電脳筆写『 心超臨界 』

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( バーナード・ショー )

読む年表 戦国~江戸 《 『大日本史』編纂開始――渡部昇一 》

2024-08-30 | 04-歴史・文化・社会
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光圀が元禄13年(1700)に亡くなった後も、水戸藩は綿々と編纂を続け、文化7年(1810)には26巻を朝廷に献じ、幕末には水戸斉昭(なりあき)が「紀伝」を補完して朝廷と幕府に献じている。最終的に完成したのは明治39年(1906)、日露戦争の翌年だった。全402巻、完成までに要した期間はなんと250年。ものすごい話である。それだけの時間を費やして完成したこの歴史書は世界に誇るべきものだ。


◆『大日本史』編纂開始

『読む年表 日本の歴史』
( 渡部昇一、ワック (2015/1/22)、p142 )

1657(明暦3年)
『大日本史』編纂開始
完成までに250年を要した世界に誇るべき史書

水戸(徳川)光圀(みつくに)の『大日本史』は、その編纂が開始されてから2百年後の幕末尊皇思想に大きな影響を与えた史書である。

光圀は江戸駒込の別邸を小石川本邸に移して「彰考館(しょうこうかん)」と称し、本格的に『大日本史』の編纂に着手した。公(おおやけ)の日本正史は奈良平安時代の『日本書紀』以下『日本三大実録』までの「六国史(りっこくし)」しかない。その後書かれたものは、どれも個人が勝手に書いたようなものである。そこで、『大日本史』の主旨は孔子の『春秋(しゅんじゅう)』のごとく、正しいものと間違ったものを分けることにあった。日本中から学者を集め、天下の副将軍の威光をもって全国の神社や寺にあるさまざまな文書を閲覧し、編纂を開始した。

『大日本史』には有名な三つの特色がある。一つは神功(じんぐう)皇后を歴代の天皇に数えずに皇后としたこと。次に、即位したかどうか議論のあった大友皇子(おおとものおうじ)を天皇と見なして本紀(ほんぎ)に入れたことである。実際に大友皇子は明治になってから弘文(こうぶん)天皇と追諡(ついし)された。これは『大日本史』の意見に従ったものである。もう一つは南北朝のうち南朝を正統としたこと。後に南北朝一つになるわけだが、二つに分かれていた間は南朝の後醍醐天皇家を正統としたのである。

明暦3年(1657)に編纂を始めて、正徳(しょうとく)6年(1716年)に「紀伝(きでん)」の部分が完成した。これは神武天皇から後小松(ごこまつ)天皇までを扱っている。後小松天皇は北朝系ではあるが、南北朝が合一した時の第100代天皇である。

光圀が元禄13年(1700)に亡くなった後も、水戸藩は綿々と編纂を続け、文化7年(1810)には26巻を朝廷に献じ、幕末には水戸斉昭(なりあき)が「紀伝」を補完して朝廷と幕府に献じている。最終的に完成したのは明治39年(1906)、日露戦争の翌年だった。全402巻、完成までに要した期間はなんと250年。ものすごい話である。それだけの時間を費やして完成したこの歴史書は世界に誇るべきものだ。

その影響は非常に大きく、しかも光圀は諸侯の尊敬を集めていたから、幕末において尾張(おわり)の徳川慶勝(よしかつ)は「もしも事が起こったら尾張家は官軍になる、楠木正成が金剛山(こんごうざん)千早城(ちはやじょう)に立てこもったようにわれわれは木曽に立てこもる」と言った。本家の徳川幕府をあたかも北条幕府か足利幕府になぞらえたようなことを言う徳川連枝(れんし=兄弟)の大名まで出てきたから、将軍慶喜も謹慎して朝廷とは戦わなかったのである。

この膨大な歴史書を、戦前の日本の出版界の王者、講談社の野間清治(のませいじ)が洋製本16巻にし、索引1巻を付け17巻にして昭和4年(1929)に出版した。オリジナル版で402巻をそろえるのは難しいが、漢文そのままの講談社版は索引も付いているから手頃で便利である。
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