電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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ニューマン枢機卿〈英の神学者。『わが生涯の弁明』『承認の原理』などの著者〉が「人間は終わりになるのを憂えてはならない。未だ、かつて始(はじめ)らしい始(はじめ)をもたなかったことを考えよ」という深い言葉を吐いている。これは「常に始である」という思想であり、「終わりも始である」ということなのだ。
『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p115 )
第4章 出処進退の人間学
◆爵禄(しゃくろく)は得易く、名節は保ち難し
人間はどうも終わりになるとあわてだす。
古来、「全節」〈節を全うす〉ということが重んぜられるのは、晩年ほど、万事に執着が強くなって、人間のあさましさが露呈しがちになるからである。
アランの痛烈な一言がある。
「青年は恋愛を欲しがり、壮年は地位を欲しがり、老人は貪欲になって、地位も金も名誉もすべて欲しがる」
事実、「これは」と思わせた大物が、とんだところで馬脚をあらわした例は無数にある。もっとも金や女に対する執着はまだかわいいものだし、断ちきるのも、それほどのことではない。しかし、一旦、権力を握った者がそれを捨てることは至難の業(わざ)だ。
しかし、ものは考えようである。
ニューマン枢機卿〈英の神学者。『わが生涯の弁明』『承認の原理』などの著者〉が「人間は終わりになるのを憂えてはならない。未だ、かつて始(はじめ)らしい始(はじめ)をもたなかったことを考えよ」という深い言葉を吐いている。これは「常に始である」という思想であり、「終わりも始である」ということなのだ。
その意味で、しゃれた出処進退をやったのは高橋幹夫〈日本自動車連盟会長〉である。
警察庁長官のポストを去るにあたって、元(げん)の名臣、張養浩(ちょうようこう)の「三事忠告」を引用したのだ。
一つは『廟堂忠告』の第十に出てきている「退休」。
いわく「こころみに辱(はずかしめ)を免れざりし者を見るに、おおむね、みな進(すすむ)を知りて退(のく)を知らず、栄寵(えいちょう)を恋索(れんさく)して、これを致(まね)く」と。
も一つは『牧民忠告』の下巻第六の「風節」。
いわく「爵禄は得易く、名節は保ち難し。爵禄あるいは失うも、時あってか、再び来る。名前ひとたび虧(か)くれば、終身、復(かえ)らず」。
また、五知先生伝〈宋初の賢人。季繹〉の「難を知ること。時を知ること。命を知ること。退を知ること。足るを知ること。この五知を養い得て、はじめてよく難局に当るべし」の座右を「常々、肝(きも)に銘じていた」ともいった。
ついでのことに「これから浪人生活に入るわけだが、その心構えはいかん」ときいたら、即座にゲーテの畏友、M・フォン・クリンゲルの言葉がかえってきた。
「まことの人は、彼の義務が要請(ようせい)する時と場合においてのみ、世界の舞台に現われねばならぬが、その他では一個の隠者として、彼の家族のなかに僅かな友人とともに、また、彼の書籍の間に、精神の風土に生活しなければならない」
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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ニューマン枢機卿〈英の神学者。『わが生涯の弁明』『承認の原理』などの著者〉が「人間は終わりになるのを憂えてはならない。未だ、かつて始(はじめ)らしい始(はじめ)をもたなかったことを考えよ」という深い言葉を吐いている。これは「常に始である」という思想であり、「終わりも始である」ということなのだ。
『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p115 )
第4章 出処進退の人間学
◆爵禄(しゃくろく)は得易く、名節は保ち難し
人間はどうも終わりになるとあわてだす。
古来、「全節」〈節を全うす〉ということが重んぜられるのは、晩年ほど、万事に執着が強くなって、人間のあさましさが露呈しがちになるからである。
アランの痛烈な一言がある。
「青年は恋愛を欲しがり、壮年は地位を欲しがり、老人は貪欲になって、地位も金も名誉もすべて欲しがる」
事実、「これは」と思わせた大物が、とんだところで馬脚をあらわした例は無数にある。もっとも金や女に対する執着はまだかわいいものだし、断ちきるのも、それほどのことではない。しかし、一旦、権力を握った者がそれを捨てることは至難の業(わざ)だ。
しかし、ものは考えようである。
ニューマン枢機卿〈英の神学者。『わが生涯の弁明』『承認の原理』などの著者〉が「人間は終わりになるのを憂えてはならない。未だ、かつて始(はじめ)らしい始(はじめ)をもたなかったことを考えよ」という深い言葉を吐いている。これは「常に始である」という思想であり、「終わりも始である」ということなのだ。
その意味で、しゃれた出処進退をやったのは高橋幹夫〈日本自動車連盟会長〉である。
警察庁長官のポストを去るにあたって、元(げん)の名臣、張養浩(ちょうようこう)の「三事忠告」を引用したのだ。
一つは『廟堂忠告』の第十に出てきている「退休」。
いわく「こころみに辱(はずかしめ)を免れざりし者を見るに、おおむね、みな進(すすむ)を知りて退(のく)を知らず、栄寵(えいちょう)を恋索(れんさく)して、これを致(まね)く」と。
も一つは『牧民忠告』の下巻第六の「風節」。
いわく「爵禄は得易く、名節は保ち難し。爵禄あるいは失うも、時あってか、再び来る。名前ひとたび虧(か)くれば、終身、復(かえ)らず」。
また、五知先生伝〈宋初の賢人。季繹〉の「難を知ること。時を知ること。命を知ること。退を知ること。足るを知ること。この五知を養い得て、はじめてよく難局に当るべし」の座右を「常々、肝(きも)に銘じていた」ともいった。
ついでのことに「これから浪人生活に入るわけだが、その心構えはいかん」ときいたら、即座にゲーテの畏友、M・フォン・クリンゲルの言葉がかえってきた。
「まことの人は、彼の義務が要請(ようせい)する時と場合においてのみ、世界の舞台に現われねばならぬが、その他では一個の隠者として、彼の家族のなかに僅かな友人とともに、また、彼の書籍の間に、精神の風土に生活しなければならない」