電脳筆写『 心超臨界 』

人生の目的は目的のある人生を生きること
( ロバート・バーン )

WGIP 《 戦争画批判――水間政憲 》

2024-10-07 | 04-歴史・文化・社会
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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GHQによる言論弾圧は、歴史認識だけではなく文化全体にも及んでいたことを認識するときが来たのです。戦後70年、「作戦記録画」を描いた画家たちの名誉を回復する手始めとして、筆者は今後、「戦争画」を「戦中記録画」と総称することにしました。


◆「戦争画批判」の真実Ⅱ――水間政憲・近現代史研究家
( 2015年10月号『Voice』、p160 )

2015年8月14日、安倍総理大臣の「戦後70年談話」は外交問題や教科書問題にとどまらず、芸術の世界にも歴史的な転換を呼び起こすことになりました。美術の世界に目を転じると、戦時中「聖戦美術」とか「作戦記録画」と呼ばれていたものが、戦後保守言論界も含め「戦争画」と総称されていることに強い疑問を感じます。

これは、3月10日の「帝都無差別爆撃」とか「焼殺」、8月6日の広島を「新型兵器による爆殺」と当時、実態を踏まえた適切な日本語で表現されていたのが、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の言葉狩り(プレス・ラジオコード、検閲)に遭って「東京大空襲」とか「原爆投下」などと、被害を薄められた用語に統一されたことと逆に、悪意をもって戦時中の「記録画」が「戦争画」との用語に統一させられていたのです。

GHQによる言論弾圧は、歴史認識だけではなく文化全体にも及んでいたことを認識するときが来たのです。

戦後70年、「作戦記録画」を描いた画家たちの名誉を回復する手始めとして、筆者は今後、「戦争画」を「戦中記録画」と総称することにしました。

「戦争記録画」を論じているわが国の美術評論家は、戦前の日本をアジア諸国を侵略した「ファシズム国家」と批判し、GHQが規定した「15年戦争史観」に基づいて評論しているのですが、安倍総理大臣の談話がその「15年戦争史観」の縛りを解き放ったことで、「戦中記録画」の評価も転換せざるをえなくなったのです。

同談話冒頭で「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。(中略)アジアで最初に立憲政治を打ちたて、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。(以下略)」とあり、その後の第一次世界大戦や第二次世界大戦に関する部分は、日本が一方的な侵略国家との解釈ではなく、安倍首相が常日頃おっしゃっている「歴史検証は専門家にお任せする」を簡略化したにすぎません。

その行間から滲(にじ)み出てくる歴史認識は、20世紀を代表する歴史家アーノルド・J・トインビー博士が、第二次世界大戦で日本が戦った意義を「アジアとアフリカを過去2百年の長きにわたって支配してきた西洋人は、あたかも神のような存在だと信じられてきたが、日本人は実際にはそうでなかったことを、人類の面前で証明した。これはまさに歴史的な偉業であった。(中略)日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、人種差別に終止符を打ってしまったのである」(英『オブザーバー』紙、1956年10月28日)と述べられたことと同じ趣旨だったと思われます。
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