§1-1 欧米諸国(白人国家)は地球全土を侵略し尽くそうとしていた
◆新大陸の「発見」は「占有」
ヨーロッパは15~18世紀に初めてヨーロッパになったのだ。それ以前は蛮族にすぎない。近代の日本人はこの点で誤解している。圧倒的強者から解放されたヨーロッパ人は、その余勢にかられてアジア・アフリカ各地を荒し回ることに、まさに解放感のゆえに、罪の意識を抱かなかったのであろう。当時のヨーロッパ人にとって「発見」はすなわち「占有」であった。
◇新大陸の「発見」は「占有」
『歴史を裁く愚かさ』
( 西尾幹二、PHP研究所 (2000/01)、p92 )
19~20世紀のアジアについてはほとんど言及しない『欧州共通教科書』が全11章のうち2章(15~18世紀)を「新世界との出会い」すなわち「地理上の発見」に当てていることは、刮目(かつもく)すべき点である。
「新世界を発見したのがイスラム、中国、インドなどの東洋諸国ではなく、当時は後進地域だったヨーロッパであったのは奇妙である。アラビアの船乗りは古くからインド洋を縦横に駆け巡っていた。1405年から1433年にかけては、明の提督の鄭和も大艦隊を率いてこの海を往来している。だがこうした活動は、その後なぜか衰退し、ヨーロッパにその地位を譲り渡すことになった」(第6章、191ページ)
「ところで、いったいなぜ、近代的な工業化が真っ先に、西ヨーロッパに興ったのであろうか? 蒸気機関はずっと以前から知られていたにしても、当時はまだ、工業の発展を可能にするために必要な技術手段や経済構造を欠いていた。18世紀になってようやく、ヨーロッパは中国のような先進諸国に追いつき、追い越したのである。これらの国々は、中世まで科学技術の面でヨーロッパを凌駕していたのである。次いで、海外貿易に進出することで、ヨーロッパは潤沢な資源の恩恵を受け、先進技術を利用して市場を拡大し、資本を輸出した」(第9章、302ページ)
15~18世紀にヨーロッパは「近代化」の基礎を築いた。それは具体的にいえばイスラム世界に対し戦争を挑み勝利を収めたことである。1492年のレコンキスタ(国土回復運動)によるイベリア半島からイスラム教徒の掃討。そして1571年のレパントの海戦におけるオスマン・トルコ艦隊の撃破。スペインとポルトガルがトリデシリャス条約を結んで、大胆な地球の二分割を企てたのはこうした勢いに乗ってのことである。
やがてオランダとイギリスとフランスが堰を切って溢れる怒涛のように、主としてイスラム教が影響を与えていた、西南アジアの各地と、広大なアフリカと、オーストラリアやカナダ、ニュージーランドのようなノー・マンズ・ランドに襲いかかった。
19世紀~20世紀の東南アジアの植民地支配と日本の戦争にほとんど興味を示さない『欧州共通教科書』が、なぜエンリケ航海王子が火を点けコロンブスが最初の挑戦を試みた「大航海時代」を華々しい偉業として自己讃嘆するのであろうか。
次いでオランダ、イギリス、フランスその他による新大陸の征服とアジア・アフリカの分割と覇権の拡大に、一点の罪の意識もない「文明の勝利」を言祝(ことほ)ぐのであろうか。
それは15~18世紀におけるこれらの出来事が、事実上のヨーロッパの成立を意味するからである。ヨーロッパの上に永年重苦しい宿痾(しゅくあ)のようにのしかかっていた圧力からヨーロッパを解放し、初めて彼らに覇者としての意識を与えた出来事である。すなわちイスラム世界を打倒し、進んだシナの文明に追いつき、これを追い越したと信じ得た喜びからに恐らく相違ない。
ヨーロッパは15~18世紀に初めてヨーロッパになったのだ。それ以前は蛮族にすぎない。近代の日本人はこの点で誤解している。圧倒的強者から解放されたヨーロッパ人は、その余勢にかられてアジア・アフリカ各地を荒し回ることに、まさに解放感のゆえに、罪の意識を抱かなかったのであろう。当時のヨーロッパ人にとって「発見」はすなわち「占有」であった。
その奥底にはもとよりヨーロッパ人に特有の、破滅の魔心に取り憑かれたかのような、なんともいいようもない悪魔的要素もひそんでいると思われる。
新大陸を発見したコロンブスの「驚き」はなぜ必然的にその土地の「占有」に結びつくのかについて、植民地化への心理機構をみごとに分析したS・グリーンブラットの『驚異と占有』という本もある。また、キリスト教ヨーロッパの地球支配の血ぬられた真実のヴェールを剝いだジャック・アタリの『歴史の破壊 未来の略奪』という本も興味深い。
ヨーロッパの知識人の中にはこのように自己批判の分析の意識が芽生えている。しかし子供のために書かれたはずの『欧州共通教科書』に、そのような意識も、自覚もまるでない。
それが教科書というもの――子供にヨーロッパの団結を教える――の特性に由来する、とあえて言ってもよいかもしれない。
◆新大陸の「発見」は「占有」
ヨーロッパは15~18世紀に初めてヨーロッパになったのだ。それ以前は蛮族にすぎない。近代の日本人はこの点で誤解している。圧倒的強者から解放されたヨーロッパ人は、その余勢にかられてアジア・アフリカ各地を荒し回ることに、まさに解放感のゆえに、罪の意識を抱かなかったのであろう。当時のヨーロッパ人にとって「発見」はすなわち「占有」であった。
◇新大陸の「発見」は「占有」
『歴史を裁く愚かさ』
( 西尾幹二、PHP研究所 (2000/01)、p92 )
19~20世紀のアジアについてはほとんど言及しない『欧州共通教科書』が全11章のうち2章(15~18世紀)を「新世界との出会い」すなわち「地理上の発見」に当てていることは、刮目(かつもく)すべき点である。
「新世界を発見したのがイスラム、中国、インドなどの東洋諸国ではなく、当時は後進地域だったヨーロッパであったのは奇妙である。アラビアの船乗りは古くからインド洋を縦横に駆け巡っていた。1405年から1433年にかけては、明の提督の鄭和も大艦隊を率いてこの海を往来している。だがこうした活動は、その後なぜか衰退し、ヨーロッパにその地位を譲り渡すことになった」(第6章、191ページ)
「ところで、いったいなぜ、近代的な工業化が真っ先に、西ヨーロッパに興ったのであろうか? 蒸気機関はずっと以前から知られていたにしても、当時はまだ、工業の発展を可能にするために必要な技術手段や経済構造を欠いていた。18世紀になってようやく、ヨーロッパは中国のような先進諸国に追いつき、追い越したのである。これらの国々は、中世まで科学技術の面でヨーロッパを凌駕していたのである。次いで、海外貿易に進出することで、ヨーロッパは潤沢な資源の恩恵を受け、先進技術を利用して市場を拡大し、資本を輸出した」(第9章、302ページ)
15~18世紀にヨーロッパは「近代化」の基礎を築いた。それは具体的にいえばイスラム世界に対し戦争を挑み勝利を収めたことである。1492年のレコンキスタ(国土回復運動)によるイベリア半島からイスラム教徒の掃討。そして1571年のレパントの海戦におけるオスマン・トルコ艦隊の撃破。スペインとポルトガルがトリデシリャス条約を結んで、大胆な地球の二分割を企てたのはこうした勢いに乗ってのことである。
やがてオランダとイギリスとフランスが堰を切って溢れる怒涛のように、主としてイスラム教が影響を与えていた、西南アジアの各地と、広大なアフリカと、オーストラリアやカナダ、ニュージーランドのようなノー・マンズ・ランドに襲いかかった。
19世紀~20世紀の東南アジアの植民地支配と日本の戦争にほとんど興味を示さない『欧州共通教科書』が、なぜエンリケ航海王子が火を点けコロンブスが最初の挑戦を試みた「大航海時代」を華々しい偉業として自己讃嘆するのであろうか。
次いでオランダ、イギリス、フランスその他による新大陸の征服とアジア・アフリカの分割と覇権の拡大に、一点の罪の意識もない「文明の勝利」を言祝(ことほ)ぐのであろうか。
それは15~18世紀におけるこれらの出来事が、事実上のヨーロッパの成立を意味するからである。ヨーロッパの上に永年重苦しい宿痾(しゅくあ)のようにのしかかっていた圧力からヨーロッパを解放し、初めて彼らに覇者としての意識を与えた出来事である。すなわちイスラム世界を打倒し、進んだシナの文明に追いつき、これを追い越したと信じ得た喜びからに恐らく相違ない。
ヨーロッパは15~18世紀に初めてヨーロッパになったのだ。それ以前は蛮族にすぎない。近代の日本人はこの点で誤解している。圧倒的強者から解放されたヨーロッパ人は、その余勢にかられてアジア・アフリカ各地を荒し回ることに、まさに解放感のゆえに、罪の意識を抱かなかったのであろう。当時のヨーロッパ人にとって「発見」はすなわち「占有」であった。
その奥底にはもとよりヨーロッパ人に特有の、破滅の魔心に取り憑かれたかのような、なんともいいようもない悪魔的要素もひそんでいると思われる。
新大陸を発見したコロンブスの「驚き」はなぜ必然的にその土地の「占有」に結びつくのかについて、植民地化への心理機構をみごとに分析したS・グリーンブラットの『驚異と占有』という本もある。また、キリスト教ヨーロッパの地球支配の血ぬられた真実のヴェールを剝いだジャック・アタリの『歴史の破壊 未来の略奪』という本も興味深い。
ヨーロッパの知識人の中にはこのように自己批判の分析の意識が芽生えている。しかし子供のために書かれたはずの『欧州共通教科書』に、そのような意識も、自覚もまるでない。
それが教科書というもの――子供にヨーロッパの団結を教える――の特性に由来する、とあえて言ってもよいかもしれない。