ぶうちゃんのリハビリ日記  自由へ続く道

持ち前の負けず魂で、医師には不可能といわれた一日も早い社会復帰を目指すリハビリ親父の日記です。

明日こそ

2008-07-16 21:34:29 | リハビリ

私は週二回、マッサージを受けている。その方は若いのに東洋医学に精通していて、私の訴えを良く聞いてくれて、適切なアドバイスをしてくれる。私が今できる運動に基づいたストレッチ法であるとか、食事であるとか。その方が言っていた話。『脳内出血で8ヶ月も意識不明だった患者さんのマッサージを続けてきたが、今では一人で歩けるようになったんですよ。それで、今日、マッサージを卒業にしてきました。このまま、マッサージを続けるとその患者さんのためにならないから。』と。要するに自分で努力をしなくなるからという事である。また『人間の身体は何が起こるかわからない。いいことも悪いことも。だから、気を抜いてはいけないし、諦めてもいけない。』と。その方の奥様は『甲状腺癌』で二度手術されている。去年は赤ちゃんも出産している。手術のときに、医師から『好きな音楽を聴いていいよ』といわれ、ロックを手術室に持って入ったそうである。今の夢は親子3人で、ハーレーに乗ってツーリングすることだそうである。人は、自分の考えの持ち方一つで、どうにでも生きられるのではないか?病気さえコントロールできるのではないか?と話を聞きながら思えた。私も『今年こそ!』ではなく『明日こそ!』と考え方を変える事にした。


デジャブ

2008-07-14 13:25:19 | リハビリ

昨夜の夢。私が壁を伝って、横に移動している。足を見るとちゃんと横に動いている。感覚もあるし、妙に臨場感もある。 どうやら、広い柔道場のような所。そして次に、HONDAの『アシモ』のような歩き方だけれど、その広い部屋を走り回ってる。職場の先輩の名前を呼びながら・・・。これも妙に感覚がリアルであった。 そのうち、段々と『これはきっと夢なんだな?』という自分の意識が強くなってきて、目をそっと開けたら、やっぱり夢だった・・・。 早くデジャブ・正夢になっておくれ 昨夜は、もう一つ凄い事があったのだが、発表するには、はばかれるのでやめておこう。


今この時・・・。

2008-07-12 18:45:39 | 健康・病気

岡田喜一郎さんが書いた『淀川長治の映画人生』のなかで、淀川さんが『今が一番楽しいなぁ。今を楽しむこと。その権利を絶対に捨てないで欲しいんだ。』と語っていたそうで、また『今日という日は一生に一回、お正月みたいな日。だからいい加減に無駄に過ごすわけにいかない。』とも語っていたそうだ。また別の本に、このようなことが書いてあった。『一日一日、瞬間瞬間を懸命に生きるところに、人は充実感や楽しみを覚える。これは、サッカーの試合を録画で見たときと似ている。後から録画で見たときは何故か物足りなさが残る。試合結果を知っていることで、追体験するような心境になっているからであろう。次の瞬間に何が起きるか判らない。観戦する醍醐味は、予測不能な未来に向けて、今この瞬間を闘う選手を見る楽しみだ。』と。偉人の言葉に『過去でも、未来でもなく、現在、ただ今が問題になるのだ。大切なのは今、どうするかだ』というのが有った。『過去も未来も、今現在の自分に凝縮されている。今をどう生きるかで未来も決まる。』と・・・。自分のリハビリも一緒。今をサボってしまったら、過去にどんなに頑張ったか!などということは関係なくなり、病気を克服するという目標を掲げた未来もなくなる。そういった意味でも、かけがえのない日々を大切に、今日一日をナメクジスピードを緩めずに頑張って行きたい。だって、明日の朝、目が覚めたら手足が自由に動くようになっていて、歩けるようになっているかもしれないから 淀川さんみたいに、リハビリも楽しいと良いんだけれど。


我が家とオリンピック

2008-07-08 13:50:18 | 日記・エッセイ・コラム

いやぁこの気候の変化には付いてゆけずに、ついにダウン。 訪問リハが終わるとベッドに横になる。ちょっと調子が良くなり、自主トレをするとまた、ベッド。という日が続いています。 でも、ナメクジがよっぱらた様なスピードでも、前を向いて頑張っています。

