電脳筆写『 心超臨界 』

現存する良品はすべて創造力の産物である
( ジョン・スチュアート・ミル )

転ぶたびにひと回り大きくなって起きあがる――越後の雪だるま

2024-07-16 | 08-経済・企業・リーダーシップ
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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『7つの習慣』の翻訳者で、コヴィー・リーダーシップ・センター・ジャパン会長であるジェームス・スキナー氏の講演会が、3月26日に新宿文化センターホールで開催されました。その中で、スキナー氏は次のように語っています。

ある経営者は、問題と言う言葉を使わない、そのかわり機会を使う。

 「問題と言うのは、昨日を見ている」
 「機会と言うのは、明日を見ている」

下に紹介するヨネックスの米山会長は、まさに機会を最大限利用した経営者といえます。


◆越後の雪だるま

「ピンチをチャンスへ――スポーツ用品事業を拡大」米山 稔(ヨネックス会長)
(「私の履歴書」2005.04.01 日経新聞(朝刊))

昨年は自然の恐ろしさを嫌というほど味わった。私は新潟県小千谷市にほど近い長岡市塚野山に生まれた。ここでスポーツ用品メーカー、ヨネックスを創業し、今もバドミントン、テニスのラケットやゴルフクラブを生産している。経営するゴルフ場も県内にある。これらが7月の集中豪雨、10月の新潟中越地震と、立て続けに天災に襲われた。

記録的な豪雨で「ヨネックスカントリークラブ」が受けた打撃は甚大だった。あるホールは大きな土砂崩れが起き、フェアウエーが埋まってしまった。ゴルフ場全体が洪水に遭ったようで、バンカーの砂はもちろん全部流れ出た。開場以来の緊急事態だ。私も長靴をはきヘルメットをかぶり、スコップ片手に復旧作業に加わった。

新潟中越地震の被害もこれまた大きかった。自宅と工場は震源地のすぐそばだ。ドーンという艦砲射撃のような音がして、山が吹っ飛びそうなすさまじい揺れに見舞われた。その後も大きな余震が次々に襲ってくる。役員、社員とともにあわてて工場にかけつけたが、機械設備が倒れ、中はめちゃくちゃ。建物の周りはあちこちで陥没した。

だが、こうした災難に、私はもう慣れっこだ。

1946年(昭和21年)に21歳で創業後、会社のピンチの連続だった。苦労に苦労を重ね事業を伸ばしていくと、ある日突然どん底につき落とされる。そこからはい上がっていくと、また振り落とされる。その繰り返しだった。豪雨も地震も会社の屋台骨を揺るがすほどではない。今までぶつかってきた苦難に比べれば、ものの数ではない。

逆に、「ピンチはチャンス」と自分に言い聞かせてきた。バドミントンラケットの事業がまだOEM(相手先ブランドによる生産)供給だけで、その唯一の納入先が倒産したときは「これでうちも終わりか」と思ったが、自社ブランド品で飛躍する好機到来と自分を奮い立たせた。

工場が火災で全焼したこともある。バドミントンラケットの販路を全国に広げつつあった時期で、せっかくつかんだ顧客を失いかねない非常事態だった。そのとき私が考えたのは、いち早く工場を再建して商品の供給を途切らせずに済めば、逆にわが社への信頼が大幅に高まるということだった。

在庫が切れる前に、なんとしても生産を再開する。建物は1年もつくらいの仮説でいい。大工に無理を言い、社員総出で工事に取りかかった。名づけて「一夜城作戦」。豊臣秀吉の墨俣築城にあやかった。予定通り工場は3日で完成した。幸い「力のある会社だ」という再評価を受け、ラケット事業に弾みがついた。災い転じて福とした。

昨年の天災も同じ。ゴルフ場は大水害のため8月の「ヨネックスレディス」の開催を危ぶむ声も聞こえたが、前より芝の状態を良くして復旧、予定通り開催にこぎつけた。日本女子プロゴルフ協会との信頼関係は一段と深まった。工場の被災も生産工程をより効率的になるよう見直し、建物の構造を改良するいい機会になった。

転んでも、そのたびにひと回りおおきくなって起きあがる。それをモットーにした私には「越後の雪だるま」というあだ名がついた。ピンチをチャンスへ。逆境を糧に。もがき苦しみながらも、必死に光明を見いだそうとしてきた80年の歩みをこれからつづってみたい。
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