電脳筆写『 心超臨界 』

人間は環境の産物ではない
環境が人間の産物なのである
( ベンジャミン・ディズレーリ )

「奇跡が起きて」と思っていました――山本典子さん

2024-06-19 | 06-愛・家族・幸福
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
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長男は15年前、6歳で白血病になりました。化学療法で完治した例のないタイプで、骨髄移植が唯一の望みでした。当時は骨髄バンクがなく、1年後に生まれた次男が、長男に移植する骨髄の量が足りる10カ月になるのを待ってから、骨髄移植をしました。発症から2年がたっていました。


◆「奇跡が起きて」と思っていました

「起きた『奇跡』 今やっと実感」
薬剤師 山本典子(千葉氏稲毛区 48歳)
( 2005.11.26 朝日新聞 「声」欄 )

骨髄を提供して下さった方の投稿(22日)を読んだ。その方が遠くの病院に何度も足を運んで下さった日々や、全身麻酔から目覚めた時のことを想像し、胸が熱くなりました。

長男は15年前、6歳で白血病になりました。化学療法で完治した例のないタイプで、骨髄移植が唯一の望みでした。当時は骨髄バンクがなく、1年後に生まれた次男が、長男に移植する骨髄の量が足りる10カ月になるのを待ってから、骨髄移植をしました。発症から2年がたっていました。

子供2人が入院してしまった夜のことや、まだ赤ちゃんの次男が、全身麻酔から覚めるまでの時のこと、そして無菌室でつらい治療を受けながらも、ガラスごしに笑ってくれた長男――。移植から3年後、長男が亡くなり、それらすべてが私の中で凍った時間になりました。

現在私は、小児科の医院で働いています。ふと長男の不安な表情が浮かんできた時、言葉に詰まります。

長男が亡くなる数日前、「奇跡が起きて」と思っていました。今、骨髄を提供して下さった方々の言葉に触れるにつれ、奇跡は起きていたことに、私はやっと気が付きました。
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