ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

2極化

2008-11-03 08:42:08 | うんちく・小ネタ

この前、テレビを見ていてびっくりしたことがありました。

小学校で「痛くない体育」をするようになっている、という話です。

「痛くない体育」と言うのは、具体的に言うと、「当たっても痛くないソフトバレーボール」なるものが開発されてそれでバレーボールをする、とか「マットでできた跳び箱」があってそれで器械運動するとか、だそうです。

まあ、この是非についてはみなさんそれぞれご意見があるでしょうが、私が驚いたのは、こういうものを取り入れざるを得なくなった背景です。

子供の運動能力が2極化しているらしい。

つまり昔なら、「普通ぐらいの子」がボリュームゾーンで、「出来ない子」と「出来る子」がそれぞれ少しずつ、というグラフを描くとするなら真ん中に一山かたよりがある表が描けた時代から、今は、「普通ぐらいの子」が一番少なくて、「出来ない子」と「出来る子」が多いから、グラフを描くとするとふたコブらくだのように真ん中がへこんで両横にボリュームがある表になる、というわけです。

だから、ひとまず「出来ない子」を「普通の子」にする戦略のためには(ボトムアップってやつですね)、学校としても「痛くない体育」でまずは取り組む気にさせる方法を選んだ、ということなのです。

小さい子供がいない私としては、世の中がこんなことになっているとは!と驚きでした。

ひょっとするとこの年齢のお子さんをお持ちのお母さんであれば、「そ~よ、そういう時代なのよ。いまさら何言ってんの。」ってことかもしれませんが。


ついに「2極化」というのがこんなところにまで押し寄せているのか!と言う驚きです。

日本の社会が貧富の差が激しい格差社会になっている、というのは何となくじわじわと感じています。

しかし、まさか子供の運動能力までが2極化という波にさらされていたなんて!

どうして子供の運動能力が2極化することになったんでしょうか?

テレビでもそこには言及していませんでしたし、私にもわかりません。

わからないなりに推理してみました。

放課後の遊び方が2極化しているから?

例えばテレビゲームのようなもので家のなかばかりで遊んでいる子と、外で遊んでいる子。

でも、以前に人間の運動能力とは「運動神経」の問題ではなくて、「バランス能力」だと聞いたことがあります。あのテレビゲームのボタンを操作するパネルを異常な速さで操る子供を見ていると、四肢をバラバラに操らなければならない優秀なドラマーにすぐにでもなれるのでは、マニュアル車に乗れるのでは、と思うくらいですからそんなに外で遊んでいる子に比べてバランス能力が劣るとも思えないし・・・

危険予知能力が低い子が増えた?

こうすると顔にボールが当たって痛い、とかこのくらいの跳び方だとお尻をぶつけることになりそうだ、とかがわからない?

なんだか、生きる能力自体が低そうな話になってしまいますね。

この結論は私にはわかりませんが、ひとつ別のことを思ったのは、いろんな分野で「多様化」が叫ばれたけれど、結局、「群れる」のね、ということでした。

買い物にしたら、ヴィトンやグッチのバッグを買う人が、ダイソーでファイルを買うこともありえる。それは買い物の多様化だ。

休日の過ごし方が色々なパターンになった。それはレジャーの多様化だ。

みなが皆、大学に行きたいわけではなくて中学や高校を卒業したらすぐに自分の好きな道へ進んで就職する人もまた増えている。それはライフスタイルの多様化だ、と言う具合に。

だけれど、現実には買い物シーンにおいては、イオンのような巨大なショッピングセンターばかりが増えている。

GWや年末年始は相変わらずディズニーランドや温泉など、皆がこぞって出かけて流行るところは決まっている。そして、渋滞。

色々な経歴の持ち主がいろいろな分野で活躍しているかと思えば、就職浪人やワーキングプア、派遣ばかりが増えて安定した生活ができない、と嘆く人が増えている。

これは、本当の多様化による豊かな社会とは違いますよね。

あれもあってもいいし、これもあってもいいよね~という多様化のはずならば、

小さな商店もイオンも両方共存していないとおかしいし、近場の公園レベルも巨大なレジャー施設も両方ともそこそこに人がいる、という状態じゃないとおかしいし、中卒でも生活できて仕事にも誇りが持てて生きていけなければ嘘だし・・・

こう考えると、「2極化」というのは、「2つの両極端な世界に集中している」ということであり、「2」という数字にだまされやすいけれど、「集中」にすぎないんだ、ということを思いました。3極化でも4極化でもなく、ましてや多様化でもない。

日本という社会は結局、人も社会のしくみもそして子供までもが、のびのびと多様化できずに、結局集中を求めてさまよっているのか、と思いました。

なにがあっても「わたしは私」でいいんだよ、ということをオーラソーマは教えてくれますよ。

皆さん、オーラソーマを体験して伸びやかにすくすくと生きてね。




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