電脳筆写『 心超臨界 』

人間は環境の産物ではない
環境が人間の産物なのである
( ベンジャミン・ディズレーリ )

用意ができたとき師が現われる 《 「おまえが不良なのは分かってる」――鈴木亜久里 》

2024-06-20 | 06-愛・家族・幸福
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そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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禅の中に、「用意ができたときに師は現われる」という教えがあります。自分に準備がなければ、すべては無意味な存在でしかないということです。意志が生まれたとき、手をさしのべる師は現われる。師はいたる所にいる。ふと目にした新聞の記事や子供の質問に答えた自分の言葉であることもある。「師はどのように現われるのか?」との質問への答えは、「これがそうだ」という以外にない。たとえば死にかけた虫を見て、自分の中に同情心がかき立てられた瞬間に、師が出現したことになるのである。


高校受験のときは、1~2年生の出席日数が足りない僕の内申書をこっそり書きかえてくれて。子供心に「この先生は決して自分を裏切らない」と感じました。だから、注意も素直に聞けたのかもしれません。


◆「おまえが不良なのは分かってる」――親身の指導、この先生ならと心開く
(「学びのふるさと」09.11.06日経新聞(朝刊))

  レーシングチーム監督・鈴木亜久里さん
  ………………………………………………………………………
  東京都生まれ。12歳でカートレースを始め、1988年に
  F1デビュー。90年の日本グランプリで3位入賞、日本人
  として初めて表彰台にのぼった。49歳。
  ………………………………………………………………………

中学2年生まで「不良」でした。両親が離婚、母親と暮らしていましたが、学校にはほとんど行かず、悪い先輩や友人と遊んでばかり。とうとう母の手に負えなくなり、父親のもとへ。学校も埼玉県の所沢市立東中学校へ転校しました。

そこで出会ったのが担任の板橋明先生。顔はひげだらけで髪はボサボサ、見た目はクマのようでした。会うなり「おまえが不良なのは分かっている」。内申書で申し送りされていたんでしょうね。

前の学校では、先生から見放されていることをひしひしと感じていました。面と向かって「おまえ、来なくていいよ」と言われたこともあります。でも板橋先生は僕を受け入れ、理解しようとしてくれた。しょっちゅう話を聞きに家までやって来て、他の生徒とケンカをしたときも、なぜケンカをしたのかを僕の身になって考えてくれました。

高校受験のときは、1~2年生の出席日数が足りない僕の内申書をこっそり書きかえてくれて。子供心に「この先生は決して自分を裏切らない」と感じました。だから、注意も素直に聞けたのかもしれません。

「このままじゃ高校にいけないぞ」と言われ、受験勉強もしました。進学した高校では生徒会の副会長まで務めました。

中学2年までの僕はいわば歯車のずれた不良品。その歯車を板橋先生が合わせてくれた。先生に出会わなかったら一生ずれたままだったかもしれない。本当に感謝しています。

もう一人、恩師と呼べるのがトヨタ自動車の関連会社トムスの舘信秀会長です。レーサー人生の要所要所で僕を支えてくれました。23歳のとき、鳴かず飛ばずで資金も無くなり、レースをやめようと決意しました。舘さんに報告に行ったら「こんなに中途半端でやめるなんて、ふざけるな」と。ライバル会社にもかかわらず日産のチームを紹介してくれ、レースを続けることができました。

中学2年で荒れて「人生やめますか」というときに助けてくれた板橋先生。23歳で挫折して「レースやめますか」というときに助けてくれた舘さん、2人がいなかったら人生は全く違ったものになっていたと思います。今の僕の原点をつくってくれた人たちです。

(聞き手は田島亜紀子)
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