電脳筆写『 心超臨界 』

人生は歎き悲しむよりも
笑いとばすほうが人には合っている
( セネカ )

不都合な真実 《 「佐藤さん、いったいどんな根回しをしたんだ」と鈴木氏は驚いた――佐藤優 》

2024-07-06 | 04-歴史・文化・社会
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


★「杉原千畝氏の名誉回復」というのは日本政府を貶める
 ための反日プロパガンダであることが判りました。
 真相はこちら
あまりに不自然だった「杉原千畝ブーム」


ビジネスマン必読
インテリジェンス交渉術[最終回]
鈴木宗男氏、その失敗の本質――佐藤優(起訴休職外務事務官・作家)
「文藝春秋」2008年12月号

グロテスクなまでに鈴木氏に擦り寄った
外務省の“裏切り”の論理とは

  [1]「命のビザ」の名誉回復
  [2] 憂鬱なアテンド
  [3] 深い思いと周到な戦略
  [4] 外務官僚の2つの抵抗
  [5] KGB並みの謀略能力
  [6] 嫉妬心のなさが敵をつくった
  [7] 私もまた失敗した


筆者と親しくするあごひげをはやした儀典長が「実は、イギリスの外務大臣も来ているんだけれど、向こうにはホテルに泊まってもらい、鈴木宗男政府代表に迎賓館を使ってもらうことにした。僕たちが苦しいときに君たちはほんとうに助けてくれた。感謝している。せめて返礼したい」と言った。リトアニア外務省の次官や局長は、この前までサユジスの活動家であった20代後半から30代前半にかけての青年たちである。昼、夜ともリトアニアの政府高官が主宰する会食が毎回行われ、朝食にも外務省幹部が同席した。リトアニア側が鈴木氏を心の底から歓迎している雰囲気が伝わった。


◆「佐藤さん、いったいどんな根回しをしたんだ」と鈴木氏は驚いた
[2] 憂鬱なアテンド (p340)

その2日後、10月5日、鈴木氏はモスクワに向けて飛び立った。5日夕刻、モスクワに到着し、その日の夜の飛行機でリトアニアの首都ビリニュスに入る予定だった。

率直に言って、筆者は鈴木氏のアテンドを命じられ、憂鬱だった。1991年6月、鈴木政務次官がモンゴルを訪問する途上、モスクワを訪れたことがある。そのとき筆者は別の代表団のアテンドでロシア・ホテルに詰めていた。そこに鈴木氏が訪ねてきた。そして鈴木氏は、筆者の方に近寄り、「鈴木宗男です。佐藤さん、あなたの話は霞クラブ(外務省の記者クラブ)のみなさんからよく聞いています。公電(外務省が公務で用いる電報)も読んでいます。本当にいい情報をとっていますね」と言った。そして、名刺を交換した。

当時、筆者は三等書記官だった。表に出ることがない下っ端だ。そこに外務省の職制上、大臣に次ぐ政務次官がわざわざ訪ねてきて、声をかけてくれたのだ。もちろん筆者は自分の仕事が評価され、とてもうれしかった。しかし、その思いに筆者の上司が水を差した。

「佐藤君、鈴木宗男さんには気をつけた方がいい。一見、気さくに君に声をかけてくるけれど、君の能力を鈴木さんは自分の野心を実現するために利用しようとしている。近寄ったら危険だ。鈴木さんは政務次官室で主席事務官(外務省独自の役職で他省庁の筆頭課長補佐にあたる)クラスの若いキャリアと飲み会をやっている。外務省内に自分のシンパをつくろうとしている。あの手法は危険だ。いずれにせよ政治家と深い付き合いをして僕たち(外務官僚)によいことは何もない。とにかく距離を置くことだ」

その上司を筆者は信頼していた。それだからこそ「そういうものかな。面倒なことには巻き込まれたくない」と思った。

ただでさえ鈴木政務次官とはあまり関係をつけたくないと思っているところに、もっと鬱陶しい話を書いた事務連絡電が本省から届いた。事務連絡電とは、公電に残すことが適当でない事務的な細かい内容についてやりとりする際の電報だが、公電と同じように暗号をかけることができる。公電が「参考配布」といって、本省でかなり広範に配布されるのに対して、事務連絡電は本省ならば担当課長と担当官にしか配布されない。秘密を守るために便利な通信手段なので、政治家をめぐる面倒な問題については事務連絡電でやりとりされることが多い。

