電脳筆写『 心超臨界 』

人生は歎き悲しむよりも
笑いとばすほうが人には合っている
( セネカ )

比較する心が苦しみを生む――松原泰道禅師

2017-03-23 | 03-自己・信念・努力
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【 松原泰道、主婦の友社 (2001/05)、p122 】

33 至道無難(しどうぶなん)――『信心銘(しんじんめい)』
  比較する心が苦しみを生む

「至道無難」は、達磨の禅を伝えた三祖・僧璨鑑智(そうさんかんち)の言葉で、「至道は無難なり、ただ揀択(けんじゃく)を嫌う」とあります。

至道とは、道に至ること、つまり仏の道(真理)に至るのは、無難、そう難しいことではないよというのです。「揀択を嫌う」の揀択は、選り好みをすること。あれこれ選り好みをさえしなければ、悟りの道に至ることは決して難しいことではない。というのです。

前に、禅では「二見(にけん)」に分けることを嫌うと申しました。「二見」は、物事を二つに分けて考えることです。

二つに分けて考えると、必ず好悪の感情が湧いてきます。どちらかが好きで、どちらかが嫌い、ということになってきます。好悪の感情が出てくると、一方に執着し、それにとらわれ、正しい判断ができなくなります。ですから、禅では、二見に分ける考え方を戒めるのです。この「揀択」もまた、そうした相対的、二元的な考え方を意味しています。

悟りに至る道は、難行苦行の道ではありません。それが難しくなってしまうのは、物事を比較対照して、ああでもない、こうでもないと、自分勝手な考え方にとらわれて、本質を見失ってしまうからです。

一年には四季があるように、また、人生にも春夏秋冬があります。

毎日、快晴の日ばかりではありません。人生も、健康なときばかりではなく、病気のときも、逆境のときもあります。雨は嫌いだ、病気はいやだといってもどうなるものでもありません。選り好みは許されないのです。雨の日に天気のいい日のことを思うと、ますます雨がうっとうしくなるのです。病気のときに健康をうらやむから、病気がいよいよ苦しく感じるのです。比較する心が、苦しみを生み出すのです。

雨の日には雨の日のよさがあります。病気になってはじめて、わかることもあります。ですから、雨のときは雨に徹し、病気のときは病気に徹するのです。

要は、比較しないこと、選り好みしないこと、今、このときを、精一杯生きることです。

浄土真宗の僧侶ですぐれた教育家でもあった東井義男先生の次の詩を、私はいつも愛誦します。

  雨の日には
  雨の日にしか
  聞かせていただくことのできない
  ことばを超えた
  ご説法がある
  病む日には
  病む日の
  ご説法がある

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