.2%を達成出来もしないのに、それを改革プランに入れた竹中大臣や経済財政諮問会議の民間議員たちは空いた穴を埋めてくれるのか?誰が責任をとるのだ?予定通りならば毎年6.4兆円の運用収入だが、現実には2兆円以下だろう?医療費削減よりもはるかに大幅な損失だぞ?4兆円以上なんだぞ?この数字の意味が判っているのか)
これでは、04年度の改正が年金問題の解決にはなっていないということになるのではありませんか?高橋氏のあくまで個人的見解であり、彼は信頼に足らない人物ということになれば、彼が策定した郵政民営化プランは信頼が出来ないということになり、逆に彼も郵政民営化プランも信頼できるということであるなら、この年金改革への評価もそれなりに信頼出来る、ということになると思います。このような評価を無視して、政策決定を行うことが正しい選択と言えるのでしょうか?
以上述べた論点①~④に対して、反証なり他の理論なりの正確な説明と、諮問会議の正当性を証明できる論拠の明示が必要ですね。
また、何度も申し上げている通り、医療費総額規制が経済学的な正当性を持つということを経済財政諮問会議は証明するべきです。上に挙げた論点の反証もなければ、政策決定は単なる思い込みとか勘に過ぎない、ということが否定出来ませんね。それはまるで圧勝した議席を背景にした、多数派の横暴と何ら見分けがつきませんよ。それで、経済学者と言えるのでしょうか?
年金財源を消費税にすることの経済学的評価はどうなのか、というのは、以前にも記事に取り上げました。経済財政諮問会議の基本的考え方は、EBPM(Evidenced based policy making)でありましょうから、政策決定過程の透明性確保と合わせて、政策決定が単なるレントシーカーの影響とか行政サイドの独善的判断ではないことが明示される必要があります。その意味において、社会保障改革についても、政策決定の正当性を担保する基本理論は重要視されるべきです。諮問会議の示した基本方針に対する反論があれば、それについての反証や説得的説明が求められるのは当然であろうかと思います。
年金一元化によって、公務員の特権的受給権や制度間格差はなくなりますし、国民年金未納問題も消滅します。全く年金保険料を払わないで過してきた人々に対する将来時点での生活保護費用支給という代用年金と同等の制度による未納者と既納者との不公平をなくせます。また、未払い保険料回収費用(これは恐らく年間で何十億円かの規模で使われているはずでしょう)も無くすことができます。
紹介記事:
「破局のスパイラル」(追記後)
経済学は難しい9
ここで、上の記事中で紹介した、いくつかの文献を再び挙げてみたいと思います。これらの参考記事を書いた時には、出典を明らかに示していませんでした。何故なら、内閣府の研究所というものがどのような位置付けになっており、何の為の行政機関における研究であるのか、ということを問いたかったからです。行政担当ならば、行政機関内で行われる研究を政策へ反映するという基本的姿勢が求められるのが当然と考えましたし、ましてや行政府の「頭脳」「司令塔」の役割を果たすべく内閣府でありながら、自らの所管である経済社会総合研究所の研究成果を単に放置していることが疑問に思えたのです。そのことについても記事に書いてきました。
①ESRI DPS No.95「年金負担は誰がするべきか?」(島澤、2004)
現行制度での年金受給世代や既に年金負担を行っている世代の効用水準を低下させはするものの、経済活性化と将来世代の効用水準を増加させる、という報告です。つまり、年金財源を消費税に求めた場合には経済拡張的に作用し、既にかなり積みあがった国の債務(将来世代の負担)を考えあわせると、将来世代の年金部分での効用水準増加は世代間のバランスを大きく失するものではないと思われます。
著者も指摘している通り、このシミュレーションはあくまで思考実験的な意味合いということもあって、一概に政策決定の絶対的基準とはなり得ないでしょうけれども、逆に昨年の年金改革案についての政策決定の論拠(何かのpaperでよいでしょう)を明示するか、島澤paperを否定する論拠若しくはこれよりも明らかに有利となるような理論を提示するべきです。そうでなければ、何をもって昨年の年金改革案を決定できたのですか?旧制度を上回る有利な点が理論的に証明されないのに、全くの「勘」で決めたとでも?他のプランを選択しなかった思考過程は、どのような論理性を持っていたのでしょうか?
