電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
[ ウィキペディア ]
幕末の志士が日本国と日本国民をたたえるとき、“神州清潔の民”と表現したことが思い出される。清潔とは、単に衛生用語ではなく、心のもち方や日頃の生活態度や行為にまで広げて用いられるのが日本である。テストや試合でインチキをすると“キタナイゾ”といわれ、くりかえすと“バイキン”といわれて“ノケモノ”になる。日本外交は相手国を「A級ノケモノ」とか、「B級バイキン」とかに指定して広く世界に同調を求めるべきである。すぐやろう。
◆我ら「神州清潔の民」
『日本発の世界常識革命を 世界で最も平和で清らかな国』
( 日下公人、ワック (2020/6/27)、p19 )
何百年か昔、海外から病気が入ってくるときは港からきた。アジアからの船と乗組員が病原菌をもってきた。
そこで、アメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの五カ国それぞれと結んだ安政条約による開港地では、明治になってから検疫所がつくられたのだった。
その近くの医科大か専門学校の学生がアルバイトに動員されたが、一体どんな病気が入ってくるのかわからなかったから、時には命がけのアルバイトだったと言える。
私は何にも知らないポッと出の田舎者で、東京での下宿はたまたま慈恵医科大の学生のたまり場だったので、たちまち麻雀の輪にひっぱりこまれた。
「しっかり手を洗え。パイは汚いからな」
と言われて、
「そんな汚い手は使わないよ」
と笑いながら輪に入ったが、やがて真剣にそう言ってくれていることがわかった。
彼らは実によく手を洗い、口をゆすぐ。
この習慣を日本中に広めたのは慈恵大なのだという。
熱帯病をもって入港してくるのは東京港が一番で、そのときわれわれは断れない。むしろ喜んでゆく。その結果、病気になってしまうこともあるが、病気の経過を記録して第一発見者になる喜びもある。
事実、第一発見者の論文は、慈恵大が書いている場合が多い。手を洗うのはそのために我が身を守る用心で、その結果の名誉である――というので、心から感心した。
それに似た話は明治・大正時代にはたくさんあって、私の母もそうだったからアーッと思い出した。
第一次世界大戦で日本が戦勝国のひとつになったとき、大蔵省の神戸税関長は「これからは外国船が神戸にも入ってくる」と考えた。
「カバンをあけて見せろ」というのが仕事だが、そのときは女性の公務員がついていた方がよいと考えたのはさすが神戸で、たくさんの女性が大蔵省を志願したが合格した二人に母が入っていた。
しかし、たちまち熱帯病に感染して生死の境をさまよった……と聞いたことがある。
まだ結婚前だから私はこの世にないときの話で、一週間高熱にうなされてようやく人心地がつくまでの看病は、和式洋式混合の対症療法だけだったろうと想像する。
原因は不明なままの一週間だが、そんな話を聞いていたので何となく、流行病はいずれ治るとか、若ければ治るとか、手を洗えとか、そんな思い出がわが家に残った。
日本陸軍は、日清・日露の両戦役を戦った経験から、一番の敵は不衛生だから帰還兵を二週間は収容して、発病するかどうか見ようときめた。
これにはもちろん猛烈な反対があったが、それは収容所の用地取得と忠勇な帰還兵をバイキン扱いするのか、という名誉の問題だった。
森鴎外は陸軍の軍医総監になる一歩手前だったが、格別の熱意と責任感で解決にあたった。そこで、単にドイツ語がよくできたから出世した、という不評が消えた。
ともあれ、朝鮮・満州へ出兵すると傷病兵がたくさん出るというので防疫部隊がつくられたが、その教訓は今は行方不明らしい。
中国のコロナウイルスの蔓延からはじまる、世界的規模の不衛生問題と中国的強権政治の恐ろしさが思い出されるが、これらは対岸の火事ではない。もはや日本の問題である。
と、ここまで考えると幕末の志士が日本国と日本国民をたたえるとき、“神州清潔の民”と表現したことが思い出される。
清潔とは、単に衛生用語ではなく、心のもち方や日頃の生活態度や行為にまで広げて用いられるのが日本である。
テストや試合でインチキをすると“キタナイゾ”といわれ、くりかえすと“バイキン”といわれて“ノケモノ”になる。
日本外交は相手国を「A級ノケモノ」とか、「B級バイキン」とかに指定して広く世界に同調を求めるべきである。すぐやろう。
