電脳筆写『 心超臨界 』

人は歳をとったからといって遊ぶことを止めない
人は遊ぶことを止めるから齢をとるのだ
( バーナード・ショー )

悪魔の思想 《 竹内好――中国の核実験に感動する異邦人(エトランゼ)/谷沢永一 》

2024-09-07 | 04-歴史・文化・社会
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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竹内好にかぎらず本書の各章を飾る英雄たちは、国民を侮蔑する心性の保持では見事に共通しているのです。戦後の日本では、進歩的文化人になって言論をもてあそぶこと、反日的日本人として派手に目立つよう振舞うこと、それはひとえに例外なく、戦後社会で、偉(えら)クナルコト、有名ニナルコト、の最も安直で手っとり早い手段でした。身を挺しての、全身全霊をあげての、骨の髄から真剣の、ホンモノの共産主義者など、実は、どこにもいなかったのです。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p214 )
日本の伝統の徹底的な否定論者・竹内好(たけうちよしみ)への告発状
第9章 その正体は、北京政府の忠実な代理人(エージェント)

  竹内好(たけうちよしみ)
  明治43年生まれ。東京帝大卒。専門は中国近代文学・慶大講師、
  都立大教授を歴任。シナに仕える筋金入りの反日的日本人。昭和
  52年没。

  魯迅を論じたり訳したりしただけで、ただそれだけのけちくさい“
  学識”で、シナの事は何でも知っているという顔をした鉄面皮な竹
  内好は、3千年のシナ文明史をなにひとつ勉強していないのですか
  ら、その劣等感(コンプレックス)の裏返しとして、現代シナをひた
  すら持ち上げ神聖視する戦術に出ました。そして毛沢東政権のもと
  シナは美しく立派な尊敬すべき国となっているのに反して、日本は
  愚劣な卑しむべき国であると言い募る一点張りで通しました。


9-4 中国の核実験に感動する異邦人(エトランゼ)

そうして、ついに北京政府は核実験に踏みだしました。待ってましたとばかり歓喜おくあたわざる声をあげます。いちおう日本の国民感情をおもんばかって悲しげな風(ふう)をしてみせますが、それはご愛想の糖衣(シュガーコート)にすぎないので、この露骨に高らかな勝利宣言をご覧ください。

  中国の核実験は、不幸な出来事でした。あってはならない、あらし
  めてはならない出来事でした。人間として、分けても日本人として、
  この出来事を残念に思わぬ人は少ないでしょう。これは理性の立場
  です。理性の立場からは、私はこれまでも中国をふくめてすべての
  核爆発に反対だったし、これからも反対するでしょう。けれども、
  理性をはなれて感情の点では、言いにくいことですが、内心ひそか
  に、よくやった、よくぞアングロサクソンとその手下ども(日本人
  をもふくむ)の鼻をあかしてくれた、という一種の感動の念のある
  ことを隠すことができません。(中略)中国の核実験の成功は、中
  国革命の有効性をこの上もなく雄弁に世界に示すでありましょう。
        (昭和40年1月『世界』「周作人から核実験まで」)

いかにもわざとらしく持ちだされた「理性の立場」うんぬんは、戦術的に偽装した前口上にすぎません。そのあとで堂々と開陳されている本音が、「よくやった」という率直な「感動の念」でありましょう。進んで北京政府の代理人(エージェント)を務めている竹内好としては、当然の感慨でありましょう。

ところで、ここには見すごすことのできない一句があります。竹内好の見るところ、日本人は所詮は「アングロサクソンの手下ども」の一員にすぎないのですね。それは竹内好ならではの独得な見下しの判断として、いちおう承(うけたまわ)りおきましょう。

しかし、北京政府が核実験に進みでることによって、「日本人」の「鼻をあかしてくれた」と「感動」し歓喜しているとき、竹内好はその自己認識において、すでにもはや「日本人」ではない、という歴然たる事実が印象的です。もし彼が自分を日本人であると規定していたら、当然のこと“鼻をあかされた”と記すことでしょう。そうではなく「日本人」の「鼻をあかしてくれた」と讃えて、囃して、喜ぶ以上、彼は自分を「日本人」の外に位置する存在であると自己を規定しているはずです。

この一節は、座談会での発言を採録した忽卒(そうそつ)の言辞ではなく、十分に意を用いて執筆された文章なのですから、ここの箇所を不注意による書き誤りと見ることはできません。

ここで竹内好は、日本国民全員に対して、どうだ、見事に鼻をあかされたじゃないか、ざまあみろ、と高笑いしているのです。身も心も北京政府に売り渡して、日本民族をひそかに敵視し、軽蔑している異邦人(エトランゼ)の本音がついに出たというわけでしょうね。

もちろん、以上はわざと試みた極言でありまして、竹内好がそれほどまでに肚(はら)を据えていた豪傑であるとは思えません。彼は生涯を通じて、しだいに国力が増進し豊かになりつつある日本国民としての社会的処遇を満喫していました。

そして日本国民の中でもススンデイル先覚者であり、高度の智者であると思い上がった倨傲(きょごう)にあぐらをかいて、優越者の自覚を楽しんだわけです。

何に対しての優越であるか、もちろん一般国民に対する見下しの舞いあがった優越感です。その根性をちらりと露呈したのがさきほどの一節だったわけです。芥川龍之介『或(ある)阿呆の一生』(三十三 英雄)に、彼一代おそらく最高の名句が残されていますね。

  誰よりも民衆を愛した君は
  誰よりも民衆を軽蔑した君だ。

共産主義者、および共産政権の讃美者は、すくなくともわが国においての場合、思想の殉教者たろうなどとは夢にも思わず、自分たちだけが“進歩的”であると自任する優越感に酔い、ススンデイル己れたちに較べてオクレテイル国民を軽蔑する“反(そ)っくり返りの姿勢”を楽しみました。

竹内好にかぎらず本書の各章を飾る英雄たちは、国民を侮蔑する心性の保持では見事に共通しているのです。戦後の日本では、進歩的文化人になって言論をもてあそぶこと、反日的日本人として派手に目立つよう振舞うこと、それはひとえに例外なく、戦後社会で、偉(えら)クナルコト、有名ニナルコト、の最も安直で手っとり早い手段でした。身を挺しての、全身全霊をあげての、骨の髄から真剣の、ホンモノの共産主義者など、実は、どこにもいなかったのです。

シナ人の現実主義すら判らない竹内好の戯言(たわごと) へつづく
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