電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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人生で一番怖いのは、何といっても「死」でしょう。「今までは人のことのみ思いしに おれが死ぬとは こいつたまらん」という古人の狂歌がありますが、たしかに真理で、いつの時代でも、死は変わらぬ恐怖です。むしろ医学の進歩した現代のほうが、死に対する恐怖は昔より深刻なのは皮肉のように思えます。
『わたしの般若心経』
( 松原泰道、祥伝社 (1991/07)、p268 )
8章 無罣礙(むけいげ)――とらわれるな
(1) 執着を断ち切る
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
いむしょとくこ ぼだいさつた えはんにゃはらみつたこ しんむけいげ むけいげこ むうくふ
◆死の恐怖から脱するために
人生で一番怖いのは、何といっても「死」でしょう。
「今までは人のことのみ思いしに おれが死ぬとは こいつたまらん」
という古人の狂歌がありますが、たしかに真理で、いつの時代でも、死は変わらぬ恐怖です。むしろ医学の進歩した現代のほうが、死に対する恐怖は昔より深刻なのは皮肉のように思えます。
私もすでに八十歳を超え、長生きしている部類に入っているのに、なお自分の死に対しては恐れを持ちますし、死にたくありません。死を厭(いと)うのは、今までに学んだように、何かに執われがあるからです。
私は別に財産とてないから財の執着はありません。家族もみな成人しているので、家族の将来に不安はありません。しかし私が長生きすると、若い家族が私を後に残して、先に没しはしないだろうか、という不安が、私に恐怖をかきたてます。正直なところ、今の私には、この恐怖のほうが大きいのです。
また、私にもしたい仕事がありますし、やりかけの仕事もたくさん残っています。自分の仕事への執着が罣礙となっています。
ここで落ち着いて考えてみると、まず人間はどんなに進歩しても、不完全な存在だということです。科学知識が進歩し、技術革新が進むほど、人間の不完全性がより拡大されていくようです。人間は全知全能の神の能力は持てません。もしも人間がオールマイティになったら、人間は自滅するでしょう。仮に人間が不死の能力を得たら、地球上は瞬(またた)く間に人間で充満して、呼吸困難になってしまいます。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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人生で一番怖いのは、何といっても「死」でしょう。「今までは人のことのみ思いしに おれが死ぬとは こいつたまらん」という古人の狂歌がありますが、たしかに真理で、いつの時代でも、死は変わらぬ恐怖です。むしろ医学の進歩した現代のほうが、死に対する恐怖は昔より深刻なのは皮肉のように思えます。
『わたしの般若心経』
( 松原泰道、祥伝社 (1991/07)、p268 )
8章 無罣礙(むけいげ)――とらわれるな
(1) 執着を断ち切る
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
いむしょとくこ ぼだいさつた えはんにゃはらみつたこ しんむけいげ むけいげこ むうくふ
◆死の恐怖から脱するために
人生で一番怖いのは、何といっても「死」でしょう。
「今までは人のことのみ思いしに おれが死ぬとは こいつたまらん」
という古人の狂歌がありますが、たしかに真理で、いつの時代でも、死は変わらぬ恐怖です。むしろ医学の進歩した現代のほうが、死に対する恐怖は昔より深刻なのは皮肉のように思えます。
私もすでに八十歳を超え、長生きしている部類に入っているのに、なお自分の死に対しては恐れを持ちますし、死にたくありません。死を厭(いと)うのは、今までに学んだように、何かに執われがあるからです。
私は別に財産とてないから財の執着はありません。家族もみな成人しているので、家族の将来に不安はありません。しかし私が長生きすると、若い家族が私を後に残して、先に没しはしないだろうか、という不安が、私に恐怖をかきたてます。正直なところ、今の私には、この恐怖のほうが大きいのです。
また、私にもしたい仕事がありますし、やりかけの仕事もたくさん残っています。自分の仕事への執着が罣礙となっています。
ここで落ち着いて考えてみると、まず人間はどんなに進歩しても、不完全な存在だということです。科学知識が進歩し、技術革新が進むほど、人間の不完全性がより拡大されていくようです。人間は全知全能の神の能力は持てません。もしも人間がオールマイティになったら、人間は自滅するでしょう。仮に人間が不死の能力を得たら、地球上は瞬(またた)く間に人間で充満して、呼吸困難になってしまいます。