電脳筆写『 心超臨界 』

真の発見の旅は新しい景色を求めることではなく
新しい視野を持つことにある
( マルセル・プルースト )

◆NHKをつくった占領軍の「WGIP」

2024-08-14 | 05-真相・背景・経緯
§5-2 WGIP——GHQが推進した精神劣化政策
   WGIP;War Guilt Information Program(戦争犯罪情報宣伝計画)
◆NHKをつくった占領軍の「WGIP」


連合国軍、つまり戦勝国アメリカが、何よりも真っ先に実現したかったのは、「戦勝による利益確定」でも、「駐屯すべき兵士たちの安全確保」でもなかった。アメリカが欲したのは、「物理的道徳的両面から、当戦争の責任を全面的に日本に押し付けること」だったのだ。アメリカが日本全土を爆撃した挙句、広島・長崎に原爆を投下して、30万人を超える非戦闘員を瞬時に殺傷してから1ヵ月と経っていない時期にこの指令(WGIP)は出された。


◇NHKをつくった占領軍の「WGIP」

『NHK亡国論』
( 西村幸祐、ベストセラーズ (2014/9/26)、p25 )

「WGIP」とは「War Guilt Information Program(ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム)」の略である。昭和20年(1945)、終戦直後の東京に設置された連合国軍最高司令官総司令部、通称「GHQ」が、戦勝国の日本占領施策としてただちに開始した「日本人の意識改造」活動だ。

ウォー・ギルトは「戦争罪悪感」を意味する。「大東亜戦争はアジアの解放、列強からの独立のための戦争だった」という日本の大義を日本人の頭から取り除き、「戦前の日本は悪そのものであり、悪行の限りをつくして国際社会に災厄をもたらした」という罪の意識を刷り込むことをそれは目的とした。

神道研究家として知られるジャーナリストの山村明義氏は、近著の『GHQの日本洗脳』(光文社)の中で、《GHQは、戦前からの諜報戦により心理研究の結果、日本人の弱点は、“ソフトな洗脳”にあると見抜いていた》と述べている。さらに氏は、《GHQは日本人のことを“マインドコントロール”が施しやすい国民と見た》と続ける。

WGIPという用語の存在は、文芸評論家・江藤淳氏による平成元年(1989)年の著作『閉ざされた言語空間』(文藝春秋)に初出する。その実在についてはいくつかの議論があったが、山村氏は著書の中で、WGIPの出発点は明解であるとし、次のように述べている。

《昭和20年(1945)9月2日、GHQは指令第1号である「SCAPIN-1」の一般命令として、「各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪」などを「周知徹底せしめること」を指令し、その後実際に、日本人への「精神的非武装化」を実施していった》(『GHQの日本洗脳』)

「SCAPIN」とは「Supreme Command for Allied Powers Instruction Note」の略であり、一般的に「スキャッピン」と発音される。SCAP=Supreme Command for Allied Powers(連合国軍最高司令官)から日本政府に対して出される「Instruction Note(訓令書)」のことだ。その指令の第一号が、WGIPのコンセプトそのものだったことは注目されていい。

連合国軍、つまり戦勝国アメリカが、何よりも真っ先に実現したかったのは、「戦勝による利益確定」でも、「駐屯すべき兵士たちの安全確保」でもなかった。アメリカが欲したのは、「物理的道徳的両面から、当戦争の責任を全面的に日本に押し付けること」だったのだ。アメリカが日本全土を爆撃した挙句、広島・長崎に原爆を投下して、30万人を超える非戦闘員を瞬時に殺傷してから1ヵ月と経っていない時期にこの指令は出された。

そしてWGIPの実在について、山村氏はこう続ける。

《昭和23年(1948)3月3日の内部の覚書では、マッカーサー最高司令官からCIEのダイク局長に宛てたGHQの文書の中に、「WGIP」の原題が明記されていた。つまり、「WGIP」が実在していたということは、米側の資料によって証明できるわけである》(前掲書)

「CIE」は「Civil Information and Education Section」(民間情報教育局)の略で、GHQの部局のひとつだ。教育や宗教、メディアなどの文化的分野における占領施策を担当した。戦後のNHKに大きく関わったのは、すなわちこのCIEである。

NHKの公式ホームページ「NHKオンライン」に、自身の歴史を記録した「NHKの沿革と放送史」というページがある。大正14年(1925)3月に《社団法人東京放送局、ラジオ放送開始(6月 同大阪放送局/7月 同名古屋放送局放送開始)とあり、翌年にこれら3つの放送局が合併して「社団法人日本放送協会」が発足した。以降、数年置きの沿革があって昭和10年(1935)6月の《ラジオ国際放送開始》。その次が、昭和20年(1945)8月の《終戦の勅令を録音放送》である。

そして《終戦の勅令を録音放送》の後、何も記載がないまま5年飛んで昭和25年(1950)6月に《社団法人日本放送協会を解散、放送法に基づく「特殊法人日本放送協会」設立》の沿革となる。今のNHKの誕生である。

宣伝用のホームページであり、スペースに限りもあるだろうからことさら文句をつけるつもりもないが、私たちが知りたいのは、《終戦の勅令を録音放送》から《放送法に基づく特殊法人日本放送協会設立》までの、何も記載がないその5年の間に何があったかである。

私はここで「放送法に基づく」という枕詞(まくらことば)をあえて残した。戦後NHKの誕生にあっては、ここがきわめて重要だと思うからである。
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