ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

100歳の詩人

2018年01月15日 | 随筆
 皆さんも100歳の詩人と呼ばれた柴田トヨをご存じでしょうか。現在の栃木市に生まれた詩人です。(1911~2013)
 柴田トヨが詩を書き始めたのは、平成15年とありますから、92歳から書き始めたことになります。手元にある彼女の詩集の初版(飛鳥社 2010年)から、心を打たれた詩を拾いと思います。

 くじけないで

ねえ 不幸だなんて
溜息をつかないで

ひざしやそよ風は
えこひいきしない

夢は
平等にみられるのよ

私 辛いことが
あったけれど
生きていてよかった

あなたもくじけずに

有名な詩です。
 次の詩が、現在の私の人生を振り返った時にとても胸を打ちます。

 あなたに  1

出来ないからって
いじけてはダメ
私だって 96年間
出来なかった事は
山ほどある
父母への孝行
子供の教育
数々の習い事

でも 努力はしたのよ
精いっぱい
ねえ それが
大事じゃないかしら

さあ 立ちあがって
何かをつかむのよ
悔いを
残さないために

 父母や義父母にお世話になった恩を考えたり、共働きでつい自分の仕事に力を注いでしまって、どれほど子供たちの為に時間をかけてやれたか、を振り返ると至らなかったと過去が悔やまれます。私よりもかなり年上の彼女の言葉が胸を突きます。
 振り返って「精一杯努力した」と言える程にやれたのか、と思うと胸が痛みます。
 でも誰しも満点の人生を送って居るわけでは無いですし、悔いは残っていても、それにとらわれないようにしないと、自らをも、ひいては身の回りの人達さえも暗くしてしいます。
 「悔いを残さないために」という言葉に、力づけられます。「立ち上がって何かを掴む」程の気力が、はたして彼女よりも若い私に残っていると言えるのか・・・、と考えると辛い気がすることもあります。
 今、こうして温かい皆さんや家族や友人に励まされて、このようなブログを書いて生きて居ることには、とても感謝していますが、「言うは易くして行うは難し」で、つい安易に文章を書き続けていることに、正直に言って「これでよいのか」という思いがあります。なかなか実行が伴わない日々に、もう止めようか、と思う日もあるようになりました。
 
 股関節の手術以来、回りの人達の優しさがとても身に沁みるのですが、その反面自分の至らなさを思う日々でもあります。
 已に「今出来ることしか出来ない」身だと分かっているのですが、どうしても欲張ってしまって、それが恥ずかしくもあります。去年亡くなった私の友人の達観にはほど遠く、悩みながらの堂々巡りのこの頃です。

  貯金

私ね 人から
やさしさを貰ったら
心に貯金をしておくの

さびしくなった時は
それを引き出して
元気になる

あなたも 今から
積んでおきなさい
年金より
いいわよ

 私も回りの人達の為に少しでも役立つように願っています。きっと自分の事にばかり気を向けているから、寂しい思いにもなるのでしょう。
 思えば今までの人生の中で、幾度かヒヤリとする場面を経験して、そこを無事にすり抜けさせて貰って現在の幸せに繋がって来ました。目に見えない誰かに守って貰っての今が、とても有難く思えます。守ってくれるのは誰なのか、あれこれ心に浮かぶ顔を思い出しつつ、「有り難う」と私は心の中で手を合わせます。
 荻原朔太郎は次のように言っています。
 『幸福人とは、過去の人生から満足だけを記憶している人である。不幸人とはその反対を記憶している人である。』

 ことば

何気なく
言った ことばが
人を どれほど
傷つけていたか
後になって
気がつくことがある
そんな時
私はいそいで
その人の
心のなかを訪ね
ごめんなさい
と 言いながら
消しゴムと
エンピツで
ことばを修正してゆく

 心に浮かぶままに、ひたすら正直に詩を書いている彼女を思う時、私の心は安らぎに満ちてきます。不用意に吐いたことばに気付いたら、急いで消して前向きに一歩でも半歩でも歩み続けられたら、と願っています。
 随分過去の事ですが、「覆水盆に返らず」と祖父が言って、まだ10代前半の私達きょうだいの不用意なことばに、「一度口から出た言葉は元に戻らない」と、注意を促して教えてくれた事を思い出しました。
本来この戒めは、中国からで、日本大百科全書(ニッポニカ)によると 「一度離別した夫婦は元の鞘(さや)に収まることはないこと」や、「一度しでかしてしまったことは取り返しがつかない」ことのたとえとして用いられています。
 人は安易に口にしたことばによって、思いも寄らない過ちを犯すことがあります。そんな時に消せる消しゴムとは、想像不可能な発想ですが、有難いことです。修正したいことが起きた時に、過度にこだわったりせずに、消して出直してもよいと思えて、気楽になりました。そんな勇気を貰った新年でした。

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 易しい表現を | トップ | 秀麗の富士と国民性 »

随筆」カテゴリの最新記事