筆者のところには、「鈴木政務次官が杉原千畝問題に強い関心をもっているが、当方(外務本省)として本件に深入りすることは不適切であると考える。特に杉原氏の退職理由については踏み込まないこと」という事務連絡電がとどいた。「当方(外務本省)として本件に深入りすることは不適切であると考える」ということは、鈴木氏は、ランズベルギス・リトアニア最高会議議長(国家元首)との会談で、杉原千畝氏について言及しようとしているが、できるだけそれをやめさせるように、出先の担当者は努力しろという意味だ。

もっとも筆者は、本省とは別の思惑から、鈴木氏がランズベルギスとの会談で、杉原千畝氏の「命のビザ」について言及することは不適当であると考えていた。

戦前のリトアニア共和国は、反ユダヤ主義的傾向が強かった。ランズベルギス大統領の父親は、第2次世界大戦中、戦前の政府の流れを引く反ソ、反独の民族主義地下政府の地方産業大臣をつとめていた。そのため、ソ連派共産党が、ランズベルギスの父親はユダヤ人弾圧に関与したという宣伝を行っていた。

ランズベルギスは「サユジス(リトアニア語で“運動”の意味)」の議長として政治権力をつけた。「サユジス」は、当初、「ペレストロイカを支持するサユジス」として発足し、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長の改革を支持するという装いをしていたが、途中から「ペレストロイカを支持する」を外し、リトアニアの独立を目指す民族主義運動としての性格を鮮明にした。ヨーロッパではどのような民族主義運動も、多かれ少なかれ反ユダヤ主義的傾向を帯びていた。リトアニアのユダヤ人団体とランズベルギス最高会議議長兼「サユジス」議長の関係も難しかった。こういう状況で、鈴木氏が杉原千畝氏の「命のビザ」に言及し、ユダヤ問題を取り上げると、鈴木氏とランズベルギスの会談の雰囲気が悪くなるのではないかと筆者は危惧していた。

リトアニア政府は、日本代表団に対してきわめて手厚いもてなしをした。それはリトアニア外務省の次官、儀典長たち、またモスクワのリトアニア臨時代理大使や公使たちと、リトアニアが独立する2年半くらい前の1989年から、筆者がかなり深い付き合いをしていたからだ。その関係で、KGB(ソ連国家保安委員会)関係者から「やりすぎだぞ」と何度か警告を受けたことがある。逆に、リトアニア政府からは1992年1月に「さまざまな情報提供などでリトアニア独立に貢献した」と筆者は「1月13日勲章」を授与された。「1月13日」とは、1991年のこの日にソ連軍がリトアニア独立派の民衆を弾圧し、死傷者がでた「ビリニュス・血の日曜日事件」を指す。ちなみにこの勲章はエリツィン。ロシア大統領にも授与された。

こういう経緯があるので、リトアニアの民族主義者は筆者を「身内」として取り扱ってくれた。鈴木氏がビリニュスに向けて出発するシェレメチェボ第1空港にはビチュカウスカス臨時代理大使が見送りにやってきた。飛行機はアエロフロート(ソ連航空)から分割されたツポレフ154だった。「Аэрофлот(アエロフロート)」という青色の文字の下にラテン文字でリトアニア航空と描かれている。

飛行機に乗ると、機長が「本機には、リトアニアと国交を樹立するためにやってきた日本政府代表団が乗っています」と紹介した。すると自然に機内で大きな拍手が起きた。飛行機が水平飛行になると、鈴木氏がコックピットに招かれた。副操縦席に座れという。操縦桿を握って、鈴木氏はご機嫌だった。

ビリニュス空港に着くと外務大臣が待っている。そして、リトアニア政府が所有する最高級リムジン「チャイカ(ロシア語で“かもめ”の意味)」に鈴木氏を案内する。先導のパトカーが4台もつき、鈴木氏を迎賓館に案内した。ビリニュスの旧市街から少し離れた森の中、高い塀で囲われた敷地の中に迎賓館がある。筆者と親しくするあごひげをはやした儀典長が「実は、イギリスの外務大臣も来ているんだけれど、向こうにはホテルに泊まってもらい、鈴木宗男政府代表に迎賓館を使ってもらうことにした。僕たちが苦しいときに君たちはほんとうに助けてくれた。感謝している。せめて返礼したい」と言った。リトアニア外務省の次官や局長は、この前までサユジスの活動家であった20代後半から30代前半にかけての青年たちである。昼、夜ともリトアニアの政府高官が主宰する会食が毎回行われ、朝食にも外務省幹部が同席した。リトアニア側が鈴木氏を心の底から歓迎している雰囲気が伝わった。その様子を見て、「佐藤さん、いったいどんな根回しをしたんだ」と鈴木氏は驚いた。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 意味も由来も謎に包まれたま... | トップ | 出来損ない山頭火を拾った師―... »
最新の画像もっと見る

04-歴史・文化・社会」カテゴリの最新記事