衛生には巨額の費用がかかる、ということもわかるだろう。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
[ ウィキペディア ]
幕末の志士が日本国と日本国民をたたえるとき、“神州清潔の民”と表現したことが思い出される。清潔とは、単に衛生用語ではなく、心のもち方や日頃の生活態度や行為にまで広げて用いられるのが日本である。テストや試合でインチキをすると“キタナイゾ”といわれ、くりかえすと“バイキン”といわれて“ノケモノ”になる。日本外交は相手国を「A級ノケモノ」とか、「B級バイキン」とかに指定して広く世界に同調を求めるべきである。すぐやろう。
◆我ら「神州清潔の民」
『日本発の世界常識革命を 世界で最も平和で清らかな国』
( 日下公人、ワック (2020/6/27)、p19 )
何百年か昔、海外から病気が入ってくるときは港からきた。アジアからの船と乗組員が病原菌をもってきた。
そこで、アメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの五カ国それぞれと結んだ安政条約による開港地では、明治になってから検疫所がつくられたのだった。
その近くの医科大か専門学校の学生がアルバイトに動員されたが、一体どんな病気が入ってくるのかわからなかったから、時には命がけのアルバイトだったと言える。
私は何にも知らないポッと出の田舎者で、東京での下宿はたまたま慈恵医科大の学生のたまり場だったので、たちまち麻雀の輪にひっぱりこまれた。
「しっかり手を洗え。パイは汚いからな」
と言われて、
「そんな汚い手は使わないよ」
と笑いながら輪に入ったが、やがて真剣にそう言ってくれていることがわかった。
彼らは実によく手を洗い、口をゆすぐ。
この習慣を日本中に広めたのは慈恵大なのだという。
熱帯病をもって入港してくるのは東京港が一番で、そのときわれわれは断れない。むしろ喜んでゆく。その結果、病気になってしまうこともあるが、病気の経過を記録して第一発見者になる喜びもある。
事実、第一発見者の論文は、慈恵大が書いている場合が多い。手を洗うのはそのために我が身を守る用心で、その結果の名誉である――というので、心から感心した。
それに似た話は明治・大正時代にはたくさんあって、私の母もそうだったからアーッと思い出した。
第一次世界大戦で日本が戦勝国のひとつになったとき、大蔵省の神戸税関長は「これからは外国船が神戸にも入ってくる」と考えた。
「カバンをあけて見せろ」というのが仕事だが、そのときは女性の公務員がついていた方がよいと考えたのはさすが神戸で、たくさんの女性が大蔵省を志願したが合格した二人に母が入っていた。
しかし、たちまち熱帯病に感染して生死の境をさまよった……と聞いたことがある。
まだ結婚前だから私はこの世にないときの話で、一週間高熱にうなされてようやく人心地がつくまでの看病は、和式洋式混合の対症療法だけだったろうと想像する。
原因は不明なままの一週間だが、そんな話を聞いていたので何となく、流行病はいずれ治るとか、若ければ治るとか、手を洗えとか、そんな思い出がわが家に残った。
日本陸軍は、日清・日露の両戦役を戦った経験から、一番の敵は不衛生だから帰還兵を二週間は収容して、発病するかどうか見ようときめた。
これにはもちろん猛烈な反対があったが、それは収容所の用地取得と忠勇な帰還兵をバイキン扱いするのか、という名誉の問題だった。
森鴎外は陸軍の軍医総監になる一歩手前だったが、格別の熱意と責任感で解決にあたった。そこで、単にドイツ語がよくできたから出世した、という不評が消えた。
ともあれ、朝鮮・満州へ出兵すると傷病兵がたくさん出るというので防疫部隊がつくられたが、その教訓は今は行方不明らしい。
中国のコロナウイルスの蔓延からはじまる、世界的規模の不衛生問題と中国的強権政治の恐ろしさが思い出されるが、これらは対岸の火事ではない。もはや日本の問題である。
と、ここまで考えると幕末の志士が日本国と日本国民をたたえるとき、“神州清潔の民”と表現したことが思い出される。
清潔とは、単に衛生用語ではなく、心のもち方や日頃の生活態度や行為にまで広げて用いられるのが日本である。
テストや試合でインチキをすると“キタナイゾ”といわれ、くりかえすと“バイキン”といわれて“ノケモノ”になる。
日本外交は相手国を「A級ノケモノ」とか、「B級バイキン」とかに指定して広く世界に同調を求めるべきである。すぐやろう。
衛生には巨額の費用がかかる、ということもわかるだろう。