先週、テレビの「世界一受けたい授業」を見ました。
時々、この番組はとても興味深い、ほかのメディアでは決して取り上げないことをやってくれます。
このときは、戦争を停戦させるために武器を回収する請負人という人が登場して、世界のあちこちで起こっている戦争や紛争についての生の声を届けてくれました。
驚いたのは、この方の肩書きが単にどこかの大学の教授であったこと。(日本人の男性です。)
そりゃあもちろん、「武器回収請負人」なんて仕事名はないにせよ、いったいどこからそういう職業の要請があるのか・・
それはやはり日本政府だそうです。
この方いわく、(すみません。先ほどから「この方」というような言い方をしているのは、たんに名前を失念したからです。)
「戦争は広告によって起こる。」
アメリカが湾岸戦争に突入を決定したのも、遡れば、アメリカ議会があるときクウエート人の少女を証人によび、この少女が涙ながらにイラク人がいかにひどい虐殺を母国でくりひろげたか、を述べたことにより視聴者が同情し、一気に世論が高まったからだ、と言います。
そして、なんと、この少女は実はアメリカで生まれ、アメリカで育ち、一度も母国に足を踏み入れたことなんてなかった少女だったのだとか!
これにはびっくりです。
そして、この少女を証人喚問に呼んだのはある大手広告PR会社が仕組んだことだ、というのです。
またまた、びっくり!
20世紀に入ってからいくら戦争は情報戦だ、とはいってもそれは相手の動静を知るためのものだとばかり思っていました。
戦争自体が広告により仕組まれたものだった、なんて!
彼はつづけました。
「第二次大戦で日本がした無条件降伏などという戦争の終結の仕方は、今後二度とありえない。
ときどき、私自身も前線に行って、説得していると何が正しいことなのか、わからなくなる。結局、『正義』が大切なのか、『戦争をやめさせる』ことを優先するのかギリギリの選択を迫られることになる。そんなとき、とりあえず戦争をやめさせることのほうを私は取るしかなく、決してそれが正義でない場合もある。」と。
その例として、アフリカの最貧国であるシエラレオネでは、何十万人も虐殺した首謀者に何の罰も与えず、政府の副大統領に据えることによって内戦が終結したということを話されていました。
そして、最後に、
「結局、戦争が始まるのがそれをやったほうが儲かる産業があるから、ということであれば、逆に平和になったほうが儲かるという産業をつくればいいわけです。」と。
いかにも正義という机上の空論より、目の前の戦争をやめさせるほうを選択してきた、現場の声らしい声だな、と思います。
確かに死ぬか生きるかという状況にいつもさらされていれば、正義なんてみみっちいものに過ぎない、ということはそんな経験をしたことのない私にもなんとか想像はつくもんね。
「踊る大捜査線」の青島刑事の名セリフ「事件は会議室でおこっているんじゃない。現場で起こっているんだ。」を持ち出すまでもなく、平和と言うぬるま湯につかっている私が、生きるか死ぬかの最前線を経験してきている人に言えることは何もありません。
でも、何かしら一抹の釈然としないものを感じたことも確かなんです。
それは、なんなんだろう・・?
「平和と言う産業をつくってしまえばいい。」
それは確かに世界の現状を考えたとき、そのとおりでしょう。
でも、それはある一定の方向へ導く力強いものがあったとき、180度の方向から逆の、同程度の力で引っ張るとバランスのとれた世界が出現する、ということにすぎないのであり、やはり決して根本的な解決ではない、ということを下々の我々がきっちりと認識したうえでないと、またそのバランスが少しでも崩れた場合、極端に走る世界が出現すると思えて仕方がありません。
平和を産業とした商売が横行した場合、何か悪いことでも起こるの?結構なことだらけじゃないの?と思われるかもしれませんが、そして私にもほら、こういうことが考えられるじゃないの!と言うものを提供できるわけではありませんが、ただ何でもバランスが極端なものになると良いことではない、という予感がするだけです。
以前にも書いたことがあるように思いますが、オーラソーマはそもそも「自分自身のバランスを取り戻す」セラピーです。
そもそも「癒し」とは副交感神経が強く働き、交感神経がおやすみすることですが、それはその場限りの癒しであり、決して「気づき」は得られません。
癒されながら、イクイリブリアムボトルの色の液体を身にまとい、それによって何かしらに気づく。これで初めて、副交感神経と交感神経のバランスがとれ、ちょうどよいポジションに自分の身をおくことができるのがオーラソーマです。
まったく、よく出来たシステムだわ~。
「平和と言う産業」。
そういう意味ではオーラソーマはすでに平和をビジネスにしているものなのかもしれません。
そして「平和」が「平和のなかにいることには気づかないぬるま湯のような状態」のことを言うのであれば、「平和をビジネスにした産業」が成り立つのもむずかしいでしょう。だって、それが平和のおかげで成り立っているのかどうか判別がつきませんもん。そもそも「平和」というのはそういう性質があるものなのかもしれませんね。
それに比べて「戦争」はそれを「起こした」から成り立っているビジネスというのが明確になるぶん、それを産業にする人たちも現れるというわけです。
前に「プラーナ2」で、「一般に説得力のある人というのは、プラーナのエネルギーを無意識に使いこなしている人のことだ。」と書きました。
それでいくと、戦争を起こすのも、それを集結させて真逆のベクトルの平和と言う産業をつくりだすのも、世界でもっとも説得力のある一握りの人が起こしていることであるといえるのでしょうか・・
そういう意味で、「説得力」をいつもいつも真に受けてはいけない、ということであれば、自分もその説得力を(使うかどうかは別としても)、身に付けないといけないということになります。
そのためには「呼吸」が宇宙とつながっていることを認識する必要がある、ということ。
う~ん。
自己鍛錬の道というのは簡単なようで、険しいものですね。
少なくとも、「平和」を産業ととらえてビジネスにする人たちは、それが「お金になるから」ではなくて、「本当の意味での人類の魂の救済になるから」ということを根本に据えたうえでやってほしいし、産業にすることを正義のようにふりかざして、マスメディアにこなれていない状態で垂れ流すのはやめて欲しい、と思いました。
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