電脳筆写『 心超臨界 』

人生の目的は目的のある人生を生きること
( ロバート・バーン )

自分のための人生 《 “決められない”のはかたくなな心のあらわれ――ウエイン・W・ダイアー 》

2024-10-12 | 03-自己・信念・努力
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
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正誤による考え方をやめてしまえば、決断をくだすということは、その決断によってもたらされる結果のうち、現在の時点ではどれが好ましいかを考えるということにすぎないことがわかるだろう。


◆“決められない”のはかたくなな心のあらわれ

『自分のための人生』〈原題:Your Erroneous Zone(錯信帯)〉
( ウエイン・W・ダイアー/渡部昇一・訳、三笠書房 (2011/7/21)、p215 )

  人間は、自分が心がけたとおりになるものである。
  あごを引いて頭をまっすぐに立てよう。

7章 状況打開の柔軟思想
4 “決められない”のはかたくなな心のあらわれ

前に一度、「決心をするのはむずかしいと思うか」と、患者に尋ねてみた。「うーん、イエスでもあるしノーでもあるね」というのが答だった。

たとえ小さなことでも決心するとなるとむずかしいであろう。これは、ものごとを正か誤かの二つに分類しようとする傾向が生んだ副産物である。

優柔不断は正しくありたいと思う気持ちから起こる。そして決断を先へ延ばすと、自分はまちがっていたと思うときにいつも感じる不安な気持ちを処理することができなくなる。決断に対してそれが正しいとかまちがっているとか言うのをやめれば(正は保証を意味するのだから)、決心することは楽になるだろう。

正しい入学志望大学を決めようとすれば、いつまでも、たとえ決心してしまったあとでも、うじうじすることになるかもしれない。もしかしたら、その決心は正しくなかったのかもしれないのだから。そうではなくて、決心の仕方を次のように変えてみるのだ。

「正しい大学などというものはない。Aを選んだらこういう結果になりそうだが、Bなら多分こうなるだろう」

どちらの大学も正しくない。ただ、互いに違っているというだけのことだ。だからAでもBでもZでも、どの大学に入ろうと決心したとしても、保証はないわけである。同じように、ある決断から起こり得る結果を正誤、善悪、優劣で判断しなければ、優柔不断という神経症を直すことができる。

ただ違っているだけなのだ。気に入ったこの服を買えばこんなふうに見えるだろう――それは、あの服を着たときとは違う(あの服のときよりよいというのではない)。ただそれだけだ。

正誤による考え方をやめてしまえば、決断をくだすということは、その決断によってもたらされる結果のうち、現在の時点ではどれが好ましいかを考えるということにすぎないことがわかるだろう。
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