少なくとも経団連、経済同友会のいずれのシンクタンクのシミュレーションにおいても、一元化及び消費税財源の年金制度を支持する提言が示されているのであるから、これらを否定できる経済学的論拠を提示するのが義務であるし、昨年の年金改革の正当性を証明するべきである。証明出来ないのであれば、年金制度改革へ向けての最善策をevidenceに基づいて検討していくことが行政担当の役割でしょう。
②ESRI DPS No.121「高齢化・社会保障負担とマクロ経済」(長谷川ら、2004)
このpaperは『経済財政白書』にも採用され、掲載されていましたので、お読みになられた方々も多いかもしれません。この中では、社会保障負担の給付・負担を重い場合と、軽減した場合で比較し、両者に10兆円の差が出来るようなモデルでのシミュレーションです。結果としては、軽減策を選択する方が経済拡張的に作用すると考えられ、少子高齢社会への対応としては、給付・負担の軽減を図ることが有利であろうと思われます。白書では、この結果をもって(他の論点も示してはいましたが)「小さな政府」指向の正当性をイメージさせ、尚且つ医療費削減の論拠(年金改革は昨年済んだので、残るは医療費だと)にしようとしたのでしょう。実際に、医療保険についても本シミュレーションにおいては変動要素となっておりますが、これが年金給付・負担を軽減することを上回る効果を持つとも言えないのではないかと思います。
高齢世代への給付は、マクロ的には年金でも医療でもほぼ同等の意味を持つと思われ、単純に医療給付を削減しても若年層の負担軽減にはならないだろうと思います。年金負担の方が金額的にもはるかに重いのですから。医療給付が年金給付を上回る水準というのは、今後25~30年間は訪れることはまずありません。現行制度を維持するシミュレーションでも上回ることがないのですから、改革の重要度・影響は年金の方にあるのです。社会保障給付・負担のセットで考えるべきと思います。
③電力中研 社会経済研究所「国家破綻回避のシナリオ」(服部、2004)
これは前に書いた記事の中でも出典を示していました。このpaperの持続的成長ケースでは、年金給付水準の1割弱を削減すると共に消費税を上げるという条件になっております。給付水準を下げ、負担が徐々に増加させたとしても、経済成長を促進することが出来れば国家財政は持続可能となることが示されております。内需拡大が25年度までに70兆円規模が必要ということも条件となっています。経済財政諮問会議でのご意見のような医療費の総額規制によって、将来時点での医療費を20兆円規模でカットした場合には、大幅な内需抑制要因となって、マクロ経済に大きな影響を及ぼすと考えられます。この危惧を払拭できる理論やevidenceを示すべきです。
医療費の削減は最終的には達成するべきと考えますが(今までに医療制度改革についての記事を書いてきましたのでそちらを参照下さい)、医療制度上の問題点を放置したままでの単なる総額規制は望ましい選択とは思いません。寧ろ、地域間格差を大きくしたり、医療過疎を加速すると思われます。また、市場原理主義的な方向性を絶対的に目指すのであれば、行政からの補助金を全廃するようにしなければ、医療機関ごとに格差を生じ、イコール・フィッティングが達成されているとは言えません。元々公的病院等に大量の補助金や施設整備費等を投入してきて不採算体質を助長し、官業として介入を続けてきたのは行政です。旧国公立病院、大学病院、社会保険関係(労災、年金、共済、旧国鉄、旧電電・・・)の病院等は慢性的な赤字・不採算で、ある種の官業として過去に国民のお金を大量に飲み込んできました。それらへの補助金は当然のことながら全て止めるべきです。行政府がそういった慢性赤字の病院を次から次へと生み出し、そこへ金を流し込んできたのですよ。そういうところに漫然と予算を貼り付け続け、一方では医療費総額規制というのは、明らかにオカシイんですよ。官業を優先的に扱い、政策的に保護しているのと同じです。「民間に出来ることは民間に」「官から民へ」というスローガンは、見せかけだけのニセモノですか?とても困っている地方医療確保などに資金を配分するべきです。
