電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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「タイタニック号が沈み始めたとき、パニックになった女性や子どもたちがまず、救命ボートに乗せられました。シュトラウス夫妻は落ち着いてほかの乗客たちを励まし、大勢のひとを助けてボートに乗せていました。お二人がいなかったら、わたしは助かってはいなかったでしょう。わたしが乗ったのは4艘目か5艘目の救命ボートでした。ミセス・シュトラウスがわたしをボートに押し込み、分厚いコートを着せてくれたんです」
◆生きるときも死ぬときも
「こころのチキンスープ 13」
( ジャック・キャンフィールド他、ダイヤモンド社、p65 )
生きるときも死ぬときもいつまでも一緒にいよう、と誓う恋人たちはたくさんいる。だが、ミセス・イシドール・シュトラウスほど忠実で献身的だったひとはほかにいないだろう。
1912年だった。ミセス・シュトラウスは夫とともに、あの運命の航海をしたタイタニック号に乗り合わせていた。船とともに沈んだ女性はそう多くはないが、ミセス・シュトラウスはそのひとりだった。彼女が生き延びようとしなかった理由は簡単だった。夫をおいて助かることはできない、ということだ。
これは、ミセス・シュトラウスのメイドが事故後に語った物語である。
「タイタニック号が沈み始めたとき、パニックになった女性や子どもたちがまず、救命ボートに乗せられました。シュトラウス夫妻は落ち着いてほかの乗客たちを励まし、大勢のひとを助けてボートに乗せていました。
お二人がいなかったら、わたしは助かってはいなかったでしょう。わたしが乗ったのは4艘目か5艘目の救命ボートでした。ミセス・シュトラウスがわたしをボートに押し込み、分厚いコートを着せてくれたんです」
ミスター・シュトラウスは妻に、ほかの乗客やメイドと一緒にボートに乗ってくれと懇願した。ミセス・シュトラウスはボートに乗りかけた。片足を船縁にかけたのだが、そこで急に決心を翻し、沈みかかっている船上に戻ってしまった。
「お願いだ。ボートに乗りなさい!」夫が哀願した。
ミセス・シュトラウスは生涯の大半をともに過ごしてきた男性の目を深々と見つめた。親友であり、真の心の友であり、魂の慰め手であった男性だ。彼女は夫の腕をとり、その震える身体を自分に引き寄せた。
「いいえ」ミセス・シュトラウスはきっぱりと答えた。「ボートには乗りません。わたしたちはずっと一緒に生きてきた。それにもう老いたわ。あなたをおいては行きません。あなたのいらっしゃるところへ、わたしも行きます」
それが二人の最後の姿だった。腕を組んでデッキに立った二人。沈んでいく船のうえで、献身的で勇気ある妻は夫に寄り添い、愛情あふれる夫は守るように妻を抱いていた。いつまでも、二人で……。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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「タイタニック号が沈み始めたとき、パニックになった女性や子どもたちがまず、救命ボートに乗せられました。シュトラウス夫妻は落ち着いてほかの乗客たちを励まし、大勢のひとを助けてボートに乗せていました。お二人がいなかったら、わたしは助かってはいなかったでしょう。わたしが乗ったのは4艘目か5艘目の救命ボートでした。ミセス・シュトラウスがわたしをボートに押し込み、分厚いコートを着せてくれたんです」
◆生きるときも死ぬときも
「こころのチキンスープ 13」
( ジャック・キャンフィールド他、ダイヤモンド社、p65 )
生きるときも死ぬときもいつまでも一緒にいよう、と誓う恋人たちはたくさんいる。だが、ミセス・イシドール・シュトラウスほど忠実で献身的だったひとはほかにいないだろう。
1912年だった。ミセス・シュトラウスは夫とともに、あの運命の航海をしたタイタニック号に乗り合わせていた。船とともに沈んだ女性はそう多くはないが、ミセス・シュトラウスはそのひとりだった。彼女が生き延びようとしなかった理由は簡単だった。夫をおいて助かることはできない、ということだ。
これは、ミセス・シュトラウスのメイドが事故後に語った物語である。
「タイタニック号が沈み始めたとき、パニックになった女性や子どもたちがまず、救命ボートに乗せられました。シュトラウス夫妻は落ち着いてほかの乗客たちを励まし、大勢のひとを助けてボートに乗せていました。
お二人がいなかったら、わたしは助かってはいなかったでしょう。わたしが乗ったのは4艘目か5艘目の救命ボートでした。ミセス・シュトラウスがわたしをボートに押し込み、分厚いコートを着せてくれたんです」
ミスター・シュトラウスは妻に、ほかの乗客やメイドと一緒にボートに乗ってくれと懇願した。ミセス・シュトラウスはボートに乗りかけた。片足を船縁にかけたのだが、そこで急に決心を翻し、沈みかかっている船上に戻ってしまった。
「お願いだ。ボートに乗りなさい!」夫が哀願した。
ミセス・シュトラウスは生涯の大半をともに過ごしてきた男性の目を深々と見つめた。親友であり、真の心の友であり、魂の慰め手であった男性だ。彼女は夫の腕をとり、その震える身体を自分に引き寄せた。
「いいえ」ミセス・シュトラウスはきっぱりと答えた。「ボートには乗りません。わたしたちはずっと一緒に生きてきた。それにもう老いたわ。あなたをおいては行きません。あなたのいらっしゃるところへ、わたしも行きます」
それが二人の最後の姿だった。腕を組んでデッキに立った二人。沈んでいく船のうえで、献身的で勇気ある妻は夫に寄り添い、愛情あふれる夫は守るように妻を抱いていた。いつまでも、二人で……。