電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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[ 中村天風 絶対積極の成功哲学 ]
今日一日
怒らず 恐れず 悲しまず
正直 親切 愉快
力と 勇気と 信念とをもって
自己の人生に対する責務を果たし
恒に平和と愛とを失なわざる
立派な人間として生きることを
厳かに誓います。
人生は現実と精神との中に、その思索を振り向ける省察(反省)の深さによって、その正邪の結論が決定される。
◆反省とは自発的にするもの
『ほんとうの心の力』
( 中村天風、PHP研究所、p246 )
そもそも反省ということは、その人自身が、自己の心の成りゆきや推移に対する現在状態を、その人の本心良心に反映せしめて、熟考する心意を指していうものである。したがって、反省という心意は、厳密にいうなれば、どこまでも自発的のもので、決して他発的なものではないというべきである。
かるがゆえに、この特殊の心意識の発動を、第三者から促すことは可能であるとしても、いかなる権威者といえども、他人にこれを強要する権利は絶対に与えられていないというのが真理である。
しかるに、事実に照らしてみると、往々にそうでないことを、しばしば見聞する。そしてその強要に応じないと極度にその人の悪口を言い、盛んに憤慨激怒する人がいる。その上さらに、それが、感情や理性の判断のみで考えられたことであるのに気づかずに。
要するに、その原因は、難しくいえば「人生は現実と精神との中に、その思索を振り向ける省察(反省)の深さによって、その正邪の結論が決定される」という絶対真理を自覚していないがためである。
西哲の言にも「優れた人は、自己を責めて、人を責めない」というのがある。私がしばしば揮毫(きごう)する六然訓句(りくぜんくんく)の中にも、「厳然自粛(げんぜんじしゅく)」というのがある。いずれも、その真意相通ずるものであるのを熟考されたい。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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[ 中村天風 絶対積極の成功哲学 ]
今日一日
怒らず 恐れず 悲しまず
正直 親切 愉快
力と 勇気と 信念とをもって
自己の人生に対する責務を果たし
恒に平和と愛とを失なわざる
立派な人間として生きることを
厳かに誓います。
人生は現実と精神との中に、その思索を振り向ける省察(反省)の深さによって、その正邪の結論が決定される。
◆反省とは自発的にするもの
『ほんとうの心の力』
( 中村天風、PHP研究所、p246 )
そもそも反省ということは、その人自身が、自己の心の成りゆきや推移に対する現在状態を、その人の本心良心に反映せしめて、熟考する心意を指していうものである。したがって、反省という心意は、厳密にいうなれば、どこまでも自発的のもので、決して他発的なものではないというべきである。
かるがゆえに、この特殊の心意識の発動を、第三者から促すことは可能であるとしても、いかなる権威者といえども、他人にこれを強要する権利は絶対に与えられていないというのが真理である。
しかるに、事実に照らしてみると、往々にそうでないことを、しばしば見聞する。そしてその強要に応じないと極度にその人の悪口を言い、盛んに憤慨激怒する人がいる。その上さらに、それが、感情や理性の判断のみで考えられたことであるのに気づかずに。
要するに、その原因は、難しくいえば「人生は現実と精神との中に、その思索を振り向ける省察(反省)の深さによって、その正邪の結論が決定される」という絶対真理を自覚していないがためである。
西哲の言にも「優れた人は、自己を責めて、人を責めない」というのがある。私がしばしば揮毫(きごう)する六然訓句(りくぜんくんく)の中にも、「厳然自粛(げんぜんじしゅく)」というのがある。いずれも、その真意相通ずるものであるのを熟考されたい。