④RIETI DPS 04-J-019「財政問題のストック分析:将来世代の負担の観点から」(高橋、2004)
今まで記事に出していないpaperですけれども、郵政民営化法案作成の基礎を作って名を馳せた財務官僚出身の高橋洋一氏によるものです。当然政府内でも彼の業績や理論には高い信頼性があるものと理解しています。
高橋氏がこのpaperの中で、年金についても触れています。申し上げたいことの一つは、年金のバランスシートを取り上げており、「オープン・グループ基準」では01年度末時点において、厚生年金は552兆円、国民年金は73兆円の積立不足となっていると述べていることです。コトリコフを引いて、日本の年金財政は先進各国との比較においても最悪な状況に属し、世代会計の不均衡是正の為には歳出の26%カットか歳入の16%引き上げが必要と示しています。今の年金制度を継続する限り、たとえ昨年の年金改革で物価スライドを取り入れたとしても、世代会計の不均衡は是正されるはずもなく、国の債務が大幅に積みあがった状態で、この他に年金の積立不足を埋めることなど出来ないのです。また、計算に用いられた出生率が1.34ではなく直近の1.29という数値を用いれば、将来債務は結局増大することになるのです。
04年度の年金改革への評価としては、オープン・グループ基準で809兆円から620兆円に減少し多少の効果を見せていますが、依然対GDP比で120%程度の積立不足となっており、米国の0.4%と比較すれば将来持続可能性について疑問を呈しております。
もう一つは、ストック分析上では「社会保険料」と「税」による本質的な違いがないこと、法的性格も税と違いはない、ということを述べていますので、仮に年金保険料が税に置き換わったとしても問題ない、ということだと理解しています。改革案での運用収益についても3.2%(爆、←私の注です。原文には勿論ありませんよ)という高い水準の予定ですので、これが達成されないと更なる保険料増額や給付引き下げが必要とも述べています。
(預託金が消滅して長期金利以下の運用成績しか出せない連中が、何をボケたことを言うのかと思ってしまいますね。それだけ豪語するなら、まず結果を出せと言いたい。3.2%を達成出来もしないのに、それを改革プランに入れた竹中大臣や経済財政諮問会議の民間議員たちは空いた穴を埋めてくれるのか?誰が責任をとるのだ?予定通りならば毎年6.4兆円の運用収入だが、現実には2兆円以下だろう?医療費削減よりもはるかに大幅な損失だぞ?4兆円以上なんだぞ?この数字の意味が判っているのか)
これでは、04年度の改正が年金問題の解決にはなっていないということになるのではありませんか?高橋氏のあくまで個人的見解であり、彼は信頼に足らない人物ということになれば、彼が策定した郵政民営化プランは信頼が出来ないということになり、逆に彼も郵政民営化プランも信頼できるということであるなら、この年金改革への評価もそれなりに信頼出来る、ということになると思います。このような評価を無視して、政策決定を行うことが正しい選択と言えるのでしょうか?
以上述べた論点①~④に対して、反証なり他の理論なりの正確な説明と、諮問会議の正当性を証明できる論拠の明示が必要ですね。
また、何度も申し上げている通り、医療費総額規制が経済学的な正当性を持つということを経済財政諮問会議は証明するべきです。上に挙げた論点の反証もなければ、政策決定は単なる思い込みとか勘に過ぎない、ということが否定出来ませんね。それはまるで圧勝した議席を背景にした、多数派の横暴と何ら見分けがつきませんよ。それで、経済学者と言えるのでしょうか?