電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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若いころ、ジェンナーはソドベリーで、ある医者の助手として働いていたが、そこへたまたま村の娘が診察を受けにきた。医者が天然痘だと診察すると、娘は驚いたように首を横に振った。
「天然痘ですって!? そんなはずないわ。だって私、牛痘にかかたことがあるんですもの」。
何気ない娘の言葉に、ジェンナーの心はたちまち釘付けにされた。そしてこの問題に関して、すぐさま調査と観察を開始する。
『自助論』
( サミュエル・スマイルズ、三笠書房(2002/3/21)、p75 )
3章 好機、再び来たらず――人生の転機を見抜く才覚、生かす才覚
5 信念は力なり
◆考えてばかりいないで実践してみる
ハーベィに劣らぬ辛酸を味わったのが、天然痘(てんねんとう)の予防法を発見し、それを世間に広めようとしたエドワード・ジェンナーである。
当時はすでに牛痘(ぎゅうとう=牛がかかる疱瘡(ほうそう))の存在が知られており、彼が生まれたイギリスのグロスターシャー地方で牛の乳搾りをしていた女たちの間では、「牛痘にかかった者は天然痘にかからない」という説が広く流布していた。だが医学界では、その説は根も葉もないくだらぬうわさにすぎないと片付けられ、誰もその真偽を確かめようとはしなかった。ジェンナーがこの問題に注目しはじめたのも、元はといえば偶然のきっかけからであった。
若いころ、ジェンナーはソドベリーで、ある医者の助手として働いていたが、そこへたまたま村の娘が診察を受けにきた。医者が天然痘だと診察すると、娘は驚いたように首を横に振った。
「天然痘ですって!? そんなはずないわ。だって私、牛痘にかかたことがあるんですもの」
何気ない娘の言葉に、ジェンナーの心はたちまち釘付けにされた。そしてこの問題に関して、すぐさま調査と観察を開始する。
彼は、牛痘が天然痘に予防効果を持つのではないかとの見解を同僚の医師たちに打ち明けた。だが彼らは、その考えを一笑に付しただけでなく、そんな突飛な説を振りかざして同業者を困らせつづけるなら、医者の世界から追放するしかない、と彼を脅したほどだった。
その後、ジェンナーはロンドンにおもむき、名医ジョン・ハンターのもとに弟子入りする。それは、彼にとって幸運なできごとであった。彼がハンターに自らの見解を話すと、この高名な医者はこう答えたという。
「考えてばかりいないで実践してみなさい。ただし、忍耐強く正確にやってみることだ」
ジェンナーはこの忠告に勇気づけられた。学問研究の真髄とは何かを、ハンターの言葉を通じて悟ったのだ。
彼は郷里に戻った。そして医者の仕事をするかたわら、その後20年の間、天然痘予防の研究をつづける。彼は自分の発見の正しさを信じていたゆえ、息子にも3度にわたってワクチンの接種を試みた。
ついに研究の成果を公にする時がきた。ジェンナーは23人の予防実験に成功して天然痘の伝染を防いだ。それを70ページの本に詳細にまとめ、1798年に発表した。彼が種痘について明確な考えを持ちはじめたのは1775年だから、この日のために20年以上もの間を研究に捧げてきたのである。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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若いころ、ジェンナーはソドベリーで、ある医者の助手として働いていたが、そこへたまたま村の娘が診察を受けにきた。医者が天然痘だと診察すると、娘は驚いたように首を横に振った。
「天然痘ですって!? そんなはずないわ。だって私、牛痘にかかたことがあるんですもの」。
何気ない娘の言葉に、ジェンナーの心はたちまち釘付けにされた。そしてこの問題に関して、すぐさま調査と観察を開始する。
『自助論』
( サミュエル・スマイルズ、三笠書房(2002/3/21)、p75 )
3章 好機、再び来たらず――人生の転機を見抜く才覚、生かす才覚
5 信念は力なり
◆考えてばかりいないで実践してみる
ハーベィに劣らぬ辛酸を味わったのが、天然痘(てんねんとう)の予防法を発見し、それを世間に広めようとしたエドワード・ジェンナーである。
当時はすでに牛痘(ぎゅうとう=牛がかかる疱瘡(ほうそう))の存在が知られており、彼が生まれたイギリスのグロスターシャー地方で牛の乳搾りをしていた女たちの間では、「牛痘にかかった者は天然痘にかからない」という説が広く流布していた。だが医学界では、その説は根も葉もないくだらぬうわさにすぎないと片付けられ、誰もその真偽を確かめようとはしなかった。ジェンナーがこの問題に注目しはじめたのも、元はといえば偶然のきっかけからであった。
若いころ、ジェンナーはソドベリーで、ある医者の助手として働いていたが、そこへたまたま村の娘が診察を受けにきた。医者が天然痘だと診察すると、娘は驚いたように首を横に振った。
「天然痘ですって!? そんなはずないわ。だって私、牛痘にかかたことがあるんですもの」
何気ない娘の言葉に、ジェンナーの心はたちまち釘付けにされた。そしてこの問題に関して、すぐさま調査と観察を開始する。
彼は、牛痘が天然痘に予防効果を持つのではないかとの見解を同僚の医師たちに打ち明けた。だが彼らは、その考えを一笑に付しただけでなく、そんな突飛な説を振りかざして同業者を困らせつづけるなら、医者の世界から追放するしかない、と彼を脅したほどだった。
その後、ジェンナーはロンドンにおもむき、名医ジョン・ハンターのもとに弟子入りする。それは、彼にとって幸運なできごとであった。彼がハンターに自らの見解を話すと、この高名な医者はこう答えたという。
「考えてばかりいないで実践してみなさい。ただし、忍耐強く正確にやってみることだ」
ジェンナーはこの忠告に勇気づけられた。学問研究の真髄とは何かを、ハンターの言葉を通じて悟ったのだ。
彼は郷里に戻った。そして医者の仕事をするかたわら、その後20年の間、天然痘予防の研究をつづける。彼は自分の発見の正しさを信じていたゆえ、息子にも3度にわたってワクチンの接種を試みた。
ついに研究の成果を公にする時がきた。ジェンナーは23人の予防実験に成功して天然痘の伝染を防いだ。それを70ページの本に詳細にまとめ、1798年に発表した。彼が種痘について明確な考えを持ちはじめたのは1775年だから、この日のために20年以上もの間を研究に捧げてきたのである。