電脳筆写『 心超臨界 』

自然は前進と発展において留まるところを知らず
怠惰なものたちすべてを罵倒する
( ゲーテ )

人間学 《 晩年こそ諫言が必要——伊藤肇 》

2025-01-12 | 03-自己・信念・努力
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権力主義の権化みたいにいわれるマキャヴェリでさえも「へつらい者を避けるには賢い側近を選び、その者たちだけ直言させよ」と説き、「君主は民衆の支持を得ていると錯覚してはならない。彼らが『わが君のためには死をも辞さぬ』というのは、死を必要としない時だけである」と戒めている。現代風にいえば、部下から「社長、あなたがおられなければ、会社は闇です」などといわれて、頭からそれを信ずるトップがいたとしたら、大馬鹿だということである。


『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p191 )
第7章 側近の人間学

◆晩年こそ諫言(かんげん)が必要

明治維新成って、権勢の中心にあった総理大臣、伊藤博文の側近たちが氷川(ひかわ)の勝海舟の許へやってきて、しきりに伊藤博文の悪口をいう。

「ふん、ふん」ときいていた海舟は最後にたずねた。

「お前さんたち、いま、わしにいったような批判を伊藤の前でじかにいえるかい?」

「そりゃ、とてもいえたものではありません」

「そうだろう。伊藤はもともと、聡明な人なんじゃよ。けれども、お前たち側近が誰も苦言を呈せず、調子のいいことばかり耳に入れとれば、いくら賢くても、3年も経ちゃ、バカになるのが当たり前だよ」

聡明な人間がどれくらいバカになるか。

福沢桃介が、その著『財界人物我観』の中で紹介している日銀三代目総裁、川田小一郎の恰好のゴシップがある。

芸者のおしめが、川田のことを「総裁、総裁」と人がいうものだから、大いに怒り、「惣菜、惣菜と旦那様のことを野菜物扱いするとは怪しからん」と川田に訴えたというので、それ以後、川田は殊におしめをかわいがったという話だ。

また、横浜の紛争解決にのり出した時、横浜の巨商連がきて、川田に「閣下、閣下」と連発した。これを傍できいていたおしめが「またしても、カッカ、カッカと総裁様を蚊の仲間扱いするのは怪しからん」と怒ったものだ。川田は笑いながら「閣下というのは総裁以上の尊称だ」

と説明して、大変に御機嫌だった。

「惣菜」といい「カッカ」といい、おしめは胸中に、その意味は十分、了解していたんだろうが、しらぬ顔で怒ってみせ、まんまと川田にとり入った腕の凄さは川田以上だ。

権力主義の権化みたいにいわれるマキャヴェリでさえも「へつらい者を避けるには賢い側近を選び、その者たちだけ直言させよ」と説き、「君主は民衆の支持を得ていると錯覚してはならない。彼らが『わが君のためには死をも辞さぬ』というのは、死を必要としない時だけである」と戒めている。現代風にいえば、部下から「社長、あなたがおられなければ、会社は闇です」などといわれて、頭からそれを信ずるトップがいたとしたら、大馬鹿だということである。

ところが、世の中には意外にこの大馬鹿者が多い。

『十八史略』でも、側近、趙高(ちょうこう)に誤まれたあげく、その趙高に殺害され、ついに秦を滅亡せしめた二世皇帝、胡亥(こがい)の実例を挙げている。

反乱を起こした趙高の軍が二世皇帝の座所の帳(とばり)に矢を射かけたので、ようやく異変に気づいた二世皇帝が「出あぇ、出あぇ!」と絶叫したが、誰もすすんで出る者はいなかった。それどころか、あわてて姿をかくしてしまう始末であった。

「おのれ、不甲斐なや!」

二世皇帝が地団駄踏んだが、ふと、傍に一人の宦官(かんがん)がいるのに目をとめた。

「お前、そこにいたのか? どうして、こんな謀叛人がいることを朕に告げなかったのか?! 早く教えてくれれば、こんなことにならなかったのに」

すると、宦官は面を伏せていった。

「はい。私めは陛下に何も申しませんでした。ですから、今日までこうして生きながらえることができたのです。真実をお伝えしたら、その場で陛下のお怒りにふれ、殺されてしまったでしょう」

痛烈な返答である。

権力の座に近づけば近づくほど、また長くおればおるほど、まともな人間でもおかしくなってくる。人はこの二世皇帝、胡亥の例を笑ってすまされぬものがあろう。

「電力の鬼」といわれた松永安左ヱ門も書き遺している。

「友情にも、一期、二期、三期と季節みたいなものがある。第一期の青年時代には、互いに前途の希望を語り、おのおの成功を期して助け合い、励ましあうようにする。つまり、その頃は、相手の弱点をつつかず、長所を長所として自覚するようにつとめることだ。第二期、四十から五十の壮年時代に入ると、仕掛けた仕事にも目鼻がつき、成功の域に近づいた時だから、今度は欠点や短所を遠慮なく戒めあい、仕事のやり方も厳正に批判する。ところが、第三期の老境に入ると、不思議と皆からほめられたくなる。このため、近づく連中は悉く甘言を呈するようになるし、そうでない者は遠ざけてしまう驕(おご)りたかぶった気持ちになる。そこで最も必要になってくるのが、真実の苦言を呈してくれる友人知己である。これがないと全く危ない。シーザーもナポレオンも豊太閤も、晩年において失敗しているのは、諫言の友がいなかったからである」
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