電脳筆写『 心超臨界 』

一般に外交では紛争は解決しない
戦争が終るのは平和のプロセスとしてではなく
一方が降伏するからである
D・パイプス

親ってこんなに苦しんで悩む――小俣智子さん

2024-09-28 | 06-愛・家族・幸福
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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治療が必要なくなって、病気とまったく関係のない学生生活を送っていた私でしたが、この実習が、そして、ソーシャルワーカーの浅山さんが、病気をした私も私自身だと気づかせてくれました。そして病気をした私がいたからこそ、今の私がいるんだということに気づいたのです。病気の体験をきっちりと自分のなかで整理する必要がある、そのためにもう少し勉強をつづけようと考えました。


◆親ってこんなに苦しんで悩む

『種まく子供たち――小児ガンを体験した7人の物語』
( 佐藤律子編、ポプラ社 (2001/4/1) )

〈p80〉
『草原いろの種――小俣智子さんのこと』
小俣智子さんは、13歳(中学1年)で急性リンパ性白血病を発症。最初の入院で偶然に自分の病名を知り、17回の治療入院を経て、19歳からふつうの生活にもどります。

〈p91〉
運よく私は自分が入院していた病院で、一年間、ソーシャルワーカーの実習をうけることができました。私が小児ガン経験者であること、実習をうける病院が治療を受けた病院であることもひっくるめて、その病院のソーシャルワーカーの浅山さんは受け入れてくださいました。

大工さんがのこぎり、美容師さんがはさみを仕事の道具として使うように、ソーシャルワーカーという仕事は、対人援助サービスといって自分自身が道具になります。自分にしっかり向きあえてこそ、よい仕事ができます。

治療が必要なくなって、病気とまったく関係のない学生生活を送っていた私でしたが、この実習が、そして、ソーシャルワーカーの浅山さんが、病気をした私も私自身だと気づかせてくれました。そして病気をした私がいたからこそ、今の私がいるんだということに気づいたのです。病気の体験をきっちりと自分のなかで整理する必要がある、そのためにもう少し勉強をつづけようと考えました。

(中略)

ボランティアを志望してすぐ、高校受験をひかえた男の子が家庭教師を希望しているという話が舞いこんできました。本当にめぐりあわせなのだと思います。15歳のその子は思春期であるにも関わらず、とても素直で前向きな子でした。私が教えたからというよりも、本人の努力で無事希望の高校に受かりました。

私はこの学習ボランティアで、勉強を教えるということとは別の体験をしました。

彼の家は駅から歩いて20分くらいのところにあります。このため、帰りは必ずお母さんが車で駅まで送ってくれることになっていました。その車のなかで、毎回、毎回お母さんが私を質問ぜめにするのです。本人に告知をしていないお母さんは、告知をすべきかどうかとても悩んでいました。

最初は聞かれるままに得意げに自分の経験を語っていた私。そのうちに、親ってこんなに苦しんで悩むものなのだということがわかってきて、私の親はどうだったんだろうと、話をするのがつらくなっていきました。そして、私の病気に関して沈黙をすることが暗黙の了解になっている自分の家族が見えてきました。

この時期にこんな大事なことを気づかせてくれた親子に出会えたこと――ホントに私って幸運だなぁと思います。
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