ばあさまの独り言

ばあさまから見た世の中のこと・日常生活のこと・短歌など

鯛の季節になって

2011年05月13日 | 随筆・短歌
 四月に「30年目の鯛」という文章を書きましたが、やがて5月になり、いよいよ本物の鯛が旬の時期になりました。鯛と言えば「鯛飯」という家族が好きな献立があります。五月になったら作ろうと思っていましたので、ゴールデンウィークのある日の夕食を鯛飯にしました。
 実を言いますと二回目の四国遍路の時に、宇和島で泊まり、夕食はホテルを出て鯛飯が名物だというお店に行ったのです。普通鯛飯というと煮た鯛が載って出てくるのですが、そこは漁師の鯛飯といってお刺身の鯛が載り、味が付いた卵液を掛けて食べるのです。その美味しかったこと。帰宅して早速見よう見まねで鯛飯を作りました。ところが味が今いちなのです。ある日夫が、「JAFの会員誌に宇和島の鯛飯が出ているぞ」と言うではありませんか。早速レシピをメモして、以後我が家の春向きの料理の一つになっています。
 簡単なのです。要するに新鮮な鯛のさく取りを一人分80~90g位薄くそぎ切りにして、少しの醤油をまぶし冷蔵庫に30分位「づけ」にしておきます。別のボールに生卵一人L一個(または沢山食べる若者の居る場合は1.5位)煮きった酒(計量しなおして)30cc薄口醤油10ccみりん3ccと少々の砂糖を合わせ、よく混ぜて味を見て調節、冷蔵庫に冷やしておきます。
 別に白ごま大さじ1を炒って摺る、細ネギ一本小口切り、もみ海苔1/3枚位、さあこれでお終い。(材料は全て大目の一人分です)炊きたてのご飯を丼に盛って、ボールの卵液に海苔を除いた全てを混ぜて、ご飯の上からそれぞれの丼に掛けます。もみ海苔を散らして出来上がり。簡単で美味しいので、興味のある方は作ってみて下さい。普段よりご飯は大目に炊かないと足りません。
 前置きが長くなりました。何時もは夫婦一緒にウォーキングをし、ついでに買い物をするのに、その日は昼過ぎに一人で買い物に出て、鯛と細ネギとトーフを買って帰ってきました。夕方さあ鯛のづけを作ろうと思いましたら、2パック買った筈なのに、1パックしかありません。冷蔵庫のチルドへ入れておいたと思うのですが、幾ら探しても見あたらないのです。確か丁度良い分量になると計算して買った筈なのに、大きい方の1パックがないのです。考えられることは、スーパーの籠に残したまま帰ってきたということです。仕方なく徒歩三分のスーパーへ急いで行って買い足して来ました。まだご飯が炊きあがっていなかったし、支障なく鯛飯が出来、ホッとしました。夫は「自分が付いていないと危ないなあ」と言うし、息子には「次に何か美味しいものを作ろうと思うと、もうそっちに意識が飛んでしまうのだろう」とからかわれて笑いの種になりながら、それでも美味しいと喜ばれて楽しい夕食でした。
 「今度からは籠の中をきちんと確かめて忘れ物をしないようにするわ」と私は云い、「事故に遭った訳ではないし、他人に迷惑を掛けた訳でもないから」と自己弁護しながらも、二度とやるまいと秘かに誓ったのでした。
 その翌日のことです。また夫が外出して、私が一人で買い物に出かけました。その日はいろいろと買い物があり、ミックスフライ用のエビも買って、スーパーを出たのですが、ドアを出たとたんに、「お客さん」とレジの人が追いかけてきて、私にエビの包みを手渡したのです。またまた籠に一つ置き忘れて来てしまったのです。さすがにこれには参りました。こんなに呆けて来たのかと思うといささか落ち込みましたが、老いて忘れることは人間の生理現象だし、忘れるからこそ人は生きて居られるのだ等と、変な理屈で自分を慰めながら帰ってきました。鯛を忘れ、エビを忘れ、次は何を忘れるのでしょう。まさか自分自身なんてことは・・・。

 たらいからたらいに移るちんぷんかん (小林一茶)

 生まれたときには産湯のたらいに浸かって、亡くなると湯かんのたらいにつかります。その間はちんぷんかんだと一茶は言っています。確かに人生って何だ?と正面きって聞かれてもそれは難しいことです。今日は理屈っぽいことは考えたくない気分です。ただひとこと言わせて頂くならば、何時もと同じように鯛飯も、翌日のタルタルソースを添えたミックスフライも美味しかったし、アクシデントは有ったにしろ幸せな人生のひと時だったということです。

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