電脳筆写『 心超臨界 』

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だが、リスクを取らなければ勝利することもない
( リチャード・ニクソン )

真理のひびき 《 価値ある人生に活きるには(2/2)――中村天風 》

2024-07-26 | 03-自己・信念・努力
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   [箴言二](2/2)

   価値ある人生に活きるには 先ず自分の本質の 尊さを
   正しく自覚することが必要である
   If we would desire to live a valuable life, it is essential,
   above all, to be rightly aware of the intrinsic value of ourselves.


『真理のひびき』
( 中村天風、講談社 (1996/7/18)、p30 )

=(1/2)よりつづく=

するとその当然の結果として欲求不満という、やるせない煩悶が心に発生してきて、結局は、生命の生存を確保する中枢的に大切な神経系統の生活機能をおびただしく毀損(きそん)することとなる。

さすればまた、その侵すべからざる因由関係で、生きるのに必要な各種の生命力も減損されてしまう。

そして終局は、満足の得られない欲望と四つに取り組んだままで、生命を短くしてこの世を終わるか、さもなければ、欲望の奴隷となって、人知れぬ悩み多い、憐れはかない毎日を過ごすかのいずれかに陥ることになる。

こうなったのでは、かりそめにも、万物の霊長たる生まれがいが、いささかもないということになる。

せんじつめると、自己の無自覚のためとはいえ、好んで煩(わずら)いを多くし、故意に悶えを味わうべくこの世に来たのと同様の結果になる。

mortal(死すべきもの)である人間は、決して二度とこの世に出てこないものであることを考えると、いかなる場合にももっと価値高い人生に活きねばならない。

しかも、それを現実にしてくれるものはただ一つ、自己の生活目標を前にも示した通り「霊性満足」という真人としての理想的なものにすること以外に絶対にない。

「霊性満足」という生活目標は、前述の四項目の生活目標のごとく、満足の得られないことから生ずる失望や煩悶というものが、全く皆無のものなのである。

というのは、この「霊性満足」の生活目標なるものは小我(しょうが)的欲求の満足を目標とするものではなく、わかりやすくいえば、自己の存在が人の世のためになるということを目標とする生活であるからである。

しかしこういうと、また中には、自分というものを全く人の世のために犠牲にして、あたかも自己の存在を無視するかのごとく早合点する人もあるかも知れぬが、断じてそうではない。むしろ自己の存在を重視して、より高い価値あるものにするのに、この生活目標が一番容易で、その上精神生命の負う消極的な負担が絶対にないという、極めて高潔なものなのである。

そしてこの生活目標を目あてに生活するということくらい容易な生活も、また決して他にないのである。それは次に記述するような気分=心がけで毎日を活きればよいからである。

すなわち、霊性満足の生活を現実にするのには、日々の自己の言行をできる限り人の世のためになることだけを本位とし重点とするという心がけを、自分の心とすることである。

もっと具体的にいえば、いつも真心(まごころ)と愛の心で、一切に対処するようにするのである。

そうすれば、どんな場合にも、ほんとうの親切と尊い思いやりという、人間の心の最高至純のものが期せずして発現してきて、それがそのまま霊性満足の生活となり、宇宙本来の目的に合致した生活となるのである。

だからこの生活を哲学的にいうと「創造の生活」ともいう。

そして、こうした生活は人間の先天的大使命たる=真価向上に順応する、という階級の高い理想生活なのである。したがって、満たされないことから生ずる失望や落胆というものがなく、そのため煩悶苦悩という忌まわしい心理現象の発生することもまた絶対にない。

というのは、この生活目標は、何ものをも代償として求めていないからである。

いいかえれば、Emolument is no object with me.(報酬は私の目的ではない)であるからである。

であるから、少しも生命に無駄な消耗も無益な疲労もない。否、あるものはただただ歓喜と感謝の連続のみである。

ところが、これ以外のことを生活の目標とすると、生命の受ける消耗と疲労率というものがすこぶる甚大であって、またなかなかそれを回復することも容易でない。

ただし、くれぐれも曲解してはならないことは、霊性満足の生活を目標とする者は、本能や感覚や感情または理性等の一切を、断然排斥せよとか、または卑しむべきものだから捨てて顧みるなかれというのではないということである。

もとより、人間の生命の中に、本能や感覚や感情や理性の存在しているのは、生命確保のために必要であるがためである。である以上、それを無にするということは絶対に不条理でかつ不可能である。

しかし、だからといって、これに制限を施さず執着すると、直接間接に生命に不測の損害を招くことになる。ところがこの制限ということと無執着ということが、普通の手段や方法では断然でき難いすこぶる困難なことなのである。

普通の手段や方法は、いつもいう通り、古今東西を問わず「抑制」か「禁止」という相対的なもんであるからである。

然るに、この万人共通的に困難を感じている人生問題が、何と、前述のごとき霊性満足の生活を実行すると、きわめて簡単に、たいして努力することなしにほどよく統御され、かつまた解決される。

いいかえれば、各種心識より発動する価値のない欲求が自然的に制約され、同時に煩悩執着も著しく軽減され、または無になるのである。

そして、当然の帰結として、人間の生命の本質の尊さも完全に発揮され、健康美も運命美も期せずして現実化される。

であるから、価値ある人生に活きるには、いかなる場合にも「霊性の満足」を終始その生活の目標として人生に活きられんことを、真人としての本領発揮のためと同時に、ひろく人の世のために熱奨する。
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