電脳筆写『 心超臨界 』

人は歳をとったからといって遊ぶことを止めない
人は遊ぶことを止めるから齢をとるのだ
( バーナード・ショー )

東京裁判はインチキ《 連合国にとって「厄介な男」――中西輝政 》

2024-09-07 | 04-歴史・文化・社会
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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連合国が提示した「ポツダム宣言」という降伏条件を受諾(じゅだく)した日本政府は、ドイツのような国家の崩壊を伴った無条件降伏をしたわけではありません。裁判を開くにしても、アメリカは同宣言によって行政主体として存在を認められている日本政府の手を一切介(かい)さずに、一方的に戦争犯罪人を逮捕・拘束することはできないはずでした。


◆連合国にとって「厄介な男」

『太平洋戦争の新常識』
( 歴史街道編集部編、PHP研究所 (2019/7/12)、p170 )
第13章 東京裁判で重光葵がA級戦犯にされた理由/中西輝政

東京裁判においては、東條英機(とうじょうひでき)や広田弘毅(こうき)など首相経験者を始め、28人ものリーダーたちが、いわゆる「A級戦犯」として裁かれました。

その中にあって、今日(こんにち)の日本人が最も注目すべきなのが、重光葵(しげみつまもる)です。というのも、重光がなぜ、A級戦犯に指定されたかを見れば、戦後日本が隠し続けた「あの戦争」と東京裁判の本質が見えてくるからです。

重光と言えば、戦時中に外相を務めていたほか、敗戦直後に再び外相に就(つ)き、政府全権として、米国戦艦・ミズーリ号甲板(かんぱん)で降伏文書に署名したことで知られます。

ところが、この1週間後の昭和20年9月11日、アメリカの憲兵がいきなり個人の家にまで押しかけ、直接、東條英機を捕まえました。日本が自ら進んでスムーズに武装解除したから、アメリカはポツダム宣言を無視して、むき出しの軍事力を使って戦争裁判の被告となるべき人物を引っ張ろうとしたわけです。

つまり、連合国が提示した「ポツダム宣言」という降伏条件を受諾(じゅだく)した日本政府は、ドイツのような国家の崩壊を伴った無条件降伏をしたわけではありません。裁判を開くにしても、アメリカは同宣言によって行政主体として存在を認められている日本政府の手を一切介(かい)さずに、一方的に戦争犯罪人を逮捕・拘束することはできないはずでした。

この時、あくまで筋(すじ)を通して、強硬に抗議したのが重光外相でした。驚くべきことに、重光は同時に、「ポツダム宣言に則(のっと)れば、日本は自分の手で裁判を行なうことができる」と主張し、昭和天皇に上奏(じょうそう)しています。

重光とて、長い外交官としての経験からもはや武装を解除した日本がどんな正論を主張しても、それをアメリカが呑(の)むわけがないことは十二分にわきまえていました。それでも、占領されるにあたって、「たとえ敗戦したとしても、主権国家としての威信を保つため、言うべきことを言う」ことの大切さとその意義を、彼は十分に分かっていたからです。

しかしアメリカからすれば、そんな重光は終始、「目の上のたんこぶ」以外の何物でもありません。それゆえ、重光を外相の座から追いだすことを目的の一つとして、東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣を総辞職させ、代わって幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)首相、吉田茂(しげる)外相という親米一色の内閣をつくらせたのです。

アメリカが重光を警戒した理由は、他にもあります。決定的だったのが、重光が主導した、昭和18年(1943)11月の「大東亜会議」です。

この時、日本は東京で一堂(いちどう)に会したフィリピンやビルマ、インド、タイなどのアジア各国の国政最高責任者を前に、対米英開戦の正義――すなわち、欧米の植民地統治からの「アジアの解放」と、諸国の独立という理念を切々(せつせつ)と訴えました。

しかしこれは、アメリカのみならず、連合国側からすれば、絶対に認めることのできない、また徹頭徹尾(てっとうてつび)、否定したい「忌(い)むべき反欧米の主張」でした。その後、重光は昭和20年4月に外相を退(しりぞ)きますが、前述のように戦後、再び返り咲きます。「厄介(やっかい)な男が戻ってきた」「こいつだけは許せない」というのが連合国側の統一見解だったでしょう。
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