電脳筆写『 心超臨界 』

人は歳をとったからといって遊ぶことを止めない
人は遊ぶことを止めるから齢をとるのだ
( バーナード・ショー )

モネのひたむきな姿勢は、私の原動力でもある――西澤潤一

2024-02-04 | 03-自己・信念・努力
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「こころの玉手箱」西澤潤一・東北大学名誉教授
  [1] モネ「睡蓮」
  [2] 杜の都・仙台
  [3] バッハ「マタイ受難曲」
  [4] 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
  [5] 剣持勇の籐のイス


71年に行ったときのこと。一枚の睡蓮が上下逆に展示してあるのに気付いた。でも確信できず館を出た。翌年再訪する機会があり、もう一度その絵を見ると、逆さまのままだ。たまりかねて、名刺の裏にその旨を書いて係員に渡してきた。帰国後しばらくすると、東京・渋谷の百貨店でフランス印象派展があり、立ち止まる暇もなしに見ていたらその絵があり、向きも直っていた。フランスでは先に新聞が報じたらしい。モネ好きの私にとって誇らしい出来事だ。


 [1] モネ「睡蓮」――ひたむきさ、私の原動力
(「こころの玉手箱」09.05.18日経新聞(夕刊))

「愚直一徹 大道無門」を座右の銘とし、半導体研究に明け暮れた。趣味というほどではないが、心安らぐものといえば、小さいころから好きだった絵画になるだろうか。中でも、印象派を代表するフランスの画家、クロード・モネの「睡蓮(すいれん)」には強烈な印象を受け、すっかりとりこになってしまった。

東北大学教授だった父、恭助は戦前、ドイツに留学した経験からか、かの地の複製画をよく購入していた。戦前の貧しい時代、絵画は知らないうちに、私の内面形成にかかわっていたと思う。仙台の三越で複製画展が開かれて見に行ったことも覚えている。

仙台二中時代には、油絵を描こうと絵画部に所属した。父が画材を買ってくれず、水彩画しか描けなかったが、水彩画もなかなか味があって、油絵に劣らず好きだ。戦後、海外の著名な絵画がどんどん日本で紹介され始めた。大学に職を得た私も、機会を見ては上京し、セザンヌやルノワール、シスレーら巨匠たちの展示会へ足を運んだ。

モネとの出会いは、1952年に開館したブリヂストン美術館だ。たまたま雑誌を読んでいて展示の予定を知り、開館を待ちこがれて上京した。一目見て、大好きになった。

モネは晩年、睡蓮の絵を多数描き残している。光のあたり具合により描き分けている。自然を厳密に観察する科学者の視点をもちつつ、画面全体には温かみがあふれている。水面の波の描写がすばらしい。

海外の学会に出席すると、近くの美術館に必ず立ち寄る。モネの収集で有名なパリのマルモッタン美術館にも何度か訪れた。

71年に行ったときのこと。一枚の睡蓮が上下逆に展示してあるのに気付いた。でも確信できず館を出た。翌年再訪する機会があり、もう一度その絵を見ると、逆さまのままだ。たまりかねて、名刺の裏にその旨を書いて係員に渡してきた。

帰国後しばらくすると、東京・渋谷の百貨店でフランス印象派展があり、立ち止まる暇もなしに見ていたらその絵があり、向きも直っていた。フランスでは先に新聞が報じたらしい。モネ好きの私にとって誇らしい出来事だ。

モネは80歳を超えても新しい画風に挑戦し続けた。そのひたむきな姿勢は、私の原動力でもある。
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