ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

丁度よい人生

2022年10月17日 | 随筆
 山のあなたの空遠く
 「幸い」住むと人の言う
 ああ、我人と尋(と)めゆきて 
 涙さしぐみ帰り来ぬ。

 山のあなたになお遠く
 「幸い」住むと人の言う。

 これは多くの人に親しいカール・ブッセの詩(上田敏 訳)です。幸せというものは遠くにあって、求めて行ってやっと届いたと思っても、更に遠くにあって、何時も手の届かないものだ、と言うように私は理解しています。これは悲しい事です。
 私達も何時もそうなのでしょうか。幸せとは、求めても求めて届いたと思っても更に手の届かない、遠い処に在るものなのでしょうか。涙さしぐみ帰り来るものなのでしょうか。つまり幸せとは誰かが作ってくれるものではないとカール・ブッセは云っているのだと思います。ではどうしたら手に入れられるかについては、何も云っていないところが読者にはもどかしい限りです。

 また次のような詩もあります。何時でしたか、高野山の金剛峯寺に行った時、金堂の中に次のような詩がありました。

 小雨が大地をうるおすように
 少しばかりの悲しみが
 人の心をやさしくする
 心配せんでも良い
 必ず良いようになるものである

 私達夫婦は金剛峯寺のこの詩の前で暫く釘付けになって、とても心を打たれて暗記して帰りました。以来何かある時に、きっとそのうちには何とかなる、と思って安心して生きて来たように思います。
 皆様は如何ですか? 人によって違うでしょうけれど、良いにせよ、悪いにせよ、何時だってやがて結論らしきものは出ます。いいえ、結果だと思っても、時と共にやがて変化するものである事を私達は知って居ますし、それをどう受け止めるかは、受け止める人によって変わるとも言えます。しかし、「必ず良いようになる」と思って過ごせれば、一層より良い人生を過ごせるでしょう。
 ところで、私は常日頃から努力する、という事に真摯で在りたいと願っています。でも自分の能力の限界を正しく認識する事によって、楽しい晩年を生きて行けないかと思うようになりました。私の大好きな詩「ちょうどよい」をこの機会にじっくりと味わってみたいと思います。

 ちょうどよい   藤場光津路 作

お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も
お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい
幸も不幸もよろびも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
仏様と二人連れの人生
丁度よくないはずがない
丁度よいのだと聞こえた時
憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏

 前に書きましたが、また載せたくなりました。心に浸みる詩です。幸せとは自分で感じ取るものですから、自分にふさわしい幸せを作り出せればいいのでしょうね。



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