大塚久雄が近代日本の文化事象について完全に無知なのではないとすれば、大塚久雄は日本の近代を真性にあらず、擬制であり、擬勢であり、虚勢であり、偽物であり、空虚な張りぼてにすぎないと睨(にら)んでいるのであると理解しなければなりません。世に喧伝されること久しい「大塚史学」を支える一脚は、近代日本偽物論なのでありましょう。とにかく、大塚久雄は日本の世の中でごく普通な人間関係の習慣が大嫌いなのです。 . . . 本文を読む
私が日本に同情ある判決を行なったと考えるならば、それはとんでもない誤解である。私は日本の同情者として判決したものでもなく、西欧を憎んで判決したのでもない。真実を真実と認め、これに対する私の信ずる正しき法を適用したにすぎない。それ以上のものでも、また、それ以下のものでもない。
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反ファシズム的立場から歴史を見直そうとする勢力は、当然のことながら、民族全体としてのドイツ人の「集団の罪」、いいかえれば道徳的責任を問おうとしたが、これは成り立たないというのが国を挙げての圧倒的な反論であり、また歴代大統領のとる立場でもあった。他民族絶滅を実行に移した国民が、これは一部ナチ党幹部の「個人」の罪ではなく民族全体の罪、道徳的責任であると認めることは、報復としてドイツ民族が絶滅させられても文句がいえないという恐怖心につながる。 . . . 本文を読む
抜け道として、すぐ考えられることは、借用証書なり、土地を売るときの売券(ばいけん)(売却証文)に、「徳政があっても、約束どおりにします」ということを特別に記入するのである。このような特記(徳政文言(もんごん)という)は、のちに室町時代になると無効ということになったのだが、最初の徳政令ではこれが有効だったのだから、この法律の効果は著しく減殺(げんさい)されたことになる。 . . . 本文を読む
奥州征伐で白河の関を越えたとき、頼朝は諸将に向かって、能因(のういん)法師の歌はどうだ、と声をかけた。能因の歌は、誰でも知っている例の「都をば 霞とともに いでしかど 秋風ぞ吹く 白河の関」である。そこで梶原景季(かげすえ)が進み出て、「秋風に 草木の露を 払はせて 君が越ゆれば 関守もなし」という歌を詠じた。 . . . 本文を読む
親友であるためには駕籠舁(かごか)きの呼吸を必要とする。両者の息が合っていなければならない。力を致すところ均等でなければ転覆する。それは絶えざる気働き心尽くしの結果である。親友を持っている人は相手の気持ちを敏感に察して過不足なく努める阿吽(あうん)の呼吸を心得ている。ひいては人交(まじわ)りの勘所を心得ている。それを知らぬ人との間に差がつくのは当然であろう。 . . . 本文を読む
結論は、無理のないように適度に働けば、身体のためにも精神のためにもよいということである。人間とは、肉体によって支えられ、みずみずしさを保っている知性的存在である。身体を動かすことは健康のためになるのだ。害があるのは働きすぎの場合であって、働くこと自体ではない。そして、きびしい仕事よりもっと悪いのは退屈な仕事、体力の消耗が激しい仕事、先の望みがまったくない仕事である。 . . . 本文を読む
未知のものに対する恐れから生じる典型的な態度については、すでにいくつか論じてきた、新しい経験に抵抗する、柔軟性がない、偏見、計画の奴隷となる、外面的な安全を必要とする、失敗を恐れる、完全主義――こういった態度は、自分を限定してしまうような行為全体の中の「見出し」のようなものである。次の各項目はこの範疇に属する行為の中でももっとも、一般的な具体例である。これを調査表として利用して、自分自身の行為を評価してみるとよい。 . . . 本文を読む
「われわれが自由に使ってよいことになっている天からの授かり物の中で、いくつかの理由で時間ほど貴重なものはないのに、大部分の人は、時間ほど無頓着に浪費しているものはない。考えるとまことに不思議なことである。実際、他のものだったらことごとくけちる人でさえ、最も大切な収入である時間だけは極端に無駄づかいしてしまう。 . . . 本文を読む
確固たる目的や目標を持っていれば、勉強も実り多いものとなる。ある分野の知識を完全にマスターしていれば、いつでもそれを活用できる。この点からいえば、単に本をたくさん持っていたり、必要な情報を得るには何を読んだらいいかを知っていたりするだけでは十分とはいえない。人生に役立つ知恵を常に持ち歩き、いざという時、すぐ使えるよう準備しておくべきである。 . . . 本文を読む
どんな仕事でも、仕事をやるからには判断が先立つ。判断を誤れば、せっかくの労も実を結ばないことになろう。しかし、おたがいに神さまではないのだから、先の先まで見通して、すみからすみまで見きわめて、万が一にも誤りのない100パーセント正しい判断なんてまずできるものではない。 . . . 本文を読む
あなた方は、生きていることは、死んでいない以上はよくご承知になってます。どんなとぼけた奴でも、「いやあ、俺はひょいとすると死んでやしねえか」と思うなんて人はいない。しかし、いきているという現実の中に、「生存」と「生活」の二つの部面があることに気がついてますか。 . . . 本文を読む
大阪への単身赴任が、2年過ぎた。いつも夜10時頃、一人寂しくマンションに帰っていた。8月上旬の夏休み。週末の3日間、横浜から小学5年の娘が遊びに来た。4ヶ月ぶりの再会だった。寂しい部屋に笑い声が響き、急に明るくなった。夜遅くまで、学校のこと、友達のこと、そして家族のことなどを話し合った。二人でこんなに多くの時間を過ごしたのは、初めてだった。 . . . 本文を読む
ルノアールが晩年の10年間、家にこもりがちだったときも、マティスは毎日のようにやってきた。ルノアールはは関節炎でほとんど半身不随になっていたが、それでもひたすら絵を描き続けた。 . . . 本文を読む
パスツールとハーバード大学、いずれも研究においては横綱級の相手に先行されたわけで、これはどうみても勝ち目はなさそうです。その後、学会へ出席するためパリからドイツのハイデルベルクへ飛んだ私は、街角をぶらぶる歩いたあと一軒のビアホールに入りました。そこでビールを飲んで、酔っ払って眠ってしまおうと思ったのです。 . . . 本文を読む