ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

オグリキャップ

2008-11-11 08:32:51 | 身辺雑事

おとといの日曜日、東京競馬場でアジア何とかデーというのだったから、ということでオグリキャップが久々にその勇姿を見せました。(どうしてアジアだとオグリキャップの登場となるのかはイマイチよくわかりません・・)

オグリは芦毛というより真っ白になっていましたが、23歳になり人間の年でいえば70歳くらいのはずだけれど、それはまさしく「勇姿」と言う名にふさわしい現役の馬のような姿でした。
私はうれしくて涙がでそうでした。

オグリキャップはまさに私の青春と言っても過言ではありません。

オグリキャップにどれくらい勇気を貰ったことか・・

いまだに私は定期入れにオグリキャップの現役のときの写真をひそかにしのばせているくらいの実は隠れオグリファンなんです。(別に隠れる必要もないが)

あの、ゲートインする前にみせる武者震い(のように人間には見える)しぐさ。

笠松から中央入りして驚異の6連勝をとげて一躍「怪物」と全国区になった人気モノ。

毎日王冠のときの壮烈な4頭でのたたきあい。

宿敵タマモクロスやスーパークリークと戦いあった日々。

マイルチャンピオンシップからジャパンカップへと何と連闘でのぞみ、同着2位となったものの当時のレコード2分22秒2というタイムで駆け抜けた東京競馬場。ゴール後もホーリックスを抜かそうと騎手の南井が手綱をゆるめているのにオグリはスピードをゆるめずまだ走っていました。

6歳になって天皇賞、ジャパンカップと惨敗し、オグリは終わったといわれてのぞんだ最後の引退レースの有馬記念で優勝。

全てが昨日のことのように思い出されます。

(ちなみにこのとき私はオグリキャップの単勝1万円を手に握り締めていました。後にも先にも1点に1万円という金額を馬券につぎこんだのはこのときだけです。)

私はいつもくじけそうになるとオグリキャップのビデオを見てはそのたびに新鮮な涙を流し、よし!頑張ろう、という気にさせられていました。

競馬が好きになったのも馬券が好きなのではなく、あくまで馬が好きなのでした。とくにオグリが・・

そのオグリキャップが引退してオグリキャップの子供がまた勇姿を見せてくれることを密かに期待していたのですが、どうもどの仔も鳴かず飛ばずで、そのうち種付けもなくなってしまったのか今ではオグリキャップの仔なんて見ることも聞くこともなくなってしまいました。

まあ、当時からダンシングキャップとホワイトナルビーというたいした血統でもないオグリキャップがこれだけ走るのは血ではなく、個体の能力だとは思っていましたが、やはりオグリキャップの血が絶えてしまうというのは寂しいものです。

そして、種付けがなくなったオグリがどうして暮らしているのだろうと時々思い出しては心配していました。

でも、テレビながら、勇姿を見ることができて懐かしさとうれしさでいっぱいになりました。

そして、「やはり、頭のよい馬というものは自分で自分の体をつくるのだなあ。」と言う思いを強くしました。

だって、今にもまだ走れそうに見えましたもん。

オグリも久々の競馬場に興奮していたみたいだったし。走りたかったんじゃないのかなぁ。

シンザンも頭のいい馬で、現在競馬で活躍した馬としては日本で最高齢で亡くなった馬としても有名ですが、かなり老齢になるまで今にも走れそうな体つきをしていました。

そして馬にとって「頭がいい」ということは、「人間を信じきる能力」ということに尽きるといえます。

競走馬のようにガラスの脚をもったある意味、人工的につくられた動物はその作り出した創造主のいうことを聞かなければ決して生きてはいけないでしょう。

それをシンザンもオグリキャップもよく知っていた、と思います。

まだオグリキャップが現役のとき競走馬としては致命的かもしれない「喉鳴り」という病気にかかったことがありました。

そしてその治療のためには動物だったら必ず嫌がる口を大きくあけてのどの奥のほうまで治療器具を入れたり、人間に見せるということをしなければいけなかったわけですが、それだけのことができなくて全身麻酔だの手術だの、と言う騒ぎになってしまうと弱ってしまう馬が多い中、オグリはおとなしく口をあけて治療をさせた、といいます。

たぶん、イヤだけれど、そうしないと治らない、この人たちは僕を救ってくれる人たちなんだ、ということが本能的にわかっていたからでしょう。

人間も人間の創造主である神を信じきれば、もっとラクに生きられるのにね・・

ということがストーリーとしてわかるようになっているシリーズがオーラソーマにはあります。

マスターセットの50番から56番にかけて、です。

私は最初、この話をレベル3のときの授業で聞いたときには感動で、天と地がひっくりかえるほどの衝撃を受けました。

50番はエルモリア。

上下ともペールブルーのボトルです。

ブルーは「最初に出来た色」。なぜなら私たちは魂のときに神様からブループリント(青写真)を見せられて、「はい、今度の人生はこれで結構です。」と納得して生まれてきているから。

そして、その人生を歩むためには神様は必要な才覚や能力を授けてくれている。

だから、そのとおりに生きられれば悩むことも苦しむこともないはずなのに・・


そして、51番のクツミ。

上下ともペールイエローのボトル。

そうはいっても、オギャアとこの世に肉をもって生まれてきた瞬間から、私たちはそのブループリントを忘れてしまって、自分が、自分が、自分の人生だから自分で切り開かなきゃ、と言ってヘンに頑張るから混乱する。

黄色は「混乱」の色。

それを通り過ぎると、52番のレディ・ナダ。

上下ともペールピンクのボトル。ピンクは赤をさらに強烈にした色。

ここで青、黄、赤の3原色がそろい踏みとなります。

自分を離れて、ひとつ高みから自分を見ることができるようになる。

赤は「超然」の色。


そして53番の、ヒラリオン。

上下ともペールグリーンのボトル。

超然と観ることができるようになると、「平穏」「安泰」が生まれます。

まだ続くんですけどね。

このように人間の魂の成長の過程がボトルで描かれているわけですよ!

言葉だけでこうして追っても私の感動は伝わらないと思うし、皆さんにはぜひとも実際にボトルを通してこの感動を体験してもらいたい!


なんだか、オグリキャップの話から力技でオーラソーマの話にもってきちゃったみたいですけど。

マスターセットにご興味のある方はぜひともオーラソーマのプラクティショナーへ。




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