抜け道として、すぐ考えられることは、借用証書なり、土地を売るときの売券(ばいけん)(売却証文)に、「徳政があっても、約束どおりにします」ということを特別に記入するのである。このような特記(徳政文言(もんごん)という)は、のちに室町時代になると無効ということになったのだが、最初の徳政令ではこれが有効だったのだから、この法律の効果は著しく減殺(げんさい)されたことになる。 . . . 本文を読む
奥州征伐で白河の関を越えたとき、頼朝は諸将に向かって、能因(のういん)法師の歌はどうだ、と声をかけた。能因の歌は、誰でも知っている例の「都をば 霞とともに いでしかど 秋風ぞ吹く 白河の関」である。そこで梶原景季(かげすえ)が進み出て、「秋風に 草木の露を 払はせて 君が越ゆれば 関守もなし」という歌を詠じた。 . . . 本文を読む
宝永5年(1708)、屋久島の浦崎(うらさき)に和服を着て刀を持ったイタリア人イエズス会士、ジョバンニ・バティスタ・シドッチが上陸した。密入国の罪で捕えられ、長崎から江戸に送られてきたシドッチの尋問を行ったのが、家宣(いえのぶ)の特命を受けた新井白石であった。 . . . 本文を読む
新井白石は、当時「大君(たいくん)」としていた朝鮮通信使との外交文書における徳川将軍の肩書を「日本国王」に改めさせた。白石は「『皇』と『王』とはそもそも意味が違う。皇は天に係わるから天皇と称し、王は国に係わるから国王という。この二者には天と地ほどの差がある」と主張した。 . . . 本文を読む
日本人が仇討を重視したのは、日本人は忘れやすく、過去は水に流そうとする傾向があるので、むしろパラドキシカル(逆説的)に仇討を重んじなければいけなかったという説がある。世の中が平和なときには、そういう話にものすごく人気が集まる。戦国時代に討ち入りのような事件があっても、それは毎日起きていることだからどうということはない。 . . . 本文を読む
親友であるためには駕籠舁(かごか)きの呼吸を必要とする。両者の息が合っていなければならない。力を致すところ均等でなければ転覆する。それは絶えざる気働き心尽くしの結果である。親友を持っている人は相手の気持ちを敏感に察して過不足なく努める阿吽(あうん)の呼吸を心得ている。ひいては人交(まじわ)りの勘所を心得ている。それを知らぬ人との間に差がつくのは当然であろう。 . . . 本文を読む
結論は、無理のないように適度に働けば、身体のためにも精神のためにもよいということである。人間とは、肉体によって支えられ、みずみずしさを保っている知性的存在である。身体を動かすことは健康のためになるのだ。害があるのは働きすぎの場合であって、働くこと自体ではない。そして、きびしい仕事よりもっと悪いのは退屈な仕事、体力の消耗が激しい仕事、先の望みがまったくない仕事である。 . . . 本文を読む
未知のものに対する恐れから生じる典型的な態度については、すでにいくつか論じてきた、新しい経験に抵抗する、柔軟性がない、偏見、計画の奴隷となる、外面的な安全を必要とする、失敗を恐れる、完全主義――こういった態度は、自分を限定してしまうような行為全体の中の「見出し」のようなものである。次の各項目はこの範疇に属する行為の中でももっとも、一般的な具体例である。これを調査表として利用して、自分自身の行為を評価してみるとよい。 . . . 本文を読む
「われわれが自由に使ってよいことになっている天からの授かり物の中で、いくつかの理由で時間ほど貴重なものはないのに、大部分の人は、時間ほど無頓着に浪費しているものはない。考えるとまことに不思議なことである。実際、他のものだったらことごとくけちる人でさえ、最も大切な収入である時間だけは極端に無駄づかいしてしまう。 . . . 本文を読む
確固たる目的や目標を持っていれば、勉強も実り多いものとなる。ある分野の知識を完全にマスターしていれば、いつでもそれを活用できる。この点からいえば、単に本をたくさん持っていたり、必要な情報を得るには何を読んだらいいかを知っていたりするだけでは十分とはいえない。人生に役立つ知恵を常に持ち歩き、いざという時、すぐ使えるよう準備しておくべきである。 . . . 本文を読む
どんな仕事でも、仕事をやるからには判断が先立つ。判断を誤れば、せっかくの労も実を結ばないことになろう。しかし、おたがいに神さまではないのだから、先の先まで見通して、すみからすみまで見きわめて、万が一にも誤りのない100パーセント正しい判断なんてまずできるものではない。 . . . 本文を読む
あなた方は、生きていることは、死んでいない以上はよくご承知になってます。どんなとぼけた奴でも、「いやあ、俺はひょいとすると死んでやしねえか」と思うなんて人はいない。しかし、いきているという現実の中に、「生存」と「生活」の二つの部面があることに気がついてますか。 . . . 本文を読む
人間は無視無我の生活を本位として活きてこそ、本当の人間としての幸福――健康と長寿とよき運命――を求めなくても恵まれるというのが、この世ある限りいささかも変わることのない。人生に賦与(ふよ)されている宇宙真理なのである。 . . . 本文を読む
大阪への単身赴任が、2年過ぎた。いつも夜10時頃、一人寂しくマンションに帰っていた。8月上旬の夏休み。週末の3日間、横浜から小学5年の娘が遊びに来た。4ヶ月ぶりの再会だった。寂しい部屋に笑い声が響き、急に明るくなった。夜遅くまで、学校のこと、友達のこと、そして家族のことなどを話し合った。二人でこんなに多くの時間を過ごしたのは、初めてだった。 . . . 本文を読む
ルノアールが晩年の10年間、家にこもりがちだったときも、マティスは毎日のようにやってきた。ルノアールはは関節炎でほとんど半身不随になっていたが、それでもひたすら絵を描き続けた。 . . . 本文を読む