さて、もうすぐ、『北京オリンピック』。我が家ではテレビで日本選手を応援しようと思っていましたが、一転、そうも言ってられなくなりました。それは、末娘への一本の電話から始まりました。『あの~○○だけど、俺、オリンピックに出ることになったから』 娘『あ~そう。じゃァ、家で壮行会やってあげる。』。相手は、自転車レースでは名の通った選手。世界で一番の自転車チームにスカウトされ、ツール・ド・フランス等で活躍していて、テレビの『情熱大陸』でも紹介された。といえば、自転車競技を知ってる方なら、誰だかきっとわかるはずである。確かに、娘とは小さいときから仲が良く、ヨーロッパからや成田に付いたときなどメールが来る仲で我が家にも何度も遊びに来たりしていましたが、身近なところからオリンピック選手が出るとなると、単なるテレビ観戦と思っていた『北京オリンピック』が、俄然、身近に感じてくる。その彼の座右の銘が『自分で限界を決めない。』である。一日の練習量が200㎞。片道は山岳コース。帰りは自動車の後ろを走って空気抵抗をなくしてのスピード練習。彼のやっていることを見れば、何と重みのある言葉であろうか・・・。そして、もう一つ。彼なりのこだわりがある。それは食事。レースになれば300㎞を超えるときもある。その力の源は『食べること』。情熱大陸の取材中も食事のシーンは撮影させなかった。その理由は『食べることに集中したいから』。彼自身、自分のやっていることの本質にかかわる事が何であるかを自覚しているのであろう。それがあるから、簡単に『オリンピックに出ることになったから』とサラッといえるのであろう・・・。今回のオリンピックは、我が家では日の丸を持ってテレビの前で大騒ぎをするだろう。ちょっと待て自転車競技って、ちゃんと放送してくれるんだろうか


ビルマのおもひで ②

2008-07-02 18:11:13 | 日記・エッセイ・コラム

ビルマには様々な生き物がいました。設備を設置するために基礎をコンクリートでうって、次の朝、確認に行ったところコンクリートの上になにやら模様が・・・。それはなんとトラの足跡でした。 ビルマ(私の居た所だけ?)を語るには欠かせないのが、蛇とサソリ。特に蛇の数には驚いた。任期の6ヶ月間、こいつのおかげでゆっくり眠ることが出来なかった。 そのほとんどが『毒蛇』象でも30秒で死んでしまう、100歩あるくうちに死んでしまうので付いた名前が『百歩蛇』。俗に言う『グリーンスネーク』。私の見たやつは、色は蛍光ペンの緑色。長さは30センチほどだったが、頭は見事に三角、矢印のようであった。(俗に、毒蛇は頭が三角だと言われています。)後は、キングコブラとか名前なんか知らないような蛇がいるわ、いるわ・・・。ある晩、寝ていて、尿意をもよおし寝ぼけ眼でトイレで用を足した。トイレはシャワールーム(というほど立派なものではありません。)と一緒。私はドアを閉めて、そのまま睡眠。次の朝、眠い目をこすり歯を磨きながらシャワールームへ。ドアを開けようとすると、ドアと壁の間にロープのようなものがぶら下がっていて、ちょっと持ち上がるとバタッと下がる。目を凝らしてよく見ると、なんとそれは蛇だった。私はビックリして助けを呼んだ。。口の周りからシャツまで、歯磨きだらけにして・・・。どうやら夜、用を足しに行ったときに扉のところにいたのに気が付かず、ドアを閉めて挟んじゃったようでした。枕をどければサソリはいるし、朝、靴を履く前に投げてから履くようにしていました。靴の中に何が入ってるか判らないから・・・。蛇といえばもうひとつエピソードが。私たちの赴任していた所でのレクリエーションといったら、テニス、バレーボール、ジョギングに麻雀ぐらいしかなく、工場を建てるために来た重機と残ったセメントでプールを作ることにした。現地の作業者と一緒に一生懸命作りました。気温40度の中。そして水を溜めてあくを出して、いよいよプール開きの日にプールに行って皆、唖然とした。何とプールには、10匹近くの蛇が優雅に泳ぎまわっていた。 そういえば、このプールを作った場所を現地人は『蛇山』と呼んでいたのを思い出し、涼しそうに泳ぎ回る蛇を羨ましそうに眺めてた私たちでした。