電脳筆写『 心超臨界 』

自分を励ます最良の方法、それは人を励ますこと
( マーク・トウェイン )

あらゆる部分が他の部分に相互に依存する――「ブーツストラップ理論」

2024-08-10 | 07-宇宙・遺伝子・潜在意識
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[ 2005年4月23日投稿 ]
今日は、科学と東洋哲学がひとつになる兆候として「ブーツストラップ理論」を学んでみます。提唱者であるカリフォルニア大学バークレー校のジェフリー・チュー教授自身、『華厳経』の説く宇宙モデルと、自分の理論がまったく同じ概念であることを知って、愕然とします。

宇宙と仏教とのつながりについては、多くの話があります。「法華経を生きる」のなかで石原慎太郎都知事は、一休和尚の『法華経』を踏まえた宇宙認識を登場させています。

・ ある時彼は誰かに、宇宙を含めて、というより宇宙に含まれて在るこの世というのはいったい何なのですかと聞かれて、

・ 「この世界全体は大きな蝸牛(かたつむり)で、人間はその中に住んでいるのだ。しかし、さらにその人間の耳の中にもそれぞれこの世界と同じ形の蝸牛がいて、その中にも人間たちが住んでいる。そしてまた、この世のさらに外側にも同じように、とてつもなく巨(おお)きな蝸牛がいるのだ」と教えています。

・ 一休和尚の頃にはまだ人体の解剖など在りはしなかったろうが、確かに人間の耳の中には蝸牛によく似た形をした蝸牛殻(かぎゅうかく)があります。

・ いずれにせよ宇宙の姿を、人間の耳の中に実際にある器官になぞらえて説くというのはなかなか啓示的で天才的だし、その中にまた宇宙が在り、この世たる宇宙世界の外にもまたそれをつつむ別の宇宙があるという認識は、ことの本質、正鵠(せいこく)を射ていて素晴らしいと思う。

科学がまだ発達していない頃に、このような宇宙論を展開できるとは驚きです。仏教の真理は宇宙の真理につながり、悟りをひらくということは宇宙の真理にふれることのように思えます。


◆あらゆる部分が他の部分に相互に依存する

『般若心経の科学』
( 天外伺朗、ノン・ブック、p181 )

チューの「ブーツストラップ理論」というのは、宇宙を、部品の集合としてではなく、あらゆる部分が他の部分に相互に依存する、一種のダイナミックな織物として説明しようというものでした。

これは、前に述べた「部分が全体で、全体が部分」という、ホログラフィーの性質の別な表現ですね。チューのチームは、一連の特殊な数学を工夫して、当時存在が予言されていた究極の素粒子「クオーク」という概念を用いずに、最新の実験結果を見事に説明する理論を作り上げました。

その途上、チューは、「宇宙は巨大な網の織物であり、その無限な数の網目のひとつずつにそれぞれ鏡があり、お互いにお互いを映し合っている」という『華厳経』の説く宇宙モデルと、自分の理論がまったく同じ概念であることを知って、愕然(がくぜん)とします。

なお、『華厳経』では、「部分が全体で、全体が部分」ということを、「一即一切(いつそくいつさい)、一切一即」と表現しています。チューの驚きのコメントを紹介しましょう。

――1969年のことです。当時、「東洋哲学」の勉強をしていた高校生の息子が、大乗仏教について私に話してくれたときの驚き、悔(くや)しさはいまでも鮮明です。
 私は、仏教とはおそろしく非科学的な感じの概念と思っていましたから、私の理論との結びつきにひどく狼狽(ろうばい)しました。それから、ずいぶん時間はかかりましたが、当初の狼狽や当惑は、やがて、畏怖(いふ)の念に変わっていきました。――

もし、このまま「ブーツストラップ理論」が物理学の定説になれば、世界中の人々がもっと仏教に注目したかもしれません。ただ、残念ながら、この理論はその後廃(すた)れてしまいました。なぜ廃れてしまったかというと、存在するかしないか盛んに議論されていた究極の素粒子「クオーク」が、理論で予言されたとおりに次々に発見され、そちらの理論のほうが定説になってしまったからです。

ただ、私は個人的に、素粒子の世界の理論は、ひとつに決め付ける必要はなく、「クオーク」の存在を仮定するのも、「ブーツストラップ理論」の『華厳経』的な説明も、表現が違うだけで、両方とも正しいのではないかと思っています。
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1 コメント

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お久しぶりです (great-something001)
2005-04-23 19:37:06
気候不順の折、元気でご活躍されていますね。仕事とgooブログのシステムとPCの調子が不安定で投稿を控えておりました。その間もこつこつ、黙々とエントリーを続けておられるChorinkaiさんのひたむきさには頭が下がり放しです。

「ブーツストラップ理論」は初めて知りました。新緑が深まるこの季節は、木々の緑が「一即多、多即一」を表現しており心が和みます。今朝の心境は、元日の朝のように静寂に包まれたひとときでした。つかの間ではありましたが初めての気づきです。ありがたいことです。G3
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