電脳筆写『 心超臨界 』

想像することがすべてであり
知ることは何の価値もない
( アナトール・フランセ )

人間通 《 吝嗇――谷沢永一 》

2024-06-29 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


吝嗇(けち)は人間社会が助け合い尽くし合い凭(もた)れ合いであるという根本の事情を理解しない。貝殻のなかに閉じこもっている。持ちつ持たれつの連帯感情がない。人のために何かをしようとはしないから他人(ひと)の親切が感知できない。人間の情を解する神経(センサー)が欠けている。ゆえに彼らは例外なく忘恩の徒である。自分の事だけしか念頭にない勝手者(エゴイスト)である。人と人との結びつきを保持してゆく気力がない。交際(つきあい)の不適格症である。誰からも孤立して淋(さび)しいとも思わぬ冷血の徒である。


◆吝嗇(けち)

『人間通』
( 谷沢永一、新潮社 (2002/05)、p18 )

人は誰でもどこかに欠点を持っている。少くともあそこが足りないなと感じらる脱(ぬ)け落ち部分がある。ちょっとおかしいなと思える箇所がある。根性が曲がりくねっている場合もある。しかし大抵の人は何時(いつ)か自分でそれに気付く。すべてではないにしても為(な)すところあらんとする程の人は、宜(よろ)しくないと自覚する性向をなんとか矯(た)め直そうと努める。殆(ほとん)どの短所は気働きによって補正できる。ほぼ熟年に達した頃には見違えるように成長する例が少なくない。四十歳以後の男子は自分の容貌(ようぼう)に責任があると言ったリンカーンの名言は、人が己(おの)れを練り鍛える努力は有効であるとの励ましであろう。しかし男女を通じて絶対に矯正できない悪徳がある。それは吝嗇(けち)と臆病(おくびょう)である。こればかりは梃子(てこ)でも動じない。欠落(いけない)と自覚することさえできず無意識で押し通すから抑制の努力が発動しない。腐った魚のように使い道が見当らぬ。投げてかかるしか仕方がない。何時か治療(なお)るだろうなどと甘く見て登用したら竹箆(しっぺ)返しを食らう。

吝嗇(けち)は人間社会が助け合い尽くし合い凭(もた)れ合いであるという根本の事情を理解しない。貝殻のなかに閉じこもっている。持ちつ持たれつの連帯感情がない。人のために何かをしようとはしないから他人(ひと)の親切が感知できない。人間の情を解する神経(センサー)が欠けている。ゆえに彼らは例外なく忘恩の徒である。自分の事だけしか念頭にない勝手者(エゴイスト)である。人と人との結びつきを保持してゆく気力がない。交際(つきあい)の不適格症である。誰からも孤立して淋(さび)しいとも思わぬ冷血の徒である。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 向上心 《 時代の精神を動か... | トップ | 読む年表 明治~戦後 《 西南... »
最新の画像もっと見る

03-自己・信念・努力」カテゴリの最新記事