電脳筆写『 心超臨界 』

自分を励ます最良の方法、それは人を励ますこと
( マーク・トウェイン )

人間学 《 爵禄は得易く、名節は保ち難し――伊藤肇 》

2024-07-13 | 03-自己・信念・努力
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ニューマン枢機卿〈英の神学者。『わが生涯の弁明』『承認の原理』などの著者〉が「人間は終わりになるのを憂えてはならない。未だ、かつて始(はじめ)らしい始(はじめ)をもたなかったことを考えよ」という深い言葉を吐いている。これは「常に始である」という思想であり、「終わりも始である」ということなのだ。


『人間学』
( 伊藤肇、PHP研究所 (1986/05)、p115 )
第4章 出処進退の人間学

◆爵禄(しゃくろく)は得易く、名節は保ち難し

人間はどうも終わりになるとあわてだす。

古来、「全節」〈節を全うす〉ということが重んぜられるのは、晩年ほど、万事に執着が強くなって、人間のあさましさが露呈しがちになるからである。

アランの痛烈な一言がある。

「青年は恋愛を欲しがり、壮年は地位を欲しがり、老人は貪欲になって、地位も金も名誉もすべて欲しがる」

事実、「これは」と思わせた大物が、とんだところで馬脚をあらわした例は無数にある。もっとも金や女に対する執着はまだかわいいものだし、断ちきるのも、それほどのことではない。しかし、一旦、権力を握った者がそれを捨てることは至難の業(わざ)だ。

しかし、ものは考えようである。

ニューマン枢機卿〈英の神学者。『わが生涯の弁明』『承認の原理』などの著者〉が「人間は終わりになるのを憂えてはならない。未だ、かつて始(はじめ)らしい始(はじめ)をもたなかったことを考えよ」という深い言葉を吐いている。これは「常に始である」という思想であり、「終わりも始である」ということなのだ。

その意味で、しゃれた出処進退をやったのは高橋幹夫〈日本自動車連盟会長〉である。

警察庁長官のポストを去るにあたって、元(げん)の名臣、張養浩(ちょうようこう)の「三事忠告」を引用したのだ。

一つは『廟堂忠告』の第十に出てきている「退休」。

いわく「こころみに辱(はずかしめ)を免れざりし者を見るに、おおむね、みな進(すすむ)を知りて退(のく)を知らず、栄寵(えいちょう)を恋索(れんさく)して、これを致(まね)く」と。

も一つは『牧民忠告』の下巻第六の「風節」。

いわく「爵禄は得易く、名節は保ち難し。爵禄あるいは失うも、時あってか、再び来る。名前ひとたび虧(か)くれば、終身、復(かえ)らず」。

また、五知先生伝〈宋初の賢人。季繹〉の「難を知ること。時を知ること。命を知ること。退を知ること。足るを知ること。この五知を養い得て、はじめてよく難局に当るべし」の座右を「常々、肝(きも)に銘じていた」ともいった。

ついでのことに「これから浪人生活に入るわけだが、その心構えはいかん」ときいたら、即座にゲーテの畏友、M・フォン・クリンゲルの言葉がかえってきた。

「まことの人は、彼の義務が要請(ようせい)する時と場合においてのみ、世界の舞台に現われねばならぬが、その他では一個の隠者として、彼の家族のなかに僅かな友人とともに、また、彼の書籍の間に、精神の風土に生活しなければならない」
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