電脳筆写『 心超臨界 』

明日への最大の準備はきょう最善を尽くすこと
( H・ジャクソン・ブラウン・Jr. )

人生を創る言葉 《 面白いものができた。何かに利用できないか――ウィリアム・パーキン 》

2024-06-28 | 03-自己・信念・努力
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◆面白いものができた。何かに利用できないか


『人生を創る言葉』
( 渡部昇一、致知出版社 (2005/2/3)、p212 )
第6章 成功の秘訣――「考え方」を工夫する

[ ウィリアム・パーキン ]
イギリスの化学者。ロンドン生まれ。世界初の人工染料モーブ、芳
香料クマリンの合成で知られる。(1838~1907)

昔は染料を草根木皮、つまり植物の葉や茎、花などから採っていた。これらは得られる色数が少なく、染め方もまちまちで、不便なものだった。今日では、人工染料が用いられるようになったが、その始まりは1856年のことであった。この人工染料の最初の発見者は、ロンドンの名もない19歳のウィリアム・パーキンという青年で、彼は偶然にこれを発見したのだった。

パーキンは当時、有名なドイツの科学者ホフマンの助手をやっていて、アニリンを重クロム酸カリと硫酸とで酸化し、マラリア熱にはなくてはならない解熱剤キニーネを作っていた。すると、そのアニリンの中に不純物として含まれていたものから、マゼンタという赤い塩基性の染料ができた。普通の人だったら、目的のキニーネができないのだから、腹を立てるところだが、パーキンはそうは思わなかった。

「あれ、面白いものができたぞ。これを何かに利用できないかな」

と考えて、さっそく染物の盛んなフランスのリヨンに行って、絹に染めてもらった。その色は葵(あおい)(フランス語でモーブ)に似た美しい赤紫になったので、モーヴェインと名付けた。

以来、人工染料というものがどんどん作られるようになり、1900年ごろには5百種類もの新しい染料が開発された。パーキンがモーヴェインを捨ててしまっていたら、人工染料の発見はずっと遅れていたに違いない。

キニーネ製造中に失敗してできたものをなんとか利用できないかと考えたことが、全く違う分野の新発見のヒントになったのである。これは、本題とは無関係に思われるちょっとしたことでも頭を柔かく使うと役立つものになる場合がある、という見本となる有名な